巨人伝説vol.2 「勝負強さ」の条件 大山康晴vs青野照市 1990年 第48期A級順位戦

2022年01月06日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1989年開幕の第47期A級順位戦で、スタートダッシュに失敗し、降級の危機にさらされた大山康晴十五世名人。

 8回戦の相手は、同じく降級の目がある青野照市八段だが、この勝負は大山有利に見えて、実は青野の「勝負強さ」を見せつける将棋となった。

 青野という棋士は理論派で、決して派手さがあるタイプではないが、その分というわけでもなかろうが、異様なほど地に足をつけた一面があった

 それは「他力を頼まない」という思想。

 将棋のリーグ戦には、もっといえば順位戦には「自力」「他力」というアヤがあり、それが数多くのドラマを呼んできた。

 自分の勝ち負けだけでなく

 

 「自分が勝っても、競争相手も勝てば昇級できない」
 
 「自分が負けても、競争相手も負けてくれれば降級しないですむ」

 

 といった「相手ありき」の戦いだ。

 こういうとき、人のタイプが出て、そ知らぬふりをする人もいれば、露骨に気にする人もなど様々だが、青野はそういう「他力」をまったく意に介さない。

 頭にあるのは、

 

 「自分の将棋でベストを尽くす」

 

 これのみ。

 青野は昇級がかかっていようが、降級の危機だろうが、自分の結果が出れば、さっさと家に帰って寝てしまう

 これがどんなすごいことかは、わが身に照らし合わせれば理解できる。

 受験の結果、就職が決まるか決まらないか、愛の告白に、大穴に張ったギャンブルの当たりはずれ。

 そういう「人生が変わる」瞬間に、その「結果」を無視して布団にもぐって、おやすみなさいなんて、とてもできるはずがない。
 
 その、いっそ鈍ともいえる豪胆さが、「理論派」の裏にあったのだ。

 こういう性格は「順位戦向き」と言われ、青野の「信用」になっている。

 なぜこれが「順位戦向き」かといえば、タイプ的に全く反対石田和雄九段を見ればよく分かり、こちらのほうは、とにかく気持ちのブレがすなおに出てしまう。

 自分が勝てば昇級の一番でも、競争相手が負けても上がれるとなると、どうしてもそっちに気が行ってしまう。

 また、石田と言えば「ボヤき」が有名だが、不利になると、ところかわまず大声でそれをやってしまう。

 それを耳にした競争相手は

 

 「石田が困っている。ということは、自分が勝てばなにかが起こるぞ」

 

 元気も出てくるわけで、どう考えたってこれは損なやり方だ。

 こればっかりは性格だから変えられないのだろうし、こういった人間くさいところが石田を人気棋士にしたが(弟子たちが精鋭ぞろいなことから、それはよくわかる)、同時に「勝負弱い」とも見られていた。

 それを裏返せば、青野の「勝負強さ」にうなずける。

 青野のことをよく知る先崎学九段も、この次の最終局で田中寅彦八段降級をかけて戦う決戦について(改行引用者)、

 


 この一局、専門筋では青野のりが多かった。

 実力に差があるというのではない。青野のほうが勝負強そうなのである。

 青野には、首を洗って、人事を尽くして天命を待つ、という雰囲気がある。


 

 A級順位戦「裏の華」といえる、命がけの落としあいとなった一戦で、青野はその通りの将棋を披露することになる。

 

 

 

 序盤の機敏な仕掛けを食らい、桂馬がうわずって陣形も中途半端な大山が、すでに指しにくい。

 先手は▲85を助けなければならないが、▲86飛でも、▲86歩でも、△74歩△84歩のような手で、駒損が必至どころか、下手すると角をタダで取られかねない。

 大山は▲86角と引いて、△85飛▲71飛成とすり抜けるが、そこで青野は△72歩と、冷静にを封印。

 次に△74桂から、飛車に成りこまれる筋などがあるから、一回▲78金と辛抱するが、そこで△44角と出るのがピッタリの一着。

 

 

 

 これが青野のねらい筋で、すでに大山がハマっている。

 次に△54歩と突かれると、が死んでいるではないか!

