町の外郭を歩いて、日本製紙の工場を抜けて、やっと海に辿り着いた。このエリアに電気は来ていない。町そのものがなくなってしまったのだから、電気を通す意味がないということなのだろうか?丁字路の交差点でお巡りさんが手信号で交通整理をしている。つまり、この半年間、ここには必ずお巡りさんが立っているということになる。他県から派遣されてきたお巡りさんなのだろうか・・・ご苦労様です!と言いたくもなる。
お巡りさんは僕を道の向こうに渡らせてくれた。四車線道路の両端二車線が潰されている。潰された車線は、歩道として活用されているのだろうか・・・所々陥没している。歩道とし活用されているわけではなさそうだ。なぜなら、この道を歩いた一時間、僕以外の歩行者はこの道にいなかった。
海を見ると、遠くに見えるいくつかの小高い丘。これは、海浜緑地公園を利用した瓦礫の集積地。目を凝らして見ると、瓦礫だとわかる。今も、毎日、次々と、ダンプカーにのせられたガレキたちが、日毎にこの丘を高くしている。
お巡りさんは僕を道の向こうに渡らせてくれた。四車線道路の両端二車線が潰されている。潰された車線は、歩道として活用されているのだろうか・・・所々陥没している。歩道とし活用されているわけではなさそうだ。なぜなら、この道を歩いた一時間、僕以外の歩行者はこの道にいなかった。
海を見ると、遠くに見えるいくつかの小高い丘。これは、海浜緑地公園を利用した瓦礫の集積地。目を凝らして見ると、瓦礫だとわかる。今も、毎日、次々と、ダンプカーにのせられたガレキたちが、日毎にこの丘を高くしている。
門脇町と南浜町。町の至る所、至る道に水が残っている。だから町を突っ切って歩くことは出来ない。あとで聞いた話によると、石巻でもっとも被害が大きかった地区の一つだそうだ。気仙沼と同じく、津波の後で火災が起き、あたり一面焼け野原になっていたそうだ。
今は、解体待ちの家屋が、ポツリポツリと佇んでいる。
美容院もアパートもコンビニも布団屋も、食堂もお土産屋もクリーニング屋も板金屋もクリニックも、跡形もなくなってしまった。
ただ、今は震災直後の面影もない。更地になった場所に草木が生い茂り、ここが一面焼け野原だったとは思いもよらない。所々に残った基礎の後。
ここに家があったんだなぁ...と思わせる唯一の証拠。そして、この町には今、人影は一つもない。
今は、解体待ちの家屋が、ポツリポツリと佇んでいる。
美容院もアパートもコンビニも布団屋も、食堂もお土産屋もクリーニング屋も板金屋もクリニックも、跡形もなくなってしまった。
ただ、今は震災直後の面影もない。更地になった場所に草木が生い茂り、ここが一面焼け野原だったとは思いもよらない。所々に残った基礎の後。
ここに家があったんだなぁ...と思わせる唯一の証拠。そして、この町には今、人影は一つもない。
且つてはビッシリと家が建ち並ぶ、海の見える住宅地...だったという。
半年前に僕が見た景色、半年前に僕が感じたこと、結局僕はいまだに何一つ伝えられないでいる。
でも今は・・・だから今は・・・何を恐れることもなく、僕が見たままの風景を伝えようと思う。
また明日。
半年前に僕が見た景色、半年前に僕が感じたこと、結局僕はいまだに何一つ伝えられないでいる。
でも今は・・・だから今は・・・何を恐れることもなく、僕が見たままの風景を伝えようと思う。
また明日。
小高い丘へ続く道。
坂道を下りて行けばそのまま海へ出られそうな気がしたが、丘へと続いていそうな道があったので、坂道を上ることにした。
石巻には日本製紙という大きな会社がある。おそらくこの街の基幹産業の一つだと思う。坂を上った先は、その日本製紙の敷地だった。社宅の団地や大きな駐車場やグランドの全てに会社の名前が刻まれている。丘に立つこの団地は高台にあったがゆえ被災を免れたんだな。と思いながらテクテクと歩く。
坂を下る。海へと下る。時々チラチラと海が見える。
坂道の終わり、道の向こうに一軒の家が見える。・・・見覚えのある家だ。いや、見覚えのある姿だ。半年前に数えきれないほど見た・・・且つては人が住んでいた家・・・。
写真を撮るために土手を上る。隙間だらけになってしまった街を眺め、歩き始めると水が溜まった何かを足で引っ掛けてしまった。ズボンの左足の裾と靴がびしょ濡れになった。何かと思い見ると、風呂場のタイルがそこにはあった。見ると、僕が上った小さいな土手は、且つて家が建っていた場所だった。
片付けられたガレキ、残された人の住めない家。且つて家があった場所に生い茂る草。これが六ケ月という月日の流れなんだと、強く感じさせられた。そんな出来事。
濡れた裾と靴。若干クチャクチャといわせながら、僕は再びテクテクと歩きだす。
坂道を下りて行けばそのまま海へ出られそうな気がしたが、丘へと続いていそうな道があったので、坂道を上ることにした。
石巻には日本製紙という大きな会社がある。おそらくこの街の基幹産業の一つだと思う。坂を上った先は、その日本製紙の敷地だった。社宅の団地や大きな駐車場やグランドの全てに会社の名前が刻まれている。丘に立つこの団地は高台にあったがゆえ被災を免れたんだな。と思いながらテクテクと歩く。
坂を下る。海へと下る。時々チラチラと海が見える。
坂道の終わり、道の向こうに一軒の家が見える。・・・見覚えのある家だ。いや、見覚えのある姿だ。半年前に数えきれないほど見た・・・且つては人が住んでいた家・・・。
写真を撮るために土手を上る。隙間だらけになってしまった街を眺め、歩き始めると水が溜まった何かを足で引っ掛けてしまった。ズボンの左足の裾と靴がびしょ濡れになった。何かと思い見ると、風呂場のタイルがそこにはあった。見ると、僕が上った小さいな土手は、且つて家が建っていた場所だった。
片付けられたガレキ、残された人の住めない家。且つて家があった場所に生い茂る草。これが六ケ月という月日の流れなんだと、強く感じさせられた。そんな出来事。
濡れた裾と靴。若干クチャクチャといわせながら、僕は再びテクテクと歩きだす。