白雲去来

蜷川正大の日々是口実

町の洋食屋さん。

2021-05-31 18:20:16 | 日記

5月23日(日)晴れ。

朝、蕎麦を茹でて、買ってきた総菜の天ぷらで「天ぷら蕎麦」でもしようかと思ったが、蕎麦を茹でるのが面倒なので、煮天丼にした。それに、もやしの味噌汁。昼は、紅しょうがの天ぷらに、温かい蕎麦。夜は、カツオ、マグロの刺身、豚肉とキャベツと山芋の炒め物、焼き椎茸。キリンのグリーンフリーを二本。休肝日とした。

そういえば、「町の洋食屋」が随分と少なくなった。原因はファミレスの抬頭なのだろうか。私が子供の頃は、ファミレスなどなく、ハレの日の食事と言えば、町のレストランかデパートの食堂だった。当時、伊勢佐木町には、「赤灯台の松喜屋」「野沢屋」「松坂屋」の三つのデパートがあった。もう一軒、「湘南デパート」と言うのがあったが、戦災で焼けたまま廃墟となっていた。時折、母に連れられて「松喜屋」の食堂で「カツライス」を食べて、屋上にある赤灯台の周りの遊具で遊ぶのが、とても楽しみだった。今では、伊勢佐木町から、いわゆるデパートは一軒もなくなってしまった。

今のオデオンのビルの近くに「洋食の小西」というレストランがあった。メニューに、それぞれ番号がついており、料理の名前ではなく、皆さん番号で注文していた。当時、なぜか皆さんフォークの背に器用にライスをのっけて食べていた。またライスには塩を振るのが当たり前と思っていた。ポークソテーに缶詰のパイナップルを載せただけで「ハワイアンスタイル」。スパゲティーを「パスタ」なんていう人は皆無で、ケチャップ味の「ナポリタン」と「ミートソース」の二種類しかなかった。野毛にはまだ洋食屋さんが何軒か営業しているので、今度行ってみるか。


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先輩の法要と納骨。

2021-05-31 10:25:31 | 日記

5月22日(土)晴れ。

4月の4日に亡くなられた四宮正貴先生の49日法要と納骨式が、四宮家の菩提寺である東十条のお寺で行われ出席。久しぶりの背広にネクタイ。本当に久しぶりなので、ベルトはどこ、カフスボタンは、ハンカチは、靴は磨いてあるかなどと大騒ぎである。「乗換案内」で電車の順路は調べてあるので、心配はない。保土谷から横須賀線で新橋へ行き、京浜東北に乗り換えて東十条へ。約一時間。

保土ヶ谷駅に着いてから、あっいけない本を忘れた。わざわざ玄関に用意をしておいたのに、置いてきてしまった。最近こういったボケが多い。持って行こうと思った本は『ルワンダ中央銀行総裁日記』(服部正也著・中央公論新社)スマホをいじっての一時間は退屈である。

東十条の駅は初めてである。京浜東北線で上野から先に行くのは初めてのことではないかと思う。駅員にお寺の場所を聞いて歩く。何の変哲もない街並み。お寺は駅から徒歩三分と言うことで教えられた道を歩いていると、こんな下町には全く似合わない高級外車が、反対側からきて角を曲がった。多分あそこに間違いないだろうと思って、高級外車の曲がったところまで行くとビンゴ。知った顔の同志の人たちが入り口に立っていた。

このご時世とあって参列者は30人ほど。法要を済ませた後に納骨。恐らく、このお寺にはもう来ることもないかもしれない。丁寧に手を合わせて、帰路に就いた。帰りは、乗り換えをせずに京浜東北線一本で横浜まで。本を忘れてきたのがつくづく悔やまれる。朝食を取っていなかったので保土谷で「焼売弁当」を買って帰宅。夜は、キリンのグリーンフリーを二本のみ。休肝日とした。