 仕掛けからここまで、完全に読み負けていた大山は▲73歩、△同歩、▲77角△54歩▲72歩(!)と、ヒモをつけねばる。

 

 

 

 

 大山と言えば「忍の一手」がキャッチフレーズで、これぞまさに「順位戦の手」だが、これではどう見たって苦しい。

 以下、飛車を好機に奪った青野が押し切った。

 

 「順位戦向きの強さ」

 

 をここぞとばかりに発揮して、値千金の金星を勝ち取った青野照市は、最終戦でも田中寅彦との

 

 「負けたほうが落ちる」

 

 という血戦(田中は他力で助かる目もあったが、結果的には負けたことによって落ちた)を制して残留を決める。

 一方の大山は、またも危機におちいった。

 これでもし最終戦の桐山清澄九段戦に敗れ、3勝6敗で青野か塚田泰明八段のどちらかに勝たれると(そして実際には2人とも勝った!)、降級が決定してしまうのだ。

 またもや剣が峰に立たされた大山だが、どっこい、ここでもまた大名人は驚異的な精神力を発揮し、観戦者を驚嘆させるのだった。

 

 (続く→こちら

 

 

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巨人伝説vol.1 「A級から落ちたら引退」 大山康晴vs羽生善治 1989年 棋王戦

2022年01月05日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 大名人の最後の勝負術には、シビれるものがある。

 偉大なチャンピオンというのは、その全盛期に圧倒的な力を見せることもさることながら、それを失った晩年にも、執念と呼べるふんばりを発揮することがある。

 「常勝将軍木村義雄は、おとろえの出たキャリア最終盤に、この男だけは名人にさせまいと、「筋違い角」の奇襲でもって指し盛りの升田幸三を退けた。

 また中原誠十六世名人1992年の第50期名人戦で、高橋道雄八段1勝3敗と追い詰められるも、そこから秘術を尽くしてひっくり返した(そのシリーズについては→こちら)。

 そんな数ある伝説に加えて、やはり大名人の晩年といえば、この人を忘れてはいけないだろう。

 そう、大山康晴十五世名人だ。

 
 大山康晴。

 通算1433勝。名人18期をふくむ、タイトル獲得80期

 棋戦優勝44回永世名人永世十段永世王位永世棋聖永世王将の称号も持つ大棋士だが、その偉大さを語るにおいては、全盛期よりも、むしろキャリア晩年を取り上げられることが多い。

 河口俊彦八段の『大山康晴の晩節』をはじめ、「名人18期」の無敵時代よりも、年齢とともに力がおとろえ、

 

 「A級から落ちたら引退する」

 

 と公言する中、その座を最後まで守り続けた、その勝負強さ精神力人間くささ、これこそが感動を呼ぶのだと、主張する人は多いのだ。

 その気持ちがわかる気がするのは、大山がはじめて名人になってからの20年近い無敵時代というのは、調べてみるとあまりにも強すぎて、語るところが、そんなに見当たらない。
 
 しかも本人がまた、その性格やキャラクターから、棋士たちやファンから好かれなかった。

 そのこともまた、「憎らしいほど強い」と周囲のの感情をかきたてたのか、良くも悪くも、

 

 「退屈なチャンピオン」

 

 という、あつかいになってしまうのだ。

 それとくらべると、キャリア晩年の戦いぶりは、これは恐ろしいほどにドラマチックで、スリリング、かつ魅力的。ファンにも大いに愛された。

 私は強かったころの大山は知らないが、晩年の降級(引退)のピンチがおとずれるごとに、おそるべき勝負強さを発揮し、何度も絶体絶命の状況をしのいできたころの「伝説」。

 これはリアルタイムで体感できたので、前回は谷川浩司の受けの妙技を紹介したが(→こちら)、今回は大山晩年の「フィーバー」を語ってみたい。

 


 大山康晴が「本当に降級するのでは」と言われ始めたのは、1985年ころだと言われている。

 1982年の2月にガンが発見され、手術によって1984年からの第43期順位戦で1年の休場を余儀なくされる。

 術後、復帰こそ果たしたものの、年齢も60代をむかえたとあっては、体調面もふくめ

 

 「いよいよ危ないのではないか」

 

 と心配されたが、なんとその不安もなんのそので、大山は降級どころか名人戦の挑戦者になってしまう。

 「大雪の決戦」で米長邦雄十段・棋聖を、強手一発で倒してしまった迫力は見事なもので、「大山健在」をアピール(→こちら)。

 続く第45期順位戦も、前半を5勝2敗とまたもや挑戦権争いにからみ、後半失速したものの勝ち越しで締めくくった。

 こう見ると、やはりその存在感は圧倒的で、私が将棋を知ったのがこの年だったけど(「羽生善治四段」デビュー時だからおぼえているのだ)、落ちるなんて、まだリアリティーがなかったものだ。

 だが、そのスーパーレジェンドも、60代を半ばにするころから、さすがにおとろえは隠せず、次第に「下を見る」戦いを余儀なくされていく。

 1987年第46期A級順位戦では、前半こそ2勝2敗とまずまずの出だしだったが、そこから3連敗を喫してピンチにおちいる。

 このときは直接対決で森雞二九段に圧勝し(その将棋は→こちら)、なんとか切り抜けた。

 

 

