白雲去来

蜷川正大の日々是口実

坂本龍馬と六花亭

2010-02-26 12:02:42 | インポート

二月二十五日(木)晴れ。

 今日は、四月中旬の陽気だそうだ。この時期にこれほど暖かいのは、何となく嬉しい気持ちになる。午前中一杯は自宅にいてパソコンに向っていた。先日、航空会社の絵葉書をアップしたが、たいした枚数ではないので、この際、全部パソコンに取り入れた。スキャナーの性能が良いので、パソコンの画面で見ても、とてもきれいだ。

 作家の、大下英治先生から送られた原稿の校正をやっと終えた。細かい日にちの事や、人の名前など、かなり失念しているものも多く随分と時間がかかってしまった。

 昼食後は、事務所へ。様々な人たちから、様々な手紙や、機関誌、案内状などがどっさり届いていた。その処理や対応を済ませて、六時前に自宅に戻った。

 話は、変わるが、北海道のみやげと言えば、子供達のリクエストはいつも「白い恋人」であり、長い間、それが主流だったが、ある時期、飲み屋のネェちゃんたちに「六花亭」の、「ストロベリーチョコ・ホワイト」というものが、流行ったことがあった。

 馴染みの飲み屋で、うっかり北海道へ出張などと言へば、必ず「六花亭」の「ストロベリーチョコ」をねだられた。私的には「マルセイバターサンド」の方が好きだし、正直言って、「ストロベリーベリーチョコ」の方は、ガサバって買ってくるのが面倒だった。そうそう、お菓子の話ではない。その六花亭の包装紙の話である。北海道の花や草木をあしらったデザインの包装紙は、それがすぐに六花亭のものと分かるくらい定着している。

 その包装紙と、坂本龍馬とが関係あることを知っている人は少ないだろう。そういう私も、その関係を知ったのは、「週刊朝日」の二月十九日号に連載されている「週刊・司馬遼太郎」の中でのこと。

 東京に住む坂本登さん(七十二)は坂本本家の当主。龍馬の兄の権平から数えて五代目となるそうだ。防災会社を経営するかたわらで、頼まれれば龍馬のシンポジュウムなどにも参加する。その登さんの父親は、山岳画家として有名だった坂本直行氏。直行さんの作品は根強い人気をもち、北海道の山野に咲く可憐な花をモチーフとして描いたのが、現在の六花亭の包装紙である。

Photo ※これがその包装紙です。

 夜はおとなしく家にいて、わが家で、夕食時に、ささみカツ、一口トンカツ、ハムカツなどを肴に一杯飲んで、早めに寝た。


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大行社の幹部会に出席。

2010-02-24 23:34:38 | インポート

二月二十四日(水)晴れ。

 昨日に続いて良い天気である。今日も六時に起床して家族で朝食。八時になると家にいるのは私だけである。台所の片付けや、洗濯物を干したり、居間の掃除を済ますと、もう十一時近い。慌てて、着替えを済ませて東京へ。今日は、一時半から大行社の幹部会議がある。

 天気が良いので、田町の駅から、幹部会の会場となっている場所まで歩いた。コートも要らない温かさである。一時半過ぎから会議開始。顧問の山口申、四宮正貴両先生の後に、相談役として所感を述べさせて頂いた。携帯のワンセグで、オリンピックの女子フィギアを見れば、日本選手が健闘している。頑張って欲しいものだ。三時過ぎに終了。田町から品川に出て、珍しく京浜急行にて帰宅。

 五時から、近所の床屋へ。昨年末に行ったきりで、二ヶ月ぶりである。終了後は、下の子供を迎えに行きがてらスーパーで買い物をして自宅に戻った。テレビでは、アメリカの公聴会でトヨタイジメが始まったとのニュース。気分が悪くなるので、すぐにチャンネルを変えてしまう。

 そういえば、先日購入した、「週刊新潮」で、「明治めちゃくちゃ物語」を連載している、野口武彦さんの「天誅と新撰組」(新潮選書)が、メチャクチャ面白い。今日も、東京に行く電車の中で読んだが、帰りには、途中でやめるのが惜しくて、スタバに寄って、続きを読んだ。歴史の勉強にもなるし七百二十円では安い買い物である。

Img599 ※オイチョかカブの面白さ。


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思い出の写真。

2010-02-24 23:07:49 | インポート

二月二十三日(火)晴れ。

 子供達が、朝練とやらで六時に起こされ、早々と朝食。家族が家を出た後は、のんびりコーヒーを飲み、事務所に郵便物など取りに行き、自宅に戻り原稿書き。

 その間、お世話になっている方や、購読料を送って頂いた方にお礼の手紙などを五通書く。「大吼」の春号の編集後記や校正に夕方まで。

 夜は、おとなしく家で夕食時に晩酌。入浴後に録画しておいた山本周五郎原作で、伊達騒動をテーマにした「樅の木は残った」を見た。これが中々良くて、ラストシーンはジーンとさせられた。気がつけば深夜の一時過ぎ。慌てて寝た。

 何日か前のブログで、古い写真をパソコンに保存していると書いたが、今日、事務所から持ってきたのは、昭和四十八年から四十九年当時のもの。全て入力したわけではないが、当然ながら、懐かしいものばかり。日曜日に葬儀を行なった、国粋青年隊の矢代総裁と、当時、小早川貞夫先生が主催して、神奈川は湘南地方で行なわれていた、「尊皇攘夷街頭宣伝」に参加した折の写真や、学純同の遊説で京都に行った時の写真が出てきた。写真整理も、面倒だが楽しくもある。

