ラジオの話の続き。
アニーズガーデンというバンドは、なにしろ、お客さんをたくさん集めなければならなかった。
メンバーにドラムがいないままにライブをやることになり、急遽マコ先生が加入。
2回のワンマンライブが成功して、所属する事務所が決まった。
そしたら今度は東芝EMIのお偉いさんが観に来るってんで、3回もライブをやらなければいけなくなった。アニー、炎の三番勝負!・・・富沢一誠がそう名付けた。
メジャーレーベルのお偉いさんが来るわけだから、お客さんはさらにたくさん呼ばなければならない。
とにかく、とにかく、大変だったのである。
お客さんは呼ばなきゃならないし、新曲は作らなきゃいけないし、ライブに向けてのバンドの練習もしなければいけないし、夜勤の仕事はあるし、たまにラジオの収録だってあるし、週末には、アニーの宣伝のために路上ライブもやり始めていたし・・・とにかく大忙しデイズだったのである。
ライブの前になると、僕はライブの案内ハガキを送った。多い時は200枚くらい。全部のハガキに手書きのメッセージを書き添えた。それはそれは大変な作業である。「どうせ来ないだろうなぁ・・・」と想いながらも、ひたすらに書くのである。
ミホも100枚くらい送っていたから、都合300枚ほどのライブ案内状が、アニーズガーデンから発送されていたわけである。
果たして、その成果はあったのか?
答は・・・「あった」
成果はあったのである。
多い時は、200人もの人がアニーズガーデンのライブに足を運んでくれた。そこらへんのプロも顔負けの数字である。
ハガキ300枚で200人のお客さん。これは、とてつもなく凄いことだと、僕は思う。
先日の下北沢ラウンでのソロライブ。
見たことのあるような気がする人物が、ラウンの入り口に立っていた。
気になって声をかけてみると・・・
なんと。なんと。
前出のラジオのデモテーププレゼントの応募者二人のうちの一人。「おおたかなめ」君ではないか!
10年近くぶりの再会である。
つまり、どうして、アニーズガーデンのライブの案内ハガキのことなんかを思い出したのかというと・・・
そのハガキ、僕が出したハガキを、おおたかなめ君が持ってきてくれたからである。
その他、もろもろのアニーグッズ。ライブ来場者への記念キーホルダーの束や、その他もろもろ。
ファイルに綴じてあったり、袋に入れたり、おおたかなめ君は、その全部を、大切に保管していてくれたのである。
懐かしの案内ハガキには、往時の僕が書いた文字が躍っていた。
15~6年も前の、僕が、そこにいた。
その一生懸命さと必死さと、いろいろなものがそこに横たわっている。
おおたかなめ君は、初めて、シングのライブというものを目にしたわけである。
歌っている人が違うのである。ミホ、ではなく、シング、なのである。
セットリストを一曲変更した。おおたかなめ君リクエストの「卒業」を、歌った。久しぶり過ぎて、歌詞の2割を間違えたけど、まぁ、相対的には合格である。なんといってもソウルがこもっているからね。
おおたかなめ君は、「また来ます!」と言ってくれた。
それが、何よりも嬉しい。
アニーズガーデンのやったこと。自分がやってきたこと。長い時間を費やしてやり続けてきたこと。
その証みたいなものを感じた夜だった。
また会えたらいいなぁ。
SATOさんとおおたかなめ。午前3時の奇跡は、二つあったのである。
その奇跡は、二分の二の確率でその後に続いていったのである。
おわり。
アニーズガーデンというバンドは、なにしろ、お客さんをたくさん集めなければならなかった。
メンバーにドラムがいないままにライブをやることになり、急遽マコ先生が加入。
2回のワンマンライブが成功して、所属する事務所が決まった。
そしたら今度は東芝EMIのお偉いさんが観に来るってんで、3回もライブをやらなければいけなくなった。アニー、炎の三番勝負!・・・富沢一誠がそう名付けた。
メジャーレーベルのお偉いさんが来るわけだから、お客さんはさらにたくさん呼ばなければならない。
とにかく、とにかく、大変だったのである。
お客さんは呼ばなきゃならないし、新曲は作らなきゃいけないし、ライブに向けてのバンドの練習もしなければいけないし、夜勤の仕事はあるし、たまにラジオの収録だってあるし、週末には、アニーの宣伝のために路上ライブもやり始めていたし・・・とにかく大忙しデイズだったのである。
ライブの前になると、僕はライブの案内ハガキを送った。多い時は200枚くらい。全部のハガキに手書きのメッセージを書き添えた。それはそれは大変な作業である。「どうせ来ないだろうなぁ・・・」と想いながらも、ひたすらに書くのである。
ミホも100枚くらい送っていたから、都合300枚ほどのライブ案内状が、アニーズガーデンから発送されていたわけである。
果たして、その成果はあったのか?
答は・・・「あった」
成果はあったのである。
多い時は、200人もの人がアニーズガーデンのライブに足を運んでくれた。そこらへんのプロも顔負けの数字である。
ハガキ300枚で200人のお客さん。これは、とてつもなく凄いことだと、僕は思う。
先日の下北沢ラウンでのソロライブ。
見たことのあるような気がする人物が、ラウンの入り口に立っていた。
気になって声をかけてみると・・・
なんと。なんと。
前出のラジオのデモテーププレゼントの応募者二人のうちの一人。「おおたかなめ」君ではないか!
10年近くぶりの再会である。
つまり、どうして、アニーズガーデンのライブの案内ハガキのことなんかを思い出したのかというと・・・
そのハガキ、僕が出したハガキを、おおたかなめ君が持ってきてくれたからである。
その他、もろもろのアニーグッズ。ライブ来場者への記念キーホルダーの束や、その他もろもろ。
ファイルに綴じてあったり、袋に入れたり、おおたかなめ君は、その全部を、大切に保管していてくれたのである。
懐かしの案内ハガキには、往時の僕が書いた文字が躍っていた。
15~6年も前の、僕が、そこにいた。
その一生懸命さと必死さと、いろいろなものがそこに横たわっている。
おおたかなめ君は、初めて、シングのライブというものを目にしたわけである。
歌っている人が違うのである。ミホ、ではなく、シング、なのである。
セットリストを一曲変更した。おおたかなめ君リクエストの「卒業」を、歌った。久しぶり過ぎて、歌詞の2割を間違えたけど、まぁ、相対的には合格である。なんといってもソウルがこもっているからね。
おおたかなめ君は、「また来ます!」と言ってくれた。
それが、何よりも嬉しい。
アニーズガーデンのやったこと。自分がやってきたこと。長い時間を費やしてやり続けてきたこと。
その証みたいなものを感じた夜だった。
また会えたらいいなぁ。
SATOさんとおおたかなめ。午前3時の奇跡は、二つあったのである。
その奇跡は、二分の二の確率でその後に続いていったのである。
おわり。