二月二十六日(月)晴れ。
昭和十一年に起きた、陸軍の青年将校らによるクーデター未遂事件、二・二六事件から今日で八十二年となる。昭和十一年と言うと、戦前でもあり、随分と昔のことのように思うが、私が生まれるわずか十五年前のことでしかない。私の母は、この時東京にいて、街の異様さ、人々の緊張感を体験したと、横浜に雪が降るたびに「二・二六事件を思い出すねぇ」と言っていた。若き日の母が直面した、重大な事件であるからこそ、いつまでも忘れられなかったのだろう。
私が、最初に二・二六事件の映画を見たのは、昭和三十七年に公開された「脱出」である。私は、小学校の五年生だった。江原真二郎扮する栗林中尉が、とても良く、今でも印象に残っている。決起した青年将校のうち、栗林中尉の率いる一隊は首相官邸を襲ったが、折から投宿中の首相と酷似の義弟杉尾大佐を首相と思い込んで射殺、付近一帯に警戒線を張った。女中部屋に隠れていた岡田首相が、文字通り「脱出」する映画なのだが、アクションと言うよりも、サスペンス映画のような気がする。
中学に入ってから、「馬賊」関係の本と、「二・二六事件」の本を読み漁った。良く、二・二六事件から日本は、戦争の道をひた走った、という論評が当たり前のようになっている。そして二・二六事件の青年将校らが、戦争の促進者のように言う人がいるが、それは間違いである。国内の不平や不満を外に向けようとした、いわゆる統制派と言われた人達を倒そうとしたのが、二・二六事件の皇道派の青年将校なのである。彼らは、大陸に進出するよりも、腐敗する政・財・官界を刷新して、国内維新を断行しようとして決起した。歴史に「もし」はないが、二・二六事件が成功していたならば、戦争の拡大はなかったのかもしれない。
雪が降るたびに想う。「ご聖断を仰ぎ、妖雪を払い、昭和維新を断行する」と決起した青年将校を。生まれてくる時を間違えた。
昨日の読売新聞の「文化欄」に、『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社)の著作のある梯久美子さんが『齋藤史全歌集』を紹介していた。「平成九年の歌会始に、八七歳の齋藤史(ふみ)は召人(めしうど)として参内した。召人とは天皇から特に召し出されて歌を詠む人である。宮殿への階段を上っていくとき、自分の後ろに軍服の男たちが並んでいる気がしたと、後に史は語っている」。その軍人たちとは、二・二六事件に決起した青年将校である。その中心人物であった、「脱出」で江原真二郎が扮した栗林こと栗原安秀中尉は、史の幼馴染であった。因みに史の父は、歌人でも知られた齋藤劉で、反乱を利したと禁錮五年の刑を受けている。齋藤劉、史のことは、『昭和維新の朝(あした)―二・二六事件と軍師・齋藤瀏』(工藤美代子著・日本経済新聞社刊)に詳しい。
私が、二・二六事件関係の本で好きなのは、立野信之の『叛乱』、末松太平の『私の昭和史』、大蔵栄一の『二・二六事件への挽歌』などである。野村先生の獄中句に「二・二六の今年は獄のほそ霙」がある。
午後に『週刊新潮』から電話取材有り。夜は、町内の仲良しさんたちとの一献会。しかし体調悪く早めにお暇した。
昭和十一年に起きた、陸軍の青年将校らによるクーデター未遂事件、二・二六事件から今日で八十二年となる。昭和十一年と言うと、戦前でもあり、随分と昔のことのように思うが、私が生まれるわずか十五年前のことでしかない。私の母は、この時東京にいて、街の異様さ、人々の緊張感を体験したと、横浜に雪が降るたびに「二・二六事件を思い出すねぇ」と言っていた。若き日の母が直面した、重大な事件であるからこそ、いつまでも忘れられなかったのだろう。
私が、最初に二・二六事件の映画を見たのは、昭和三十七年に公開された「脱出」である。私は、小学校の五年生だった。江原真二郎扮する栗林中尉が、とても良く、今でも印象に残っている。決起した青年将校のうち、栗林中尉の率いる一隊は首相官邸を襲ったが、折から投宿中の首相と酷似の義弟杉尾大佐を首相と思い込んで射殺、付近一帯に警戒線を張った。女中部屋に隠れていた岡田首相が、文字通り「脱出」する映画なのだが、アクションと言うよりも、サスペンス映画のような気がする。
中学に入ってから、「馬賊」関係の本と、「二・二六事件」の本を読み漁った。良く、二・二六事件から日本は、戦争の道をひた走った、という論評が当たり前のようになっている。そして二・二六事件の青年将校らが、戦争の促進者のように言う人がいるが、それは間違いである。国内の不平や不満を外に向けようとした、いわゆる統制派と言われた人達を倒そうとしたのが、二・二六事件の皇道派の青年将校なのである。彼らは、大陸に進出するよりも、腐敗する政・財・官界を刷新して、国内維新を断行しようとして決起した。歴史に「もし」はないが、二・二六事件が成功していたならば、戦争の拡大はなかったのかもしれない。
雪が降るたびに想う。「ご聖断を仰ぎ、妖雪を払い、昭和維新を断行する」と決起した青年将校を。生まれてくる時を間違えた。
昨日の読売新聞の「文化欄」に、『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社)の著作のある梯久美子さんが『齋藤史全歌集』を紹介していた。「平成九年の歌会始に、八七歳の齋藤史(ふみ)は召人(めしうど)として参内した。召人とは天皇から特に召し出されて歌を詠む人である。宮殿への階段を上っていくとき、自分の後ろに軍服の男たちが並んでいる気がしたと、後に史は語っている」。その軍人たちとは、二・二六事件に決起した青年将校である。その中心人物であった、「脱出」で江原真二郎が扮した栗林こと栗原安秀中尉は、史の幼馴染であった。因みに史の父は、歌人でも知られた齋藤劉で、反乱を利したと禁錮五年の刑を受けている。齋藤劉、史のことは、『昭和維新の朝(あした)―二・二六事件と軍師・齋藤瀏』(工藤美代子著・日本経済新聞社刊)に詳しい。
私が、二・二六事件関係の本で好きなのは、立野信之の『叛乱』、末松太平の『私の昭和史』、大蔵栄一の『二・二六事件への挽歌』などである。野村先生の獄中句に「二・二六の今年は獄のほそ霙」がある。
午後に『週刊新潮』から電話取材有り。夜は、町内の仲良しさんたちとの一献会。しかし体調悪く早めにお暇した。