九月二十八日(金)曇り。
来月の二十日で野村先生が亡くなられてから満十九年となる。一口に十九年と言うが、考えてみるととてつもなく長いようにも感じるが、私にとっては、つい昨日のような気がすることもある。
現在、コツコツと「野村先生語録」というものをまとめている。先生が、上梓なされた本の中から引用することもあるが、活字になっていなくとも先生から私が直接聞いた言葉も思い出して書き留めている。来年の二十年祭に向けて、「野村秋介語録」というようなものをまとめてみたいとも思っている。もし、来年に間に合わずとも、私の個人的な門下生や社友の方々に引き継いでもらいたいと思っている。
先生が亡くなられてから十九年。翌年から追悼集会「群青忌」を行ってきた。思うことあって、十一年目からは五年ごとに開催してきた。その間、菩提寺である浄発願寺には、特別案内をせずとも百人余の人たちが毎年先生を偲んで参集する。遠くは北海道から東北、関西、沖縄、皆、私の社友の皆さんである。これだけでも先生亡き後、私が行ってきたことは間違っていなかったと自負している。もちろん私一人の力だけではなく、先生に関わる皆さんの努力と後援があればこそと感謝もしている。
野村先生の言葉で、思い出したのが、人の付き合いに関することである。随分前のことだが、私が人間関係に悩んで先生に相談したことがあった。すると先生は、「蜷川、いいか、人の付き合い何んていうものは、『季節の花』と同じで、『その時々の付き合い』があってもいいんだ。むしろその方が自然なんだ。考えても見ろ。幼稚園、小学校の頃からずっと付き合いが続いている何て稀だろ。十代の頃には、十代の付き合いがあり、二十代、三十代の頃には、それぞれの付き合いがあり、友がいる。だから、季節の花のように、その時々の付き合いがあってもおかしくない。その時々の友達との決別は世の常なんだ」。それを聞いて吹っ切れた。
また、晩年先生は、「俺が現役でいられるのは七十歳としても、後、十年と少しだ。早い話が五十を過ぎたら、後はカウントダウンの時間と思った方がいい。現役でいられるわずか十数年に、嫌な奴とは付き合うことはない。自分を理解してくれる、例え少なくとも、心の許せる人たちと付き合う方が精神衛生上いい」と仰っていた。還暦を過ぎて、しみじみ先生の言葉が身に染みる。
私の人生や生き様、生活、思想的なことに干渉できる人間なんて、家族以外にはいない。野村先生が亡きあと、人様に礼は尽くしても、不義理をしたことはないと思っている。貧乏はしていても、先生の門下生として、決して恥ずかしい生き方はしてこなかったと自負している。
なぜ、こんな愚痴めいたことを書いたか・・・。それは分からない。ただ日々の酒に頭が腐ったのかもしれない。
夜は、心が癒される酒友と待ち合わせて、「やまと」から「一休寿司」、そして、飛び込みで入ったショットバーに転戦して、したたか酔った。尊敬する、山浦嘉久先輩から教わった言葉に「酔中に真在り」がある。そんな癒しと励みの酒を飲み続けて行きたい。ゆえに我が家は「酔狂亭」と号している。
しかし嚢中不如意はいかんともしがたい。不治の病だから仕方がないか。