たとえば、つい最近、肋骨を二本折ったという話を書いた。
これは自己診断である。病院へは行っていない。だから、嘘かもしれない。
がしかし、なぜ肋骨が折れていると自己診断したかというと、肋骨を折ったことがあるからである。そう、肋骨が折れるとどうなるかを知っているのである。
だから、まぁ、「あぁ、これは肋骨、いっちゃったな」的な診断が出来るのである。嘘かもしれないけど。
さて、スネの痛みの話。
当初から、予感はあった。痛みの具合から予想はしていた。
たぶん、疲労骨折だと思う。たぶん、折れていると思うよ。脛骨が。脛骨っていうのは、スネの骨ね。
でも、スネの骨を折ったことがないし、疲労骨折もしたことがないから、あくまでも、多分。多分、折れている。
たとえば、肋骨が折れても病院へは行かない。行っても何もしてくれないから。
たとえば、足の甲に大火傷を負っても、病院へは行かない。やってくれることなどたかが知れてるから。
たとえば、腰痛で動けなくなったとしてと、病院へは行かない。痛み止めを打たれて安静にしてなさいと言われるだけだから。
たとえば僕は、そんな風に生きている。そんな風に生きてきてし、そんな風に生きている。
でも、こういう時は思ってしまうよね。あぁ、病院へ行ってレントゲンを撮ってもらいたい。脛骨が疲労骨折をしている写真を見てみたい。そして、何かしらの処置をしてもらって、次に疲労骨折をした時に活かしたい。
とかね。
でもね、病院へは行かない。だって、こんなもの、放っておけば治るのだから。
信じるのは、人間の持つ、自然治癒力。
今日は、畑にいる時から、すごく痛かった。すごくね。
今日は歩くのは辞めようと思ってました。あまりに痛いから。
でもね、さっきね、「やっぱり歩くか!」と思ってさ、軽く着替えて、颯爽と出かけたよね。
50メートルくらいかな。引き返したね。あまりに痛くて。50メートルを戻ってくるのに苦労するくらい。
あぁ、これは・・・間違いなく折れてるな。ってね。
疲労骨折しているとして、疲労骨折をしている足で、この六日間で60キロくらい歩いてしまった。そう、骨折しているとしたら歩き過ぎだ。骨折しているとしたらね。
さぁ、今夜は安静にしよう。
明日の朝起きて、腫れが収まってたら、その時に歩こう。
そういうフレキシブルさが大事だ。
あぁ、早く治らないかなぁ、足。
なんだかなぁ、腫れのボッコリがひどくなってるなぁ。
おわり。