白雲去来

蜷川正大の日々是口実

酔中に真在り。

2012-09-30 15:54:50 | インポート

九月二十八日(金)曇り。

来月の二十日で野村先生が亡くなられてから満十九年となる。一口に十九年と言うが、考えてみるととてつもなく長いようにも感じるが、私にとっては、つい昨日のような気がすることもある。


現在、コツコツと「野村先生語録」というものをまとめている。先生が、上梓なされた本の中から引用することもあるが、活字になっていなくとも先生から私が直接聞いた言葉も思い出して書き留めている。来年の二十年祭に向けて、「野村秋介語録」というようなものをまとめてみたいとも思っている。もし、来年に間に合わずとも、私の個人的な門下生や社友の方々に引き継いでもらいたいと思っている。


先生が亡くなられてから十九年。翌年から追悼集会「群青忌」を行ってきた。思うことあって、十一年目からは五年ごとに開催してきた。その間、菩提寺である浄発願寺には、特別案内をせずとも百人余の人たちが毎年先生を偲んで参集する。遠くは北海道から東北、関西、沖縄、皆、私の社友の皆さんである。これだけでも先生亡き後、私が行ってきたことは間違っていなかったと自負している。もちろん私一人の力だけではなく、先生に関わる皆さんの努力と後援があればこそと感謝もしている。


野村先生の言葉で、思い出したのが、人の付き合いに関することである。随分前のことだが、私が人間関係に悩んで先生に相談したことがあった。すると先生は、「蜷川、いいか、人の付き合い何んていうものは、『季節の花』と同じで、『その時々の付き合い』があってもいいんだ。むしろその方が自然なんだ。考えても見ろ。幼稚園、小学校の頃からずっと付き合いが続いている何て稀だろ。十代の頃には、十代の付き合いがあり、二十代、三十代の頃には、それぞれの付き合いがあり、友がいる。だから、季節の花のように、その時々の付き合いがあってもおかしくない。その時々の友達との決別は世の常なんだ」。
それを聞いて吹っ切れた。


また、晩年先生は、「俺が現役でいられるのは七十歳としても、後、十年と少しだ。早い話が五十を過ぎたら、後はカウントダウンの時間と思った方がいい。現役でいられるわずか十数年に、嫌な奴とは付き合うことはない。自分を理解してくれる、例え少なくとも、心の許せる人たちと付き合う方が精神衛生上いい」と仰っていた。
還暦を過ぎて、しみじみ先生の言葉が身に染みる。


私の人生や生き様、生活、思想的なことに干渉できる人間なんて、家族以外にはいない。野村先生が亡きあと、人様に礼は尽くしても、不義理をしたことはないと思っている。貧乏はしていても、先生の門下生として、決して恥ずかしい生き方はしてこなかったと自負している。


なぜ、こんな愚痴めいたことを書いたか・・・。それは分からない。ただ日々の酒に頭が腐ったのかもしれない。


夜は、心が癒される酒友と待ち合わせて、「やまと」から「一休寿司」、そして、飛び込みで入ったショットバーに転戦して、したたか酔った。尊敬する、山浦嘉久先輩から教わった言葉に「酔中に真在り」がある。そんな癒しと励みの酒を飲み続けて行きたい。ゆえに我が家は「酔狂亭」と号している。


しかし嚢中不如意はいかんともしがたい。不治の病だから仕方がないか。

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心をくつろがせるはまさにこれ酒

2012-09-29 17:25:41 | インポート

九月二十七日(木)曇り。

 

驚いた。中共の代表が国連で演説して、日本を敗戦国。自分たちを戦勝国と言ったらしい。歴史認識が全くなっていない。日本は、中華人民共和国と戦争をした歴史はない。戦った相手は蒋介石の中華民国である。従って「カイロ会談」には蒋介石が出席している。中国における中華人民共和国の建国は昭和24年(1949)で、戦争終結から4年後のこと。困ったものだ。

 

中国が作った海外向けの地図にも、尖閣諸島は日本領とされていることを指摘されても、日本が「盗んだ」と七回も叫んだ。まあ嘘も百回言うと本当になると言うが、あまりにもえげつない。私が思うに、中国が漢字を簡略化してから、言葉の持つ霊、いわゆる言霊が消え去り、それに追随して文化さえも消え去ろうとしているではないかと思う。人が二人で「仁」という文字になる。言っても分からないのかなぁー。

