中国では、未だ持って子供時代には幼名を使い、その頭に小をつける。
名前を呼ぶときには、『小~~』「シャオ~~」と言うわけである。
日本の、領海侵犯『漁船』に対する対応で、すっかりこの『シャオリーベン!』
と言う、呼び名が中国国内には定着したようである。
文章表現で、私の意図する所を良く表しているようですので、今日も
他人のブログより、引用いたします。
酒が、オイシイどころの話ではないのですが、誘惑には勝てません。
今日も、ストレスを蓄積しないほど、眠れそうです。
*** 以下引用 下記ブログより ***
http://homepage2.nifty.com/kamitsuki/index.htm
「後藤(象二郎)のような自尊心に満ちた相手に対しては礼儀ある態度をとり、おなじ日本人でも哀れみを乞うような交渉相手には悪鬼羅刹(らせつ)のような態度をとるらしい」。 幕末の日本を訪れたイギリス公使パークスを、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』のなかで評している」
これは中国側が丹羽宇一郎・駐中国大使を真夜中の午前0時に呼び出したことについて、産経抄に書かれていた話です。 そして話はパークスと西郷隆盛の会合の場面になります。
「西郷は、机に足をのせたまま人と話すパークスの態度を、あるときまねて、お互いに無礼をやめようと諭した」
中国に対する昨今の日本政府の対応と比べるとまさに隔世の感があります。 中国の高圧的な態度に屈して、日本国内の反中デモも報道させず、ビデオの一般公開もせず、ひたすら中国のご機嫌を損ねまいとする態度は一時的な平和を得ることはできるかもしれませんが、失うものも大きいと思います。 膨張を企てるナチスドイツに対するチェンバレン英首相の悪評高い宥和政策が思い起こされます。
尖閣の事件を通じて中国は「小日本」は威圧すればおとなしく言うことを聞く国だ、と「学習」したことでしょう。 たとえ中国政府が冷静であっても「おとなしい小日本」を学んだ中国国民の感情につき動かされる可能性は十分あると思われます。 中国国民の学習が日本にとってプラスになる筈がありません。
日本の対応を大人の態度と評価する向きがありますが、屈服することによって相手が態度を和らげないばかりか、さらに居丈高になった場合は大失敗というべきです。 個人の間でも低姿勢に出ればいっそうつけあがる人は珍しくありません。
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*** 以下引用 終 ***
その中国指導層の学習内容は、ロシアで再認識され、東南アジアで各国の態度は「最早、日本の指導層は、当てにならない。」と言うことに、帰結している。
そんな日中の交渉の流れをみると、当地の土地争いの解決法が、恫喝と狡猾な手段に尽きると言う『ドン百姓』の土地争いを、スケールアップしただけの現実と大した変わりが無いという結論に行き着く。
そんな相手には、相手より大きな声で、相手より多い味方を応援に、正義を守護霊として、その正義を弁舌で世界に訴えなければいけない。
『カラ元気』で世界を乗り切れるほど甘くはない。 新左翼主義者達は、誰かに守られた上での『カラ元気』・・・ 自らが、自らの身を守ろうとする気概が有るのか無いのか・・・ 。
中国の、チベットと東トルキスタンにおける、或いは内モンゴルにおける、非人道的な行為、これらは後世の歴史家から見れば、極悪非道は間違いの無いことで、日本政府はもっと良心に沿った動きと共に、声を上げるべきであろう。
もちろん、中国側は嫌がるかもしれないが、ノーベル平和賞受賞者のの『解放』の件でも・・・ 。