白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ケチで、借金まみれだった天才詩人。

2019-01-31 10:06:36 | 日記
一月二十九日(火)晴れ。

若い女性が、何かにつけて「やばい、やばい」を連発する姿を見ると、「ばぁーか、低能女」と、つい毒づいてしまう。きっと本などほとんど読まないからボキャブラリーが不足していて、日本語で、自分の思いを伝えることが出来ないのに違いあるまい。また、何かを食べて「うめぇー」何て言う女を見ると、張り倒したくなる。他にも、箸を正しく持てない、握り鮨を食べる時に、ご飯の部分に醤油をベタっとつけて食べる、食事中にタバコを吸う女、矯正教育が必要だとつくづく思ってしまう。人にとって「所作」と言うものは、育ちだとか教養が現れるものだと、思っている。まあ、そう言う私も、偉そうなことは言えないが。

石川啄木と言えば、貧困と闘いながら夭折(ようせつ=年が若くして死ぬこと)した天才詩人。というイメージがあるが、嵐山光三郎の『文人悪食』(マガジンハウス)によると、ほとんど性格破綻者であったことが分かる。人並みの収入があったにもかかわらず、自分の金は使わず、借金まみれ。さらには部屋代も払わなかったと言う。嵐山先生によれば、「啄木は金を借りた相手に感謝をすることはない。それのみか、金を借りた相手をののしり、憎んでいる。金を借りることのうしろめたさが逆作用となって、貸した相手への痛罵になるのだが、その根底に、自分は天才詩人であるから、他人はほどこしをして当然だという思いあがりがある。現在残されている啄木の借金メモは、二十四歳のときのものだが、友人という友人に借りまくった総計が千三百七十二円五十銭になっている。白秋に十円、杢太郎に一円、吉井勇に二円、と借りた総計が千三百七十二円五十銭になるわけで、大口は郁雨の百五十円と京助の百円である。二十四歳のときヽ啄木は朝日新聞社に就職して、そのときの月給が二十五円だった。いまの価値ならば二十五万円ほどだろう。当時の一円を一万円と計算すれぱだいたいの見当がっく、つまり月給二十五万円の男が、一千三百万円余の借金をしていたのである」。

啄木の少年時代、いかに自分本位でわがままな性格であったかは、啄木の妹の三浦光子の書いた『悲しき兄啄木』(近代作家研究叢書や)『ローマ字日記』(岩波文庫)に詳しい。啄木の詩を読むときがあったら、上記の文を忘れることにしよう。

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先々の時計となりや小商人。

2019-01-30 18:13:41 | 日記
一月二十八日(月)晴れ。

「毎月勤労統計」の調査が不適切だったとかで、野党の気勢が上がっている。まあ大事な事なんだろうが、野党も一緒になって、韓国海軍の自衛隊機に対する火器管制用レーダーを照射した問題に、せめて抗議の一つもして貰いたいものだ。

先日、松原商店街の魚幸に行ったら、「しじみ」を売っていたので二皿ほど買い求め、砂抜きしてから、小分けにして冷凍した。何でもしじみは冷凍すると、オルニチンという肝臓に良いエキスが多くなるとかで、酒で傷んだ肝臓の修繕のために、なるべくみそ汁などにして食するようにしている。

私の子供の頃は、まだ天秤棒を担いで、アサリやシジミを売りに来た。その呼び声を良く真似したものだ。その他は、納豆売り、豆腐屋のラッパ。それぞれ来る時間が決まっており、そこで、「先々の時計となりや小商人(こあきんど)」との川柳?が出来た。まだ時計が普及していない時代で、決まった時間に来る売り子を時間の目安とした。遊んでいても、近くの銭湯の煙突から煙が上ると、三時。工場のサイレンが聞こえると五時。「カラスが泣くから帰ろう」と言って家に帰った。

そんな訳で、朝は、ナスとエリンギと豚肉のオイスター・ソース炒め、キュウリの塩もみ、冷奴にシジミの味噌汁。夕方まで機関誌の校正。昼は抜いた。夜は、月に一度の町内会の仲良しさんたちとの飲み会。一時間ほどで帰宅。可もなく、不可もない一日でした。

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ガラーケーではなく、ガラホだって。

2019-01-29 13:20:01 | 日記
一月二十七日(日)晴れ。

珍しく、九時まで寝ていた。私が起こさなければ家族は誰も起きてこない。それほどの重労働をしている訳ではないのに、起こさなければ昼近くまで寝ていられると言うのは、ある意味で、若さゆえの体力かもしれない。