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夏は来ぬ。

2021-05-30 15:08:56 | 日記

5月21日(金)雨。

何時の頃からか覚えていないが、自宅の前の会社の周りの木にホトトギスが棲むようになって、早朝から鳴き声を聞かせてくれる。子供が小学生の頃に、「ホトトギスは習いもしないのに『法華経、法華経』とお経を読むんだよ」と言った、とても感心していた。今もその時のことを覚えているのだろうか。

ホトトギスと言えばすぐに浮かぶのが佐々木信綱作詞、小山作之助が作曲した「卯の花も匂ふ垣根に ほととぎすはやも来鳴きて しのび音もらす 夏は来ぬ」の歌。ちなみに卯の花とはウツギのことで、アジサイ科の落葉低木。茎が中空のため空木(うつき)の意味ともいわれ、卯月(旧暦4月)に咲く花の意とも言われる。なぜかこの歌に、遠い昔の小学校の教室が重なる。「夏は来ぬ」以外では、「故郷の人々(スワニー河)」、「紅葉」、「故郷」、「朧月夜」といった唱歌が好きだ。

朝食は、野毛の「尾島」のメンチカツ、マカロニサラダ、昨日の残りのシチュー。昼は、やはりメンチカツ、ロースハム、目玉焼き。夜は、カツオ、千葉は千倉土産のサバの文化干し。恐る恐る酔狂亭にて独酌。


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宅飲みで大破・轟沈。

2021-05-30 14:30:56 | 日記

5月20日(木)曇り。

いやはや久しぶりに宅飲みで大破・轟沈。情けない。家族が出かけたのも知らずに目が覚めたのは10時を過ぎていた。寝室の天井に「反省」の二文字が消えずに浮かぶ。着替えをせずにそのまま寝てしまったのだろう、Tシャツに「焼きおにぎり」の食べかすがついていた。多分昨夜の名残だろうが、食べたことを覚えていないので、余計に情けない。

元楯の会の故阿部勉さんの「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちちなん」の歌が浮かぶ。阿部さんが逝ってから22年か。人が去って行くのではなく、時が去って行く・・・。と教えてくれたのは『不良ノート』の百瀬博教さんだ。その百瀬さんも平成20年(2008)に亡くなられた。歳をとると二日酔いに無常感が重なる。

重い頭を何とか正常にするための昼食に近い朝食は「ヒレカツ丼」にとろろこぶのスープ。夜は、クリームシチューにナポリタン。家族の手前、休肝日とした。


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遣らずの雨。

2021-05-28 12:14:46 | 日記

5月19日(水)雨。

雨か。雨と言えば、最近ではほとんど使われなくなった言葉に「遣(や)らずの雨」というものがある。意味は、帰ろうとする人をひきとめるかのように降ってくる雨。の事であるが、もう少し色っぽい意味で使われることが多い。元新橋の芸者で、その後、アメリカに渡り、コロンビア大学、ニューヨーク大学などで東洋哲学の講義をするなどの才媛、中村喜春(1913・4・14~2004・1・5)の『いきな言葉・野暮な言葉』(草思社)によると、「自分の恋人が帰らなければならない。けれども帰したくない。そんなとき、雨がザァザァ降ってくる。『雨が止むまで待っていらしたほうがいいと思うけど』なんて言って、引き止める」。まあそんな場面に出くわしたことはないけれども・・・。風情があるネェー。

その本は、何かの文章の中で紹介されていたものだが、今ではほとんど使われなくなった言葉や、しぐさなどが紹介されており、あらためて「日本語の美しさ」を認識させられた。そして今日びの若い女の子が「ヤバイ、ヤバイ」なんて言葉を使っているのを見聞きするにつれ、喜春姐さんではなくとも、心の中で「このバカ女め」と罵ってしまうのである。狭斜の巷で遊ぶ人たちには良い指南書であると思っている。

所轄の警察に、更新した免許書を取りに行った。いつの間にかゴールド免許になっていた。夜は、蒸し鶏、焼きタラコを肴に酔狂亭にて独酌。


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