白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お願いです。

2020-08-31 13:15:43 | 日記
8月21日(金)晴れ。

皆さんにお知恵を拝借。古いパソコンとの相性が悪いのか、それとも寿命なのか、外付けのハードディスクが開かない。機関誌用の大量のデーターが入っているので、ちょっと焦っている。どなたか、こういった経験のある人、どう修理すれば良いのか、データー復旧の業者など知っていましたならご指導ください。宜しくお願いいたします。

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冷風機の威力は。

2020-08-31 13:01:30 | 日記
8月20日(木)晴れ。

相変わらず残暑厳しき日。朝食は、ロースハム、葉山牛のボロニアソーセージ、オムレツ、キャベツの千切り。中農ソースをかけて最高の朝食。これにコロッケと付け合わせにナポリタンかマカサラがあったなら最高なのだが、カロリーを考えたら、これくらいが限度である。昼は抜いた。夜は、サバの文化干し、焼きタラコ、ソーセージにジャガイモのポトフにキュウリの糠漬け。お供は、事務所の近くの「アオキ」というスーパーで買った「三岳」。酔狂亭にて独酌。

上の子供の部屋にクーラーがあるのだが、何せ20年も前の物で、音がうるさくて嫌だと、使っていない。それでもこの暑さなので、熱中症にでもなったら大変と、通販でやや大型の「冷風機」を買ってあげた。下に冷凍パックを入れるものだが、使ってみると「寝つきが良くなった」とのこと。1万2千円が高いか安いか、さぁーて。

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酒と映画と読書の日々。

2020-08-30 17:25:48 | 日記
8月19日(水)晴れ。

なるべく本を読もうかと思っているが、一杯飲むと、本が睡眠薬のようになってしまうので、本は、もっぱら昼間に二時間ほど読むようにしている。あまり暑くて、ウォーキングが出来ないので、自分自身にスマン、スマンのオスマントルコと言い訳しながらクーラーの恩恵にあずかっている。月額低料金で見ることのできるネットフリックスとアマゾンプライムで、かなり映画を見るようになった。自宅の近くにあったツタヤとブックオフが撤退して以来、前述の二つにはお世話になりっぱなしである。

昨日見たのが、岡本喜八監督原案の『独立愚連隊シリーズ』の二作目で1960年公開の『独立愚連隊西へ』。前作とのつながりはなく、加山雄三の初主演作である。前作の『独立愚連隊』同様、中国北部線戦を舞台に西部劇風な活劇とコメディの要素をまぶした喜八タッチといえる手法で、戦争と人間を描いた娯楽作。テーマ曲の明るさも含めて理想主義的ともいえる明るい戦争映画となった。だが、消えた軍旗捜索のためにだけに敵味方が争奪戦を繰り広げるという戦争の持つ愚かさを訴えていて、岡本喜八監督の代表作『肉弾』(1968年)に通じる戦争批判の精神は、底辺にはしっかりと流れている。(ウイキ)

てっきり佐藤允の主演シリーズ映画と思っていたら、この二作目は加山雄三が主演だったとは、知らなんだ。ある時、日本のチャール・スブロンソンと言われた佐藤允が好きで、あの独特で不敵な笑い顔は、何とも魅力があった。「戦争批判の精神は、底辺にはしっかりと流れている」と言うが、そんなことを気にして見たら、へそで茶を沸かす。娯楽映画として普通に楽しめば良いというのが私の流儀。

朝は、伊勢原は「寿雀卵」でTKG、塩鮭、とろろこぶのスープ。昼は抜いた。夜は、仲良しの石川ファミリーと「やまと」へ。途中から佐伯さんご夫妻合流。その後「愛福楼」へ転戦。正に、酒と映画と読書の日々である。



