白雲去来

蜷川正大の日々是口実

私のソウルフード。

2025-01-07 17:03:59 | 日記

1月6日(月)曇りのち雨。

今日から仕事始めの人が多い。テレビでは、東京駅から丸の内方面に出勤する人たちを映していた。浪人の身である私は、そんな正しい労働者の皆さんのニュースを見ながら、暖房の効いた部屋で、ぬくぬくとしている。相変わらず食欲がなく、朝食を抜いて、食事をしたのが一時半。私のソウルフードである「ソースチャーハン」と玉ねぎのスライスを入れたコンソメスープ。

ソースチャーハンには、「赤ウインナー」が必須で、ない時は作らない。みじん切りにした玉ねぎと赤ウインナーを炒めてからご飯を入れて、ウースターソースで味付けする。私は、チャーハンと言えばすぐに、このソースチャーハンが浮かぶ。食後は、手紙を二通書いてから、パソコンに向かい機関誌の原稿作り。

午後から雨になった。随分久しぶりの雨だ。雨の歌と言えば、沢山あるだろうが私が好きなのは、カスケイズの「悲しき雨音」。その歌を聞くと、なぜか雨の日に、山手通りを歩いている自分の姿が浮かぶ。実際に、雨の日にわざわざ山手通り(といっても東京ではなく、港の見える丘公園から外人墓地、フェリス女学院などのある横浜の山の手である)を歩くこともないので、あくまでもイメージである。もう一曲は、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」。行きつけの町中華のおかみさんが中国の人で、髪型が欧陽菲菲に似ていることから、いつの間にか私の仲間内では「欧陽菲菲」と呼ばれている。本名は誰も知らない。しかし愛嬌のある人で、今では、お店の名前を言うよりも「欧陽菲菲の店」と言う方がなじんでいる。

野村先生が亡くなられる一年ほど前に、良く北新地へ行った。「北の新地は思い出ばかり」で、「雨の御堂筋」を聞くと、当時のことを思い出す。夜は、おとなしく酔狂亭にて独酌。

 


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青学の格の違いを見せつけられた。

2025-01-05 12:28:38 | 日記

1月4日(土)晴れ。

暮れから駅伝三昧の正月ボケも今週で終わりか。当然だが過ぎてしまえばあっと言う間である。しかし箱根駅伝の青学は強かった。格が違うものを感じた。陸上の1万メートルで、28分台で走れば一流。27分台は超一流。26分台では世界のランキング入りである。青学は27分台の選手が三人もいる。中央も3人。1万メートルの平均タイムは、登録選手では中央が上だが、数字だけでは分からないのが駅伝の難しさ。ちなみに1万メートルの日本記録は、富士通の塩尻和也で、27分09秒80。世界記録は、ウガンダのジョシア・チェプテゲイで、26分11秒00。

駅伝を見ていて驚いたのが、かつて中央大学の箱根駅伝6連覇の折の中心的なランナーであり、昭和39年の東京オリンピックに出場し、晩年は東京国際大学の駅伝部監督を努めた横溝三郎先生が、昨年の11月14日に亡くなられたこと。享年85歳。横溝先生は横浜高校の先輩で、私は、横溝先生に憧れて陸上競技を始めた。中学生の時に、横浜の三ツ沢競技場で行われた、市民大会で、横溝先生の走る姿を見た。後年、私の地元にお住まいと言うことを知り、知り合いだという床屋さんのご主人に頼んで色紙を書いて頂いた。「オリンピックの覇者に天才なし」。20年前に頂いたその色紙は、我が家の玄関に飾ってある。合掌。

夜は、我が酔狂亭にて一献。マグロの刺身、牛丼、山芋の磯辺揚げ。お供は「黒霧島」。


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元旦に訃報が・・・。

2025-01-02 15:28:00 | 日記

令和7年1月1日(水)晴れ。

大晦日、久しぶりに揃った家族で食事。マグロ、ブリ、の刺身に酢だこ、アルゼンチンエビ、子供用のハンバーグ。年末の年中行事となった「紅白歌合戦」を見ながら、それでも話が弾む。穏やかで、静かな年末。ふと愚妻が、子供たちに向かって「来年は、五人、六人と家族が増えるといいね」。私が、「五人、六人と増えるよりも、三人になってしまうかもよ」。と言うと愚妻と子供たちが、固まってしまった。昨年は、二度も入院したし、体調もあまり良くない。私には何も言わないが、皆、私のことを心配してくれていると言うことを実感した。年越しそばを食べ、「ゆく年、くる年」で除夜の鐘を聞いてお開きにした。

正月の朝は、八時に起床。顔を洗い、口を漱ぎ、玄関に国旗を掲げ、皇居を遥拝。四か所のカレンダーを新しいものにする。吉屋信子の「手のつかぬ月日ゆたかや初暦」の句が浮かぶ。九時前に、家族全員で自宅を出て、伊勢原の浄発願時に向かう。途中、海老名のSAにて、大熊雄次、松本佳展の両氏と合流。

