風がとても冷たかった1月19日日曜日、
「今できることプロジェクト」情報発信型支援バスツアーに参加し
名取市閖上に行きました。
閖上は、私の30年来の友人の実家があったところ。
彼女の3人の従姉妹が逃げ遅れて亡くなってしまったことを、
震災後に彼女から聞き、なかなか足を踏み入れることのできない地でした。
実際、私がこのプロジェクトに参加しようと思ったのは
行こう行こうと思いながら行きそびれていた
「閖上港朝市」の活気ある今の姿を見たいと思ったからです。
人の声が飛び交う市場の喧騒が大好きで、
新鮮な海の幸を見ているのも幸せ
どれを買おうか、と品定めをしている時間が大好きで
市場の人間臭さがいっぱいの雰囲気にいつしか溶け込んでいってしまう
そんな、、、市場というものが大好き。
朝市で買い物をしたいという気持ちで参加してしまったわけですが、
今思うことは、、、
実際に震災を経験して、それを乗り越えてきた人たちの熱き思いを
情報発信することの難しさです。
日和山(標高6.3メートル)より。
震災後の何も無くなった様子を背景に
震災前の住宅が沢山建っている写真を見せながら
震災当時のお話をなさる語り部の格井さん。
(手に持ってらっしゃるのは「閖上震災を伝える会写真集」)
ここ閖上地区だけで800人もの尊い命が失われました。
そして、この日和山には石碑が建立されていたそうです。
石碑に書かれていた言葉は
「地震があったら津波の用心」
昭和8年3月3日午前2時30分突如強震あり。鎮静後約40分にて
異常の音響と共に怒涛澎湃し来たり。
水嵩十尺、名取川を遡上して・・・(以下省略)
しかしながら、、、石碑の存在は殆ど知られてなかったそうです。
「食料が必要だから」と、、、閖上港朝市の再建を震災後2週間で手がけた、
協同組合櫻井理事長さんの熱き熱き思い。
震災時の津波が押し寄せる様子がビデオで流れ、
切迫感のある悲鳴が心に突き刺さり、
最前列で見ていた私は涙が止まらなくなってしまいました。
それでも、あの震災で得た教訓を伝えようと・・・
また何年後かに必ずやってくる震災時に、一人ひとりが自主的に、
自分の命、家族の命を守ることができるようにと・・・
強い口調でお話をしてくださった櫻井さんの思いを
ここで少しでも伝えていきたいと思います。
1 震災時には、通行止めなどの道路事情は分からない。
亡くなった方の多くが、渋滞に巻き込まれて津波に襲われた。
「津波がきたときは、家も車もすべて捨ててください。」
2 避難誘導で動いた消防隊員、民生委員、警官、避難誘導に携わった
人たちの多くが震災で命を落とした。
避難誘導の時には、誘導する人が命を落とさないように
「全員撤収」の時を決めるべき。
3 家族で何か会った時には、連絡方法を必ず決めておくこと。
今一緒に暮らしていても、先々別々に暮らすこともあるから
その時にも家族の連絡先は必ず決めておく。
4 今の避難訓練の見直しが必要。避難訓練に来るのは、お年寄りだけ。
行政は、避難訓練をしたという結果があればそれでいい。
5 震災後は治安が悪化するので、自警団を結成して、自分たちの命は
自分たちで守っていかなくてはいけない。
6 なんといても水の確保を考えることが大切。
特にミルクが作れないことが一番大変だった。
7食料の配給は民間主導で、行政は見守りの体勢でよい。
特に買い物もしたことのない人が配給をすると、
納豆1パックに3つあることも知らずに、、、
あるところでは納豆が余るほどあって、あるところでは
納豆を見たこともない、という不公平が至るところで発生した。
8 「想像してみてください。」
孫をとってもかわいがっていたおじいちゃん、おばあちゃん、
娘の軽自動車の中で1か月後に3人は見つかった。
津波が来た時、孫が泣き叫び、おじいちゃんおばあさんの気持ちを・‥‥
「想像してみてください。」
子供をなくしたお母さんの気持、、、
「想像してみてください。」
今でも自分の責任として、、、自分を責めている親の気持ちを
「想像してみてください!」
震災を経験した人にとっては「震災は死ぬまで忘れることのできないこと」
震災を経験しなかった人にとっては「震災の記憶はすでに風化しつつある現実」
そう、、、私もすでに後者に入っていたわけですが、今回参加したことで、
震災後3年たった今でも震災の記憶を残そうと日々活動している方が
いらっしゃるという現実を知ったことだけでも、貴重な経験をしたと思います。
この日は風が強く、肌を突き刺すほどの寒さでしたが、
人の手のぬくもりが感じられる食べものというものは、
なんて心を暖たかくしてくれることでしょう。。。
強風の中朝市の方が火を熾してくれ、大粒のホタテを焼いてくれました。
『株式会社 ささ圭さん』にて
ささ圭さんはすべての工場と本社が閖上にあったため
震災ではすべてを失ってしまったそうです。
唯一残ったのが、賃貸で借りていたこの販売店だそうです。
化学調味料無添加のすり身を石臼で練り合わせて
一枚一枚成形して手焼きにした
手わざかまぼこ「希望」を・・・
