十月二十四日(水)晴れ。
午後一番で、お世話になっている方の会社へご挨拶。その後事務所へ。夜は、友人らが来訪して西横浜のイタリアン「オアジ」にて食事会。しばらく飲んでから、群青忌出席のお礼を兼ねてサリーズバーへ転戦。
自宅や事務所から比較的に近いので、中華街へは良く行く。しかしながら最近の中華街は、土曜日や日曜日、祝祭日などは人で溢れて、馴染みのお店にほとんど入れない。嫌なのは、肉まんやあんまんを歩きながら食べたりすることを平気で、客に売っていることだ。それも横浜では老舗を看板にしている専門店なのだから呆れてしまう。どこのお店も混雑しているので、余程のことがない限り、土曜、日曜日は中華街へは行かないようにしている。
「この間、久しぶりに横浜の中華街へ行って見て、キレイになったのに驚いた。正直なところ、中華街なんていっても、私にはピンと来ない。横浜生まれの私には、ナンキン町といい慣れてる。敗戦後はシナもナンキンもいけないことになって、昔の名称を書いては、慌てて消す始末である。昔のナンキン町には、独特の臭気があったが、今は大変衛生的である。その上、近代的建築になって、銀座あたりと変らぬ冷暖房完備のキレイな料理店が、大部分である。アメリカあたりの中華料理店は、きっとあんな風だろう。まったくナンキン町だの、シナ料理だのといっては、申し訳ないようなものである」。これは横浜生まれの作家、獅子文六が、昭和四十三年に書いた『食味歳時記』の一節である。かつての中華街の「独特な臭気」は、今では、肉まんや焼き小籠包の食べかすが道路を汚す「臭気」に変わろうとしている。
午後一番で、お世話になっている方の会社へご挨拶。その後事務所へ。夜は、友人らが来訪して西横浜のイタリアン「オアジ」にて食事会。しばらく飲んでから、群青忌出席のお礼を兼ねてサリーズバーへ転戦。
自宅や事務所から比較的に近いので、中華街へは良く行く。しかしながら最近の中華街は、土曜日や日曜日、祝祭日などは人で溢れて、馴染みのお店にほとんど入れない。嫌なのは、肉まんやあんまんを歩きながら食べたりすることを平気で、客に売っていることだ。それも横浜では老舗を看板にしている専門店なのだから呆れてしまう。どこのお店も混雑しているので、余程のことがない限り、土曜、日曜日は中華街へは行かないようにしている。
「この間、久しぶりに横浜の中華街へ行って見て、キレイになったのに驚いた。正直なところ、中華街なんていっても、私にはピンと来ない。横浜生まれの私には、ナンキン町といい慣れてる。敗戦後はシナもナンキンもいけないことになって、昔の名称を書いては、慌てて消す始末である。昔のナンキン町には、独特の臭気があったが、今は大変衛生的である。その上、近代的建築になって、銀座あたりと変らぬ冷暖房完備のキレイな料理店が、大部分である。アメリカあたりの中華料理店は、きっとあんな風だろう。まったくナンキン町だの、シナ料理だのといっては、申し訳ないようなものである」。これは横浜生まれの作家、獅子文六が、昭和四十三年に書いた『食味歳時記』の一節である。かつての中華街の「独特な臭気」は、今では、肉まんや焼き小籠包の食べかすが道路を汚す「臭気」に変わろうとしている。