49 ※昭和49年秋。後列、蜷川(左)と矢代総裁。

S49710 ※昭和49年7月、京都駅頭にて。街宣車の上にいるのは前田伏樹現学純同総裁と蜷川。

S497 ※左より、蜷川、長谷川光良、前田伏樹の両氏と。上の写真と同日、京都にて。写真をクリックしますと拡大します。


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私の趣味。

2010-02-24 08:45:30 | インポート

二月二十二日(月)曇り。

 今日は、平成二十二年二月二十二日と二が五つも重なる。だからと言って、何かあるのかと言われたら身も蓋もない。ニュースでは、駅で今日の日付の入ったキップを買う人の行列を映していた。そうか、私も記念に一枚欲しいと思った次第。

 私は、これと言った趣味を持ち合わせていない。ゴルフもやらないし、競輪、競馬に麻雀もしない。ただし、パチンコは、本当にたまにやる。その昔は、黒鯛釣りに凝って、竿も随分と買ったが、この十年以上、竿を下ろしたことがない。

 読書やスクラップは趣味と言うよりも、仕事であるから怠るわけはいかない。キャンプやバーベキューは、家庭サービスである。強いて言うならば、旅行で泊まった国内外のホテルの絵葉書と、飛行機会社の絵葉書を、ついでに集めている。従って、ホテルに泊まった時に、そのホテルの備え付けのレターセットや絵葉書がないと、チヨットがっかりする。

 飛行機の絵葉書もそうだ。その昔はJALに乗ることが多かったので、JALの飛行機などの絵葉書を沢山持っている。もちろん懐かしい「鶴丸」のものもあるし、季節物も大切にとってある。今は亡くなってしまったが、JASの「虹」の飛行機シリーズや、「 フレンドリー・バード」などもあるし、エアーニッポンの葉書もある。

 ノースウエストやデルタなどのアメリカ系の飛行機会社には、絵葉書を常備しているものが少ないので、何か損をしたような気持ちにさせられる。旅に出たときに、親しい人へ、機中にて絵葉書を書くことを教わったのは野村先生だった。もちろん旅先のホテルからもだ。

 仕事で海外に行くと、必ず泊まったホテルから子供に絵葉書を出す。しかし残念なのは、長期の滞在ではないので、ほとんどが私が帰宅した後に葉書が到着するが、それでも子供達は、外国の珍しい風景の葉書を見て、喜んだものだ。今は、廃業してしまったホテルや、オーナーがチェンジして名前の変わってしまったホテルなど、眺めていて懐かしいものもある。香港のリージェントやサイパンのニッコー・ホテルなどがそうだ。

 まあこういった絵葉書は、旅のついでに集めるもので、お金がかからず、思い出となっていい。考えてみればささやかな趣味でもある。

 夜は、先日亡くなった「清水苑」のオヤジを偲ぶように、近所の人たちが集まって、食事会があった。十一時近くに帰宅。

Img595 ※懐かしい鶴丸の747

Img596 ※現在のボーイング747

Img597今はなきJASのレインボー、シリーズ。

Img598 ※乗ったことがありますか。

 


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日本車のリコールなんて、チャンチャラおかしい。

2010-02-24 07:33:09 | インポート

二月二十一日(日)晴れ。

 アメリカでトヨタ自動車へのリコール問題に関する公聴会が始まるという。民主党の普天間問題が迷走する中で、アメリカが何かイヤガラセを行うのではないかと思っていたら、案の定だった。もちろん証拠はない。ただそんな気がするだけである。

 アメリカの日本車へのリコールなんてチャンチャラおかしい。聞くところによれば、アメリカでは、アメリカ車へのリコールが毎年千六百万台もあるという。日本人は極めて寛容であるから、多少の不具合があっても、「まあこんなものか」と、修理に出すが、余り気にしない。それはなぜか、多くの国民が、アメ車なんてそんなもの。という意識を持っているからである。いや、アメ車に関わらず、欧州車だって同じだ。最近はそうでもなくなったが、高級車のマセラッティーに乗っている友人がいたが、彼によれば、乗っているよりも、修理に入っている方が長い。とこぼしていた。

 少し前のアメ車なんて、雨漏りや窓が閉まらない、オイル漏れなんて言うのは、常識で、「そんな事を気にしていたらアメ車なんか乗れない」というのが、共通の意識であった。以前私もアメ車を乗っていた時期がある。チェロキーとフォードのエクスプローラーという四駆である。信じられないことに、チェロキーは走行中に後部座席の側面のガラスが落ちたことがあった。

 フォードの場合は、やはり走行中に異常にエンジン音が高くなり、ディラーに引き取りに来て貰った。チェロキーはホンダが、輸入代理店をしており、そこの従業員いわく、「一度輸入した車を、メンテナンスしなければ、怖くて客に渡せない」と話していた。今だって、中古のアメ車や並行物のアメ車などに乗っていたら、遠出するのが怖い、と言うのが一般的な感覚ではないのか。

 アメリカの自動車業界が軒並み不振で、日本車だけが業績が良い。アメリカ人のプライドを傷つけたかもしれないが、民主党の政権となって、何かある、と思っていたら、トヨタ叩きか・・・。デカイ体をしているくせに、意外とやることがセコイ。これからもコーヒーは、ブラックは飲まないことにする。


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