 続く、第47期順位戦こそ、6勝3敗で挑戦権争いにくわわったものの、続く48期順位戦ではまたもやピンチに立たされる。

 1勝4敗とスタートダッシュに失敗し、さすがの大山も相当な危機感を感じたそうだ。

 そこから力を発揮し、内藤國雄九段高橋道雄八段を破って浮上。

 あとひとつ勝てば残留が確定する、というところまでこぎつけ、次が大一番になるというのが、8回戦の青野照市八段戦。

 37歳の青野も星が伸びず、2勝5敗と下から2番目の降級圏内に留め置きを食らっている。

 この大山戦に負けると、9分9厘落ちるという崖っぷちだが、勝てば「お仲間」をひとり連れてこれると同時に、最終戦で3勝4敗の田中寅彦八段との直接対決を残すため、助かる目が出てくる。

 この勝負、端から見れば大山が有利なはずである。

 青野はA級通算5期目ではあるが、そのはなかなか厚く、まだ1度しか勝ち越したことがない。

 そして今期もここまで、まだ2勝と、名人挑戦をねらうどころか、降級争いの立場。

 一方の大山は、言うまでもない大名人。くぐり抜けた修羅場の数でも圧倒的。

 しかもこの少し前の将棋で、飛ぶ鳥落とす勢いの羽生善治六段に快勝している。

 

 

1989年、12月の棋王戦。
勝者組の決勝という大一番だが、なんとこれが投了図で、羽生の「早すぎる投了」として話題になった。
感想戦で「まだ投げなくていいだろ」と羽生側を持った米長と大山が、張り合うように手を示しあい、一種の「疑似対局」が見られた。その様子は羽生曰く、

 「感想戦でもガチンコ勝負という感じでかなり怖かった」

 鈴木宏彦さんの「イメージと読みの将棋観」によると、郷田真隆九段をはじめ、トップ棋士たちのほぼ全員が「先手苦しい」というが、「でも、まだ投げるほどではない。自分なら指し続けます」と衆目一致で、やはり謎は残ったまま。
これで勢いに乗った大山は、挑戦者決定戦で田丸昇八段を一蹴し、なんと66歳(!)でタイトル戦の挑戦者に。

 

 

 単純な数字だけで言えば、これはもう大山ノリであろうと。

 ただ、簡単にそうとも、言い切れないところもあった。

 その理由は、青野の持つ独特の「勝負強さ」だ。

 

 (続く→こちら

 

 

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独身貴族の寝正月日記 高倉健/エラリー・クイーン/江夏豊/レニ・リーフェンシュタール/木枯し紋次郎/ヘニング・マンケル 登場

2022年01月02日 | 日記

 正月である。

 私は年末年始が好きで、冬休みと言うこともあるが、27日くらいからの、

 「これで1年も終わりかあ」

 という感慨のようなものが、なんとなく心地いいのだ。

 その意味では、年始よりも年末を好むタイプなのだが、まあやることは同じで、家でゴロゴロしているだけ。

 まさに、栄光の寝正月ということで、今回はそんな1日を。

 

 ■1月1日の日記

 

 朝10時起床。

 起き抜けに、最近ハマっているポン・ジュースのウェルチと豆乳紅茶。初詣とかは、特に行かない。

 私は人生で一度も「初詣」というのをしたことがない人種であり、昔は誘われることもあったけど、全断り。

 寒いし、人混みはしんどいし、みんな、よう行くなあ。

 そういや、学生のころ元旦に初詣行って、その帰りに車上荒らしにあった人がいたて、まさに新年を飾るにふさわしい、すばらしすぎるスタートダッシュを見せてくれた。

 気の毒ではあるが、なぐさめようにも、話がよく出来すぎていて、同情より笑いが先に出てしまう二次遭難なのが、また困りものだ。 

 なんて懐かしい気分にひたりながら、なんとなく昔の江夏豊のピッチング動画など見る。

 明らかに、M−1グランプリで真空ジェシカがやったネタのせいだが、元近鉄ファンとしては、「江夏の21球」には複雑な思いが。

 とはいえ、すばらしい戦いだし、山際淳司さんの名文は何度も読んで、気分はマゾ。

 あとは、オススメで出てきた阪神-東映や、巨人-西鉄の日本シリーズの動画など観る。われながら意味不明のチョイスだ。

 朝食はインスタントコーヒー、くるみパン、リンゴにゆでたまご。

 BGMはスマホに入れてる曲を適当に。ヤンタンのテーマとか、くるりのワンゲルとか、『ロマンシング サ・ガ』のバトル曲とか、木枯し紋次郎キング・クリムゾンなどなど。

 午前中は映画を観る。『がんばれ!ベアーズ』。

 何度観たかわからないけど、それでもおもしろい。

 ルーパス君がフライをキャッチするあのシーンも、もちろんいいんだけど、不良少年のケリー君が、ベアーズの黄色いユニフォームを着ると

 「ただのかわいい男の子」

 にしか見えなくなるギャップもステキ。

 ベアーズといえば、ガイナックスの創立メンバーで、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の監督もつとめた山賀博之さんが、淀川長治先生の、