ヨーロッパの地図を切って中国大陸に乗せてもまだあまるほどの広大な領土を持っている中国。「色々と問題があると思うが、日本との将来のことを考えて、我が国は、尖閣には口出ししません」と言ったら、世界中の人たちから尊敬される、と言うことが分からないのだろうか。世界の人から尊敬をされると言うことは、いずれその信用が財産となり、経済的にも裕福になる。ということを誰か教えてあげて下さい。

 

今日は、一歩も外に出なかった。機関誌の編集、読書、校正。気が付けば六時過ぎ。冷蔵庫の中を漁って、とりあえず子供たちに夕食を作ってから、愚妻と晩酌。きわめて小市民的な一日だった。でも歳のせいか、こんな日が楽しいと思うようになった。杜甫の詩の一節ではないが、心をくつろがせるはまさにこれ酒。


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僧は推す月下の門。

2012-09-27 12:22:40 | インポート

九月二十六日(水)晴れ。

 

上の子供は、今日まで休み。「試験を頑張った」と言うので、ご褒美に、前から連れて行ってほしいと言われていた中華街の「刀削麺」のお店で昼食をとった。実は、私も刀削麺を食べるのは今日が初めてのことである。包丁で麺を削りながらお湯の中に入れる。この程度の知識しかなく、どんな味付けなのか全くわからない。「安記」の帰りに見かけた刀削麺のお店に行ってみたが、生憎休み。そういえば、中華街の山下公園側の入り口近くにも、刀削麺のお店があることを思い出して、そこに行ってみた。

 

子供は、「野菜刀削麺」。私は「海鮮刀削麺」。本当に、包丁で麺のかたまりを削って鍋の中に入れていた。白いスープに、まあ「きしめん」が入っているような感じがした。味は、悪くはないが、ただソバを食べるだけで中華街へは行きたくないので、私としては、一回でいいかな、という感じ。でもたまにはいいか。子供は、「お父さんが払ってくれるのならまた行きたい」とのこと。

 

「大吼」の秋号(第278号)が完成したと、大行社の丸川本部長から連絡を頂いた。印刷屋さんとデーター屋さんが変わっての初めての仕事だったので少々心配だったが、案の定、大ポカがあった。会長の名前にミスがあったのだ。お名前の「三本菅」が「三木菅」になっていたのだ。

 

メールで原稿のやり取りをしている時に、お互いのパソコンの「辞書」が違っているせいか、「文字抜け」や「文字化け」が多く。幾度も校正し直した。印刷屋さんの方で「読み合わせ」をしてくれたそうだが、最終的には、こうした単純なミスが出た。まあ何を言っても最終的には、編集を任されている私の責任なのだが、いっぺんにテンションが下がった。折角、良い物を作ったと思っても、こういったミスがあると、すべてが駄目のように思えてしまう。気を引き締めなければ。なぜか頭に浮かんだのは「推敲」の故事。

278※「大吼」の最新号です。

Photo※目次です。年四回発行です。ご購読を希望する方は、ご連絡下さい。

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君に勧む、更に尽くせ一杯の酒。

2012-09-26 12:50:52 | インポート

九月二十五日(火)曇り。

 

京浜急行が、大雨のための土砂崩れに巻き込まれて脱線した。けが人も出たが、大事に至らなかったのは不幸中の幸い。横浜生まれの、それも京急の沿線で育った人たちは、京急に特別な思いがある。それは、子供の頃に、何処かへ出かけて帰ってくる時、京急の赤い色の電車を見ると、何となくホッとしたものだ。これに乗れば家に帰れると。

 

この思いは、今も変わらず、地方などに出かけると大体、新横浜か横浜駅で乗り換えをする。横須賀線でも、市営地下鉄でも自宅の近くまで行くのだが、やはり京急に乗る。なぜか安心するから不思議だ。高校も京急で通った。最も私が通った頃は、「八つ坂」という駅名だったが、今は「能見台」という名前に変わった。早く復旧してもらいたいものだ。

 

上の子供が、試験休みとかで家にいる。小さい頃とは違って、まとわりつくことはないが、子供と一緒にいるのは、なぜか嬉しい。夕方、事務所に資料を取に行くのをつき合わせて、一緒に愚妻を仕事場に迎えに行った。井土ヶ谷駅の近くにできたスーパーで、弁当のおかずや夕食の買い物をしてから帰宅。

 