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朝顔の思い出二つ。

2020-08-29 17:21:21 | 日記
8月18日(火)晴れ。

毎年、群青の会の大熊雄次さんから朝顔の鉢植えを送って頂く。朝、玄関に新聞を取りに行く時に、今日はどのくらい咲いているのか。と楽しみにしている。最初の頃に戴いたものは、花が終わると種が残っていて、それを翌年植えると花が咲いて、二度楽しめたのだが、最近の物は品種の改良?か、種が出来ない。それでも朝晩に水をやると、夏の終わりまで楽しめる。

朝顔には、忘れられない思い出が二つある。一つは昭和の時代、我々が惹起した事件で判決が下り、東京拘置所から網走へ押送されたのが入谷の朝顔市の時だった。ああ当分朝顔市などの喧騒とは縁がなくなると、珍しく感傷的になったものだ。

もう一つは、盟友でもあり、同志でもあった折本満さんのこと。彼が、今から四年前の九月にすい臓癌で亡くなられた。六十四歳だった。折本さんが、すい臓がんを患って入院手術した折に幾度か彼を見舞い、退院した時は、友人らと「激励会」を行い、何とか元気な体に戻ってほしいと願ったが、薬石の効なく、亡くなった。奥さんから、「余命二三ヶ月」ということを聞いた時は、ショックだった。最後に大熊雄次氏と一緒に、自宅に彼を見舞ったのは、亡くなられる一月ほど前の八月四日のこと。すっかり痩せてしまい、一回りも小さくなった姿を見て、不覚にも落涙しそうになった。

折本さんの寝ているベッドから見えるベランダに、やはり大熊氏が送った朝顔の鉢植えが置いてあった。奥さんが、折本が、毎朝目を覚ますと、「ああ今日は沢山咲いている。昨日は、一つだけだった」と、いつも楽しみに見ています。と話をした時に、彼の手を握って、声を上げて泣きたかった。このお見舞いから一月余りが過ぎた九月の二十日の正午過ぎに、折本さんの奥さんより電話が入り、午前中に折本さんが家族に見守られながら、眠るように息を引き取ったと、連絡を頂いた。折本さんは、亡くなられた日の朝も朝顔を見たのだろうか・・・。

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あの日リオで眺めた月を、来年は・・・。

2020-08-27 14:26:48 | 日記
8月17日(月)晴れ。

「あの日ローマで眺めた月が、今日は都の空照らす」。この歌を知っている人は恐らく六十代以上だと思う。ローマオリンピックが開催されたのは昭和35年(1960)年。私は、9歳で小学校の4年生だった。当時我が家にテレビはなかった。水泳の田中聡子さんが背泳の100メートルで銅メダルを取ったことが当時の新聞の一面に載っていて、確か「田中嬢銅メダル」というような見出しだった。子供だったので「嬢」が読めずに、母に何て読むのか聞いたところ、「ジョウ」だと。その字が女性を表す言葉とは知らずに、女なのに男みたいな変わった名前だな。と思ったことを覚えている。今考えたなら、その頃から私は筋金入りのアホだった。

あの日リオデジャネイロで眺めた月を、果たして来年は都の空を照らすのだろうか。その日のために努力をしてきた、すべての競技者の人たちのためにも、一日も早くコロナが終息して、開催してほしいものと思っている。

23日に新国立競技場で行われた陸上・セイコー・ゴールデングランプリ7を見た。圧巻だったのは女子1500メートルで20歳の田中希実(のぞみ)=豊田自動織機TC=が、日本記録を14年ぶりに更新する4分5秒27で優勝した。しかし翌日の、テレビのスポーツニュースでは、100メートル決勝の映像ばかりで、いくら花形選手の出場したレースとはいえ、平凡な記録に終わったにも関わらず、日本新記録で優勝した田中希実さんの映像がほとんど出なかった。可哀そうだし、彼女に失礼と思った次第。アイススケートもそうだ、優勝した選手よりも、芸能界で活躍している姉妹がのインタビューや映像が出る。なんか違うなぁー。そう思うのは、私だけでしょうか。

夜は、打ち合わせのために伊勢原の浄発願寺から帰ってきた大熊雄次氏と西横浜の「オアジ」にて待ち合わせて、イタリアンなる一献会。

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