朝食は、ブリの塩焼き、おでんの残り、焼きそば、という極めて脈絡のない食事。昼は、マックでエビフィレオ・セット。夕食は、スキヤキにマグロ刺し身。お供は「黒霧島」。

会社用の携帯を失くしたので、保土ヶ谷駅前のAUに行き、新しいものを購入した。単に「受け」が専門なので、一番安いものとガラケーの条件を提示したら、今は、完全なガラケーと言うものは無く、「ガラホ」という機種しかないとのこと。まあ「ケー」と「ホ」ぐらいの差なので大したことはないと思い購入。ドコモだと、機種変更でも、二時間近くかかるが、AUではわずか三十分で終わった。この差は何だ。新しい電話にして、かかってきた第一号は、社友の林雄毅さんだった。すぐに登録した。

大阪なおみが、全豪オープンで優勝した。テニスなど全く分からない私でも、何か嬉しい気持ちになる。子供が小さい頃、スケートをやらしていた。その頃は、さほど人気が無かったので、リンクが閉鎖されると言う噂もあった。それが、例の「イナバウアー」で人気が沸騰し、習いに来る子供が増え、送り迎えの車で、いつもガラガラだった駐車場も入れないほどになった。きっと大阪なおみ効果で、テニスを始める子供が増えるに違いあるまい。こうしてスポーツの底辺が広がる。良いことだと思う。

夜は、録画しておいた大阪女子マラソンを見ながら、一杯。福士加代子が転倒し額と両足の膝から血を出しているのが可哀そうだった。年齢的に言えば最後の挑戦となるかもしれず、大事なければと、祈っている。レースは天満屋の小原怜さん(美人だ)が二位に入ったが、全般的に記録は低調で、まだ世界は遠いと言うことを実感した。

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失くすし、壊れるし・・・。

2019-01-28 13:44:18 | 日記
一月二十六日(土)晴れ。

天ぷらを煮て食べるのが好きだ。それも高級な種などではなく、人参の天ぷら。暇な時に、このニンジンの天ぷらを山のように作っておき、暖かいうどんの中に入れたり、天つゆと卵でとじて「煮天丼」にして食べる。一度、スーパーの惣菜で買ってきたものでやったが、揚げた油が悪いせいか、全く駄目だった。天丼とカツ丼、この二つは、体のことを考えて「食べたい」という欲求を遮断するのに、とても苦労している。

そう言えば、和室の天井ライトが突然壊れた。知り合いの電気屋さん見て貰ったら「電気は通っているので、照明器具が壊れたのでしょう」とのこと。会社のガラケーの携帯は失くすし、照明は壊れるし、春からついていない。仕方がないので午後から、ヨドバシに行き買ってきた。壊れた物は蛍光灯だったが、さすがにそんな時代ものはなく、LEDの物にした。ついでにDVDケースや録画用のブルーレイ・ディスクなどを買ってから、松原商店街にて、夜の肴を探して散策。

夜は、おとなしく酔狂亭にて月下独酌。

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『昭和歌謡の謎』が面白い。

2019-01-28 12:28:17 | 日記
一月二十五日(金)曇り。

寒い朝だった。この時期当然かもしれないが、布団から出るのに気合が必要となる冬の朝は、どうも苦手である。私は、ベッドではなく布団で寝ている。畳んで押し入れに仕舞えば部屋がより広く使えるのと、曽野綾子さんのエッセイで知ったのだが、布団から起き上がる、という日々の行為が、年寄りには運動にもなり、リハビリにもなる。とあったので、より布団が好きになった。

武田鉄矢が司会をしているBSジャパンの「昭和は輝いていた」という番組が好きで良く見ている。そこにゲストで出演する歌手の合田道人さんが、あらゆるジャンルの歌に対する知識が豊富なので、いつも感心して見ている。その合田さんが歌に関する様々な本を出していることを知ったのが新聞の書評。歯医者に行くついでに買ったのが、『詞と曲に隠された物語-昭和歌謡の謎』(祥伝社新書)。へぇー、そうだったの・・・。ととても楽しく読んでいる。一緒に書評にあった『粋な男たち』(玉袋筋太郎著・角川新書)も買ったが、この本は駄目だった。世界の北野さんのお弟子さんと言うので、飲み屋や寿司屋、そして芸人の粋な所作が書かれているのだろうと思ったら、全くの期待外れで、どこが「粋」何だと、珍しく最後まで読まずに、本を閉じた。

合田さんの本で知ったのだが、数あるご当地ソングのなかで出色なのが、クールファイブの歌った「長崎は今日も雨だった」。旅行先で雨に降られると嫌なものだが、長崎に限っては、「やっぱり歌の通りだ」と喜ばれるそうだ。私も、二三度長崎に行ったことがあるが、やはり「雨が降らないか」と期待したものだった。長崎はビワの名産地でもある茂木の港にある料亭「二見」が懐かしい。

夜は寒いので、酔狂亭で「おでん」。「黒霧島」のお湯割りを友とした。

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