例えば、酷いことをする人がいたり、酷いことをする人の話を聞いたり。
でも、そういう人は決してその酷いことの制裁を受けることはなかったりして。
たとえばそれは、杖を持ったお年寄りを目の前にして悪びれもせずに優先席に座り続けるサラリーマンだったり。
たとえばそれは、その優先席から立ち上がり、ドアが開くと共にホームへ駆け出し、エレベーターへ真っ先に乗り込み、「閉まる」ボタンをファミコン高橋名人の如く連打し、誰も乗せないまま一人で階上へ運ばれていくサラリーマンだったり。
なんでそんなことをするのかな?
なんのためにそんなことをするのかな?
君さ、ロクな死に方をしないよ。お天道様は見ているからね。
僕はそんなことをよく思う。
お天道様は見ているんだよ。
道徳って、そういうものだ。
この国の道徳なんてのは、もう腐っちゃっていて、「法律に触れてないんだから問題ない」なんて一国の総理大臣が胸を張って言ってしまうくらいだから、この国の道徳なんてのは、腐り切って溶けてもうなくなっちゃったのかもしれないけれど・・・
やっぱり、お天道様は見ているからね。
「ぴゃん」という人がいる。しんぐくんのアルバムのスペシャルサンクスのクレジットに名前が載っている。その「ぴゃん」である。
ちなみに、ぴゃんは死んでいない。まだ。
ちなみに、ぴゃんは僕のライバルではない。
ライバルとは、ぴゃんのライバルであり、宮崎さんという。宮崎さん、死す。の話。いや、まだ死んでいない。
今日の昼、ぴゃんから電話があった。
宮崎さんがガンになったから、お見舞いに行って来たと言う。
ガン末期、意識混濁であと二、三日の命だということらしい。
「よく行ったね」と僕は言う。
「うん、まぁ、色々とあったからどうしようかとは思ったけど・・・」とぴゃんは言った。
歴史を少し遡る。
バンドを始めた頃、町の公民館で練習をさせてもらっていた。
リヤカーを引いたり、チャリの荷台に大きなギターアンプを載せて運んだり、それはそれは大変だった。
その頃、町の公民館へ新卒で赴任してきたのが、ぴゃんである。
物置でタバコを吸っては怒られ、ホワイトボードに卑猥な絵を描いては怒られ・・・どうしようもない馬鹿な高校生の僕らの面倒を、ぴゃんは親身になって見てくれた。
町のおじいとおばあがカラオケをやるための防音室で連取をしていたのだが、毎回毎回、ドラムやアンプを運んでくる僕らのために、町に予算を請求してくれて、ドラムやアンプを買ってくれたのもぴゃんである。
僕らはぴゃんに育てられた。
つづく。