十月三十日(金)晴れ。
午前中、所用で六本木行き。お世話になっている映像プロダクションにて打ち合わせ。久し振りに、昼の六本木を歩いたが、すっかり様変わりしていて、少々驚いた。アマンドが移転したのは知っていたが、気がつけば交差点にあった書店、誠志堂もなくなっていた。なにか、私のようなオヤジの歩くような街ではなくなってしまったような感じがした。
今日は、夜も六本木にて大行社の幹部諸兄との飲み会があり、打ち合わせが長引いたら、そのまま、どこかで暇を潰していようかとも思ったが、ことのほか用事が早く済んだので、一旦自宅に戻ることにした。自宅から六本木に行くのには、湘南新宿ラインで恵比寿まで行き、そこから日比谷線に乗り換えをする。以前は、横浜から東横線で中目黒で乗換えをしたが、便利になったものだ。二時過ぎに自宅に戻り、遅い昼食。
四時半の湘南ラインに乗って再び六本木へ。少し早く着いたので、スタバでお茶。六時より懇親会。体調が悪いので、「伊佐美」や「村尾」の誘惑と戦いながら、ひたすら水を飲んでガマンした。九時近く、小針、村田の両君と共に電車で帰宅。今日は六本木を二往復した。
そういえば、先日のサンケイ新聞で知ったのだが、明治四十二(一九〇九)年十月二十六日にハルピン駅頭で初代朝鮮総督の伊藤博文が朝鮮の志士、安重根に暗殺されてから百年目となるそうだ。伊藤を撃った安重根は翌年の明治四十三年の三月二十六日に処刑された。
韓国では、伊藤が撃たれた、十月二十六日に、ソウルの南山にある安重根義士記念館において、驚くことに、「伊藤博文暗殺成功百年」の記念式典を行なったというのだ。安重根の生誕祭でも、没後でもなく、伊藤博文の暗殺を記念した行事であることに、日本人である私は、違和感を感じずにはいられなかった。その人の死を悼むのではなく、喜び記念する行事なのである。桜田門外の変において暗殺された井伊直弼に対して、「井伊直弼暗殺成功記念日」として祝おうという日本人は恐らくいないだろう。
シナ人は、かつての敵の墓をあばいて、その骸をムチ打ち、後世、銅像を作り、唾かけ、ムチ打つという。大陸続きの韓国も、シナ人の悪口は言えまい。個人的には、安重根を尊敬もしているし、韓国人の友人も多い。しかし、その人たちの民族のDNA、即ち「恨」(ハン・韓国民衆の被抑圧の歴史が培った苦難・孤立・絶望の集合的感情。同時に、課せられた不当な仕打ち、不正義への奥深い正当な怒りの感情)の感情が脈々と受け継がれていることの驚き・・・。を知ったからと言って、韓国人を嫌いになることはないが、少々カルチャーショックを受けた次第。撃つ者も、撃たれる者も国士だと私は思うのだが。
私は、南山の安重根義士祈念館へは、もう幾度も訪れている。記念館の周りには、韓国の篤志家が建立した、安重根の漢詩などが彫られた自然石が幾つも建ち、旗をもった彼の銅像や朴正煕大統領の筆となる「民族正気の殿堂」と書かれた記念石などがある。安重根の書を複製したものなども何枚も買ってきた。しかし、いつ行っても、祈念館はガラガラで、日本語の分かる老館員が、私に、「日本人のお前達が来て、朝鮮人の若いのは、全く来ない」と嘆いていた。ホントの話です。
伊藤博文、安重根の両義士に謹んで哀悼の意を表します。