仙石官房長は、自衛隊を『暴力装置』と言い放った。
まさに、言い放ったと言う言葉以外、彼の独善をあらわす言葉を知らない。
彼の出生地の阿波の国ではインフラ整備が進み、災害時の自衛隊派遣など不要だと言うことが、前提にあるのだろう。
自衛隊を人の組織として見ていないことの思いが、発言に出るのだろうか。 自衛隊員にしても一人ひとり、心が有り、思いが有ることは、海上保安官と同じであろう。
ちょっと前には、社会党の『村山富市総理大臣』が関西大地震のとき、自衛隊の災害派遣に躊躇した為に6000人余りの犠牲者が出たことを、我々は強く心に留め置かなければならない。 そのことを、決して忘却の彼方へ押しやってはならないのではないか。
そのくらい総理の職務と云うものは、重く、責任を負わされているものであろう。 村山総理は、6000人余りの犠牲者にどんな責任を負ったのか。 なにも・・ん、謝罪さえも聞いた覚えが無い。
仙石氏は、時々総理大臣に間違われている現状で、もし同程度の災害が発生したら、あるいはピストルを持った暴漢が彼の家を襲ったら、どうするつもりなのだろうか。
『警察も暴力装置の組織だから、わしは当てにしない』と云うならそれもいいだろう。 被害が、『彼・自・身』だけに及ぶのならそれで良いのだろう。
しかし、ことがデリケートに国際関係に及ぶ場合、その影響は日本国民の子々孫々に及ぶことになる。
『木を見て森を見ず、森を見て木を見ず』これが経済学で言うところの『ミクロとマクロ』の違いであろうか。
まさに、仙石総理大臣まがいは、この ミクロの塊なのであろう。 物事を大局的に見た場合のことは考えず、個々の事案が『法』に照らしてなんらの矛盾が無いことのみを『声高に言い続けている』。 しかし、それが結果的には誤りとなる、すなわち『合成の誤謬』と云われることもある。 そんなことは、百も承知のことではありながら、職業柄『ミクロ』に物事をつめることしか出来ないのではないか。
同業者の、多くの建築設計屋さんを見るたびに、思うことはやはり『木を見て森を見ず』的な、予算に縛られた物事にしか見られない人と、『森を見て木を見ず』的に、概観あるいはデザイナー的見地からの設計しか気を配らない設計屋かの、大まかに見たら2種類にはっきり分かれる人が多いことである。
いずれにしても建築物を建主の思いを、空間軸の縦軸と、予算軸の横軸にバランスよく綺麗に纏められる人は少ない。
政治家にしても同様…。 一人『経済学』を研究する人達だけが『マクロとミクロ』を綺麗に両面から見つめて居るような感じがする。
現、官房長ほどのお年の方なら、今更、他人の意見を聞く耳を持たないほどの自信をお持ちとは思うが、それが命取りの災いとなるのではないか。
まさに、言い放ったと言う言葉以外、彼の独善をあらわす言葉を知らない。
彼の出生地の阿波の国ではインフラ整備が進み、災害時の自衛隊派遣など不要だと言うことが、前提にあるのだろう。
自衛隊を人の組織として見ていないことの思いが、発言に出るのだろうか。 自衛隊員にしても一人ひとり、心が有り、思いが有ることは、海上保安官と同じであろう。
ちょっと前には、社会党の『村山富市総理大臣』が関西大地震のとき、自衛隊の災害派遣に躊躇した為に6000人余りの犠牲者が出たことを、我々は強く心に留め置かなければならない。 そのことを、決して忘却の彼方へ押しやってはならないのではないか。
そのくらい総理の職務と云うものは、重く、責任を負わされているものであろう。 村山総理は、6000人余りの犠牲者にどんな責任を負ったのか。 なにも・・ん、謝罪さえも聞いた覚えが無い。
仙石氏は、時々総理大臣に間違われている現状で、もし同程度の災害が発生したら、あるいはピストルを持った暴漢が彼の家を襲ったら、どうするつもりなのだろうか。
『警察も暴力装置の組織だから、わしは当てにしない』と云うならそれもいいだろう。 被害が、『彼・自・身』だけに及ぶのならそれで良いのだろう。
しかし、ことがデリケートに国際関係に及ぶ場合、その影響は日本国民の子々孫々に及ぶことになる。
『木を見て森を見ず、森を見て木を見ず』これが経済学で言うところの『ミクロとマクロ』の違いであろうか。
まさに、仙石総理大臣まがいは、この ミクロの塊なのであろう。 物事を大局的に見た場合のことは考えず、個々の事案が『法』に照らしてなんらの矛盾が無いことのみを『声高に言い続けている』。 しかし、それが結果的には誤りとなる、すなわち『合成の誤謬』と云われることもある。 そんなことは、百も承知のことではありながら、職業柄『ミクロ』に物事をつめることしか出来ないのではないか。
同業者の、多くの建築設計屋さんを見るたびに、思うことはやはり『木を見て森を見ず』的な、予算に縛られた物事にしか見られない人と、『森を見て木を見ず』的に、概観あるいはデザイナー的見地からの設計しか気を配らない設計屋かの、大まかに見たら2種類にはっきり分かれる人が多いことである。
いずれにしても建築物を建主の思いを、空間軸の縦軸と、予算軸の横軸にバランスよく綺麗に纏められる人は少ない。
政治家にしても同様…。 一人『経済学』を研究する人達だけが『マクロとミクロ』を綺麗に両面から見つめて居るような感じがする。
現、官房長ほどのお年の方なら、今更、他人の意見を聞く耳を持たないほどの自信をお持ちとは思うが、それが命取りの災いとなるのではないか。