白雲去来

蜷川正大の日々是口実

月光仮面じゃあるまいし。

2016-06-10 17:33:08 | 日記
六月八日(水)曇り。

フェイスブックの「友達」から、「とても良い文章のブログがあります」と紹介をされた。早速開けてみると、ナルホド、正直言って「瞠目する」とまではいかないが、教えられることも多々あり、私の日々酔っぱらいのブログなどとは、その中身も格調も違い、感心した。一体、どんな人が書いているのだろうかと思って、調べてみたら、全くプロフィールがない。名無しの権兵衛さんなのだ。月光仮面ではないが、何処の誰かは、知らないけれど・・・。なのだ。

いっぺんに冷めてしまった。どんなに立派な理論があり、見識を持っていても、名乗らずに、他人や政治を痛罵、批判して何の意味があるのかと思ってしまう。人は、それぞれに事情があるのは分かる。仕事上、立場上、隣近所の付き合いから、自分が民族派、いや右翼だと思われるのが不都合、など。しかし、自分を晒す覚悟のない者に、果たして人の批判をする資格があるのだろうか。生前、野村先生も良く言っていた。「自分に甘く、他人に厳しい者に、ロクな奴はいない。冬の寒い時に、自分はこたつの中に入っていながら、他人には、寒い外を歩けと言う奴」。

良く分からないが、なぜ、自分を隠さなければならないのだ。知られて困るような、恥ずかしいことを書いているのか。また、そんなことを書いていると知られると、仕事上不都合。と思うのならば、その人が批判する連中と大差ないではないか。私は、民族派と言う立場を鮮明にして、発言し、物を書き、機関誌を出版している。誇ることもないが、恥ずかしいなどと思ったことは一度も無い。自分を隠さなければ、意見が言えないようでは、命を懸けた先人に申し訳ないとは思わないのだろうか。私たちの行っている運動は、決して隠すことでもなければ、隠れることでもない。ハンドルネームとかで呼び合っている気持ち悪い連中と一緒と思われても仕方がない。自分が何者かを明らかにせずして、「憂国」とは片腹痛い。

野村先生は、「信念を貫けば十字架が待っている」と仰った。何も、「十字架に架かれ」とは言わないが、せめて、名乗りを上げて、政治や、反日勢力を痛罵してもらいたいものだ。そういう私も、古ーい人間なんでしょうかねぇー。

夜は、紅灯の巷に誘いがあって、心が動いたが、今月は、支払いが山ほどあることを思い出し、酔狂亭で独酌。今日も、カツオが見当たらなかった。
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1 コメント

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まったく同感です。 (藤本隆之)
2016-06-13 10:35:57
さすが兄貴。本当にそう思います。
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