ささ圭の従業員の方々で炭をおこしてくれ、手焼き体験をさせてくれました。
かまぼこをゆっくりと焼いていくと、ぷくっとお餅のように膨らんできて、
赤ちゃんの肌のような優しい味を噛み締め噛み締め、頂きました。
そして、このツアーから自宅に帰ってくるとすぐに
自宅の電話が鳴り・・・
「志保子さ~ん、お元気ですか?」と。。
そう、閖上に実家があった友人の懐かしい声。
いや、ほんとびっくりしました。
彼女と話すのもかれこれ1年ぶり。
「Oちゃん、今日ね、、、私、閖上に行ってきたよ」
「えっ、そうなの。わたしも、今日6時頃に閖上朝市に行ってきたんだよ。」
「え~~そうなんだ、じゃあ数時間違いだったんだね」
「今でも、何ヶ月に一回は朝市に行くんだ。
途中に斎場があるから・・・
気持ちがどうしても落ち込むんだけど、、
それでも人の活気を感じられる朝市に行きたくなっちゃう」
・・・と二人の会話は続いて・・・
閖上港朝市とカナダの支援で建設されたメイプル館の看板
櫻井さんが言っておりました。
「ただここに来てくれるだけでいい。
ここにきて遊んでほしい。
ここに来て、ここのものを買ってくれたら嬉しい。
被災者である私達は・・・忘れ去られることが悲しいんです。」と。。。
【関連資料】
○「閖上震災を伝える会写真集」発行人 閖上震災を伝える会
電話番号 070-5323-0455
○株式会社ささ圭さん 手わざ笹蒲鉾注文先 電話022-784-1239
http://www.sasakei.co.jp/ (ネットでも注文できます)風がとても冷たかった1月19日日曜日、
‘閖上’の地名・・・・、
日和山から何もかも津波にのみこまれていく様子を
為すすべも無く凍えるような寒さの中、
戦慄を覚える光景を目にした方々の思いは
言葉に言い表すこともできないものだったと思います。
こうして、いしころとまとさんが記事にしてくださったことで
また、だれもが‘風化させてはいけない’という思いを
強く持たれたことと思います。
大切ですね、この経験を風化させないこと・・・・・。
ありがとうございました。
閖上朝市行ってみたいですね!
「今できることプロジェクト」情報発信型支援バスツアー
この企画自体が凄いことですね
そこの参加してるいしころさんにも頭が下がります
市場の独特の活気は良いですよね
オイラも何十年も市場に通っててあの雰囲気は朝から元気がもらえましたよ
赤文字の言葉は忘れないように肝に銘じておきます!
最近ではコッチも地震が多くて何か嫌な感じがしますよね
関東で大きな地震が来たらまた違う意味で大きな被害が出るんでしょうね
想像もつかないくらいです
出来る事なら来ないであってほしいものです。
あの頃は震災の映像も怖くて見ることできなかったです。
ユーチューブではずいぶん流れてましたが、、、
心臓がバクバクなってきて、ダメでした。
言葉では伝えきれないことがいっぱいですので
急いで動画を載せました。こちらをご覧になってくださいね。
ちなみに私は映っておりません。被写体としてはね~~
あまり耐えられないか・・・(笑)
変わってしまうことは悲しいですよ。
私も市場が大好き。ホント元気もらえますよね。20代から喫茶店にいくなら、市場でしたよ。
子供ができてからもそう。
市場に連れて行くとホント元気になって
熱々のコロッケ食べてました。
はい、まだまだ注意するべきことが多かったです。
そちらだと第2次災害として火事が発生しますので、
それが怖いそうです。なるべく広い所に行ってくださいね~。。災害はいつ来るかわからないですよ。
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)て読むのですね。
昭和8年3月3日午前2時30分に地震があたのですね。
びっくりです~~。
東日本大震災は原発、津波・・・
地震があってテレビ放送されていて、
すごい大変な事が起きている・・・
いしころとまとさんは、テレビ放送は、
後でご覧になってビックリなされた事と思っています。
阪神・淡路大震災阪神・震災から19年1月17日
19年目です。
知らない子供達がいる様になったとテレビでも行っていました。
又この頃、地震が何処かで起こっています。
地震が何十年先か・・・明日起こるかもしれない・・・
日本ですよね。
いしころとまとさんが、「今できることプロジェクト」
情報発信型支援バスツアーにいかれてこの様に
いろいろかかれて入る事は大事なことですよね。
今自治体でも防災訓練が行なわれてきています。
以前より・・・
まだまだ、東日本大震災の被害に逢われての復興が遅れていますよね。
もっと早く出来ないものかといつも思っています。
早いものです。当時父が弟の様子を見に
行ったのですが、叔父はもう亡くなり
父ももう86歳になりました。
当時は全く状況が分らなくって
それでも、震災翌日の号外を近くの新聞販売店で
手に取ることができ、見たときは
現実とは信じることができませんでした。
防災訓練も若い人たちが参加しなくては
といってらっしゃいましたよ。
復興もまだまだですね。。。
ほんとまだまだです。