 

 「同じ映画に10回観れば、映画監督になれる」

 

 というアドバイスに影響を受けて観たのが、『がんばれ!ベアーズ 特訓中』だったという話。

 なんで『特訓中』やねん。ふつうに『ベアーズ』観ろよ! と、メチャクチャに笑ったものだった。  

 『猿の惑星』じゃなくて『続・猿の惑星』。『スピード』じゃなくて『スピード2』。10回観たのが、すごいと思います。

 調子が出てきたので、これも何回観たかわからない『新幹線大爆破』。

 高倉健さんといえば、おぼえているのが、吉田豪さんがラジオで話していたエピソード。

 なんでも、東映時代に健さんの舎弟だった人が、

 「雪山で放り出されて、その後を武装した健さんが、銃声を鳴らしながら追いかけてくる」

 とかいう体験を語っていて、腹かかえて笑ったもんだ。

 すげーなー、昭和やなー。てか、それただのホラー映画だよ!

 この話のすごいのは、当時の東映では健さんは「まじめな男」という評価で、このテキサス・チェーンソーが「まじめ」なら、他の連中はどうだったのか。

 なんとなくカーテンを洗濯して、昼食。

 コンソメスープの素をお湯に溶かして、そこにトマトを1個入れ、あとは玉ねぎ、鳥肉、ナス、キャベツなど、テキトーにぶちこんで、オリーブ油と黒コショウをたっぷり。

 ダイエット成功のMVPでもある、アバウトなトマトシチューの出来上がり。

 私は料理のセンスが無いので、味はたいしたことないが、とりあえず体は温まって栄養も満点。

 食べながら、YouTubeにあがっている海外の風景動画を見る。

 今のもいいが、古いものが4Kになっているのもありがたく、1945年ハンブルクやら、1930年ワルシャワやら、1908年モスクワやら、1940年代東京

 昔、氷室冴子さんが、昭和天皇が亡くなったときにずっと流れてた「昭和を振り返る」みたいな映像を一週間くらい、ぶっ続けで見ていたとかエッセイに書いていて、子供のころは、

 「なにがおもろいんやろ」

 と不思議だったけど、今思うと、それ絶対おもしろいやろ。

 そら見るわ。『映像の世紀』とか、ヒマなときずっとBGVにしてるし。

 食後は少し昼寝。午後からはコーヒーを飲みながら、ひたすら読書。

 エラリー・クイーン『災厄の街』を再読。

 エラリー様はもともと苦手で『靴にすむ老婆』と、『フランス白粉の秘密』『十日間の不思議』くらいしか読んでなかったけど、『オランダ靴の秘密』のあざやかな「論理性」に感動し、一気にハマった。

 その後『ローマ帽子の秘密』も当然アタリ。

 あと本棚には『Xの悲劇』『九尾の狐』があって、『十日間』も読み直す予定で、楽しみ楽しみ。

 ノッテきたので、ハシゴ読書と次は若島正先生の編んだチェス小説集『モーフィー時計の午前零時』

 ヴィクター・コントスキーのバカ小説が絶品。タニス・リーの優雅なファンタジー世界に、しばしウットリ。

 夕食は、年越しそば用に買ったダシを使ってキムチ鍋。

 キムチとコチュジャンを山盛り入れ、白菜、エノキ、豚肉、モヤシ、ニラ、ネギ、タマゴを汗だくになってやっつける。

 こんなもん、うまいに決まっているのである。シメはうどん。はち切れるくらい、お腹いっぱい。

 食後はパソコンを開く。お茶しながら、YouTubeやラジオなど。

 レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』とか、『オリンピア』をダラダラ観る。

 レニのやったことに「責任」があるかどうかは、私にはむずかしくてよくわからないが、この才能が埋もれることになったのは、ただただもったいなかった。

 寝る前に少し読書。ヘニング・マンケル『リガの犬たち』

 最近、また北欧ミステリに興味が向いてきて、アーナルデュル・インドリダソンとかkindleで買い直したりした。

 ラーシュ・ケプレルとか、また読み直そうかなあ。ただ、北欧ものは、土地柄か陰惨な事件をあつかった物語が多いのがなあ。

 とかなんとか言ってるうちに、眠くなってきたんで、湯たんぽのお湯をわかしながら、今調べている将棋のちょっと大きめのネタについて、長くなりそうだけど、どこをけずるか、それともいっそ全部書いちゃうかとか考える。

 布団の中で、ダラダラとスマホをいじり、年末にオールザッツ漫才でやってた、エルフの2本目のネタが妙にしみるね、なんて思い出しながら、眠りに落ちていった。

 

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