夕食の子供たちのメニューは、今秋二度目の「おでん」に鳥のささみのフライとキャベツの千切り添え。おまけに「竹輪揚げ」をつけてあげた。鳥のささみはフライが一番おいしいように思う。私達は、カツオの刺身を買ってきたが、これが全く駄目だった。仕方がないので、小麦粉をつけて、オリーブ油ににんにくを入れたもので軽く炒めて食べた。

 

休肝日にしようとも思ったが、アジア諸国の日本包囲網が面白くなく、録画しておいた「梅ちゃん先生」を見て憂さを晴らした。結局日にちが変わるまで、起きていて、睡眠薬代わりの本を読みつつ寝た。考えてみると、非建設的、非能力的な一日だった。しかし、若い頃は恥ずかしいと思っていた「金が無い」ことを、今では、何ともなくなった。大げさだが、達観したと思っている。何か、仕事をしているわけでもないので、どうあがいても金の入ってくるアテなどない。

 

子供が学校を出たら、三浦海岸辺りに住んで、畑仕事などをしながら残りの人生を過ごしてみたいものだ。晴耕雨読ならぬ、晴耕雨飲の日々だ。友を招いて、「君に勧む、更に尽くせ一杯の酒」を楽しまん。


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宋襄の仁

2012-09-25 12:22:24 | インポート

九月二十四日(月)晴れ後雨。

 

いやぁー朝方、クーラーを入れて寝てしまったのかと思ったほど、寒くて目が覚めた。毛布は押入れだし、夏掛け一枚では寒いので、ジャージを引っ張り出して再び寝た。一日で秋になった。

 

朝のニュースでは、中国に続いて台湾までもが漁船や巡視艇を伴って尖閣に向かっていると言う。私たちが、こうして何事も無いように生活している陰では、海上保安庁の人たちが命懸けで我が国の領土と主権を守ろうとしている。頭が下がるとはこのことだ。しかし、そういったニュースは一瞬で、後は、くだらんお笑い番組や妊娠したことを公共の電波を使って、得意げに報告するようなバカアナウンサーが、相変わらず芸能ゴシップやどうでも良いことを垂れ流している。

 

かと言って、尖閣のニュースを一日中見ていてもどうなるものでもないが、命懸けで任務に就いている海上保安庁の人たちを激励しようというようなことも言って貰いたいものだ。そして、中国や台湾の人たちが、どのような根拠で尖閣が自国領であると言っているのかも報道すべきと思っている。

 

尖閣も竹島も日本の領土であることは当然だが、中国や台湾双方が、執拗に不当な主張、要求をするのには、これまでの日本の政治にも責任があると思う。例えば、こういった問題がなければ、多くの日本人は、尖閣諸島といってもそれがどこにあって、突然中国や台湾が領有権を主張したことなど知らずにいたのではないだろうか。竹島も同様だ。随分前だが、韓国に行った際に大韓航空に乗ったが、室内の地図のパネルには、ハングルと漢字で韓国で竹島を意味する「独島」と表記があった。帰りは全日空だったので、見てみたら、「竹島」の文字はなかった。

 

また、日本の小学生から高校生までに「北方四島」を言って見なさい。と質問したら、すべて答えられる子供たちが、果たして何割いるだろうか。いや大人だってあやしいものだ。二年ほど前に、私が郵便局の切手サービスに「魚釣島」の写真を持って行き、この写真で切手を作って欲しいとオーダーしたら、後日、「差し障りがありますので」と断られた。日本の固有の領土と言っていながら、この体たらくだ。これでは、他国に付け入られるのは当たり前。

 

これまで、我が国は中国はもとより、韓国、台湾にどれほどの尊い血税を投入してきたか。それは、決して、今日のような「言いがかり」ゆえの紛争を引き起こすためではないはずだ。日本の過去の「思いやり」が、「宋襄の仁」(※そうじょうのじん。調べてみてね)であったことを自覚すべきではないか。

 

夜は、近所のジジ・ババ達との月に一度の会合。毎回十人ほど集まるが、私が一番年下だ。「たつ屋」というラーメン屋さんの定休日を利用して集まる。二千円ほどの会費で、和気藹々、町内の話題で盛り上がる。その後、おばちゃん連中と共に、すぐ隣の「魚くま」に転戦。会費は約千円。いいなあー地元は。三千円で飲んで食って盛り上がって。一緒に飲んでいたおばちゃんの、やさしいだんな様に送って頂き帰宅。


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