ハードルが高いという言葉がある。
いやぁ、これはハードルが高いなぁ・・・とか、そういう風に使う。
台湾を歩いている。
台湾では、日本語も英語も通じないという話は書いた。
食堂に入る。言葉は通じない、メニューを見ても、意味がわからない。これは何?と聞くことも出来ない。食べたいものがあって入ったとしても、それがメニューのどれなのかがわからない。
ハードルが高いなぁ、と思うことが多々あるのである。
嘉義の街にいる。
夜の嘉義を歩いていた。
通りがかり、20人くらいよ行列の屋台の横を通り過ぎる。
なんだろう?何屋だろう?と覗くと、トウモロコシ屋である。
トウモロコシ屋か・・・と十歩ほど行きすぎる。
なんでトウモロコシ屋に行列してるんだ?と気になる。・・・すごく気になる。
ちょっと戻る。
ちょっと戻って、屋台を覗く。・・・やっぱりトウモロコシ屋だ。焼きトウモロコシ。
焼きトウモロコシが食べたいわけではないが、行列の出来る焼きトウモロコシのことは、すごく気になる。
行列といっても、一列に並んでいるわけではなく、店の周りに20人くらいがタムロしてる感じ。椅子に座ったり、原チャリにまたがったままだったり、立ち話をしていたり・・・。
焼きトウモロコシ、食べたい。
でも、これ、どうすんの?
焼きトウモロコシとは書いてない。つまり、メニューがない。つまり、値段もない。これ、どうやって注文すんの?から始まる。全然わかんない。絶対に中国語しか伝わらない。
若気な人を探した。なんとなく、英語が理解出来そうな人を。
北海道の友、キタさんに似た大柄な男の人をロックオンした。
英語で話しかける。
「英語、話せますか?」とかは聞いてはいけない。「できない」と言われたら会話が終了してしまう。有無を言わさず話しかけ、なんとかしなければならない。
大柄な男の人の肩をトントンと叩く。
ねぇ、ねぇ、これ、コーンのお店でしょ?
「えっ?あっ、う・・・うん、コーンのお店」
ねぇ、なんでこんなに人気なの?有名なの?
「え?あっ、う・・・うん、すごく有名だよ」
ねぇ、ねぇ、おいしいの?」
「えっ?うん、すごく美味しいよ」
ねぇ、コーン、どうやって頼むの?
「えっ?うーん、あそこへ行って、コーンを頼んで、ひたすら待てばいいんだよ」
ねぇ、ねぇ、一緒に行って注文を手伝ってくれないかい?」
「えっ?う、うん、いいよ。手伝ってあげるよ」
こうして、僕は彼と一緒にコーンを注文した。
1時間待つけどいいか?と言われた。
1時間!!!?と思ったけど
コーンを焼くのに1時間!!!?なんで!!!?
と思ったけど、乗りかけた舟である。待つ!と答えた。
どんだけ人気なんだ?
椅子に座って待ちながら、グーグルマップを使ってコーンの屋台を調べた。口コミに書いてあったのは、「普通は2時間待ち」とあった。1時間で食べられるのなら相当なラッキーボーイだということになる。
まぁ、待つ気になれば、一時間なんてそんなに長い時間ではない。
トウモロコシ屋の屋台の風景を、僕は見ていた。
親父さんと娘が肩を並べて、トウモロコシをクルクルと回しながら焼いている。少しずつ少しずつクルクルと回しながら、ずーっと焼いている。
そのちょっと後ろでおやじさんの奥さんが椅子に座って寝ている。
その横に娘さんの旦那さんが立っていて、注文を取ったり、トウモロコシを計ったりしている。家族四人の屋台である。
なんという仕事だろう・・・と思いながら、僕は見ている。
トウモロコシ一本に、なんという手間をかける仕事なのだろう。
この世界に、こんな仕事をする人がいるなんて・・・。と僕は思っている。
生のトウモロコシを一時間かけて焼き上げる。
普通はトウモロコシを茹でておく。茹でてあるトウモロコシに焼き目をつけてお客に出す。こうすれば、それほどの手間はかからない。
ここは違う。生のトウモロコシをずーっと焼く。ひたすらに焼く。
親父さんと娘婿が焼き場を交代する。今度は夫婦の共演である。 親父さんはタレを足したり、生のトウモロコシの手入れをしたり。
焼き場の後ろで椅子に座って寝ている親父さんの奥さん。高齢である。
きっと、親父さんと二人で、この屋台を切り盛りしてきたのだろう。長い間ずっと。今は椅子に座って眠っている。娘と婿が、この店の跡を継ぐ。
トウモロコシを注文する時に、自分でトウモロコシを選ぶ。選んだトウモロコシの重さを計り、それで値段が決まる。僕が選んだトウモロコシの値段は50元だった。200円弱。
わかるかな?200円弱のトウモロコシを焼くのに1時間かけるんだよ。一瞬も目を離さずに。ずっと焼き場から離れずに。手でクルクルと回しながら。
頼んだトウモロコシの茎の部分にマーカーで何かを書いている。トウモロコシを自分で選ぶわけだから、そのトウモロコシが自分の分なわけだ。
なんと書いてあるのかはわからないが、娘さんは焼きあがったトウモロコシに書いたマーカーをチラッと見て、中国語で何かを叫ぶ。そうすると、そのトウモロコシを注文した人が前に出て、そのトウモロコシを受け取る。
名前を書いているわけじゃあるまいし・・・。何を書いて何と呼ばれるのだろう?
僕のトウモロコシにはなんと書いてあって何と呼ばれるのだろう?それを僕は理解出来るのだろうか?とかね。
そうして、僕のトウモロコシが出来上がる。
僕の注文を手伝ってくれた青年が伝えてくれていたお陰で、僕の元には娘婿がトウモロコシを持ってきてくれた。
さて、どんなトウモロコシなんだろうか?
美味しかった。
今まで食べたことのない味がした。
台湾の食べ物は、大抵優しい味がする。
優しい味に、トウモロコシにかける愛情が存分に加わっている。
美味しくないはずがない。
僕は想う。
味っていうのは、そういうものだ。
涙が零れそうな、そんなトウモロコシだった。
しかし・・・ハードルが高かったなぁ。
ハードルが高いという言葉は、きっとこういう時に使うのだと、心から思った夜なのである。