その時に、大熊氏の携帯に、犬塚博英先輩からラインが入り、岐阜の花房東洋先輩逝去の報。すぐにご子息の仁さん、娘さんの寿美乃さんと連絡を取り、誤報ではないことを知り、愕然とする。元旦に、涙を流す準備も出来ぬままに東洋先輩は逝けり。海老名のSAを出ると、霊峰富士が初春の陽に照らされていて鮮やかだった。

浄発願時に着けば、大悲会の志村会長や小森君らが、すでにお墓の清掃を済ませていた。先生のお墓に、花房東洋先輩の訃報を報告し、今年一年、皇国はもとより、一門の健勝をお願いした。次に「道友・縁者」のお墓に手を合わせ。私の両親のお墓へ。ここも、志村、小森の両君がきれいに清掃を済ませていてくれた。ご住職にご挨拶をして辞す。横浜に戻り、新横浜にある三会寺へ向かい、後輩の板垣哲雄君のお墓を清掃し、花を手向けて手を合わせた。彼が亡くなってからから19年が過ぎた。

終了後は、中華街にて直会。二時間ほどいて解散。録画しておいた「ニューイャー駅伝」を見る。旭化成が最終区で逆転優勝。


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霜鬢(そうびん)明朝 又一年。

2024-12-31 16:16:05 | 日記

12月31日(火)晴れ。大つごもり。

先生などと言う、大したものでない私でも、さすがに師走は忙しい。障子の張替えをしようと思ったが4枚あるうちの2枚がどうしても外れない。30年も経っている木造屋なので、恐らく二階の重さでゆがんでいるのかもしれない。仕方がないので外れる2枚のみの障子を張り替えた。その後、レンジフード、換気扇の掃除。10月にやったばかりなのであまり汚れていなかった。終了後は、スタンドで洗車。きれいになった車で、保土ヶ谷駅まで下の子供を迎えに行く。久しぶりに家族が揃った年の瀬。

いきなり玄関の室内灯が切れてしまった。切れる前に何かサインでもあれば良いのに、最近の家電は徐々にダメになるというのではなく、いきなり壊れるから始末が悪い。慌てて、量販店へ。それから、近所のスーパーで、少しだけ買い物。あっという間に4時過ぎだ。留守中に松本佳展君が暮れの挨拶にと、ビールを一箱担いできてくれた。録画してある「富士山女子駅伝」を見ながら一杯やるか。

大晦日になると、必ず浮かぶ漢詩がある。中国の詩人である高適の「除夜作」。北海道の果てで、寒さに震えながらラジオで聞いた横浜港の汽笛。今にして思えば、良い思い出となっている。       
旅館寒燈獨不眠  旅館の寒燈に独り眠れず
客心何事轉凄然  客心何事ぞ転(うた)た凄然
故郷今夜思千里  故郷今夜 千里に思う
霜鬢明朝又一年  霜鬢(そうびん)明朝 又一年

大晦日の夜に旅館の寒々とした灯りの下、眠らずにいる。旅人の心に、どうしたことだろう…痛ましい気持がこみ上げてくる。この夜、千里離れた故郷のことを思う。明日の朝はもう新しい年だ。この鬢の白髪もまた年を重ねるのだなぁ…。

本当に髪の毛は霜のように白くなって、年が明ければ74歳となる。今年は2度も入院もした。新年が佳い年でありますように。


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恍惚と寒し青夜のもがり笛。

2024-12-28 16:26:28 | 日記

12月27日(金)晴れ。

野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』の中の「冬の部」に「恍惚と寒し青夜のもがり笛」という句がある。厳寒の夜空を、風がヒューヒューと音を立てて渡ることのたとえである。わが陋屋(ろうおく=むさくるしい家)は、建物の関係か風の通り道となっており、少しの風が吹いても風音が気になって仕方がない。有難いことに、周りは建売の住宅が多いせいか、風が通る音だけしか聞こえないが、一昔前ならば、竹でや丸太で組んだ垣根などに当たって、まるで笛を吹くような音が聞こえたものだ。この音を「虎落笛(もがりぶえ)」と呼ぶことを知ったのは大人になってから。

「虎落」の「もがり」とは、竹を筋違いに組み合わせた冊のことを言う。語源は、大昔は、人が死ぬと、その屍(かばね)を一定期間据え置いたと言う。その仮の葬儀場を囲む柵のことを「もがり」と呼んだそうだ。それがなぜ「虎」の字に当てられたのかは、不明である。(私が知らないだけなのかもしれない)この虎落笛の音は、「鳴る」よりも「唸る」という形容の方がふさわしい。「風が唸る」。人生も下り坂になると「風の音」にも様々な想いが巡る。

昼は、高校の同級生のY氏、昨年仕事を引退したI氏と共に関内の「橘」という小料理屋さんでランチ。三人で会うのは久しぶりの事だ。当然ながら三人とも古希を過ぎているので病気の話や、久しく会っていない友人、知人の消息などの情報交換。「亡くなった」方が多くて歳月の流れを実感する。送って頂き帰宅。お世話になりました。夜は、これまた久しぶりに、自宅近くのお好み焼き屋の「つるや」で一杯。最近は、座敷の席が辛い。長い時間座って居られないのだ。日本の伝統文化を守れなどと言いながら、我ながら情けない。


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