10月18日(月)晴れ。
朝食は、ポークソーセージ、目玉焼きにキャベツの千切り添え、永谷園のマツタケのスープにとろろこぶ入れ。昼は抜いた。夜は。「正華」の餃子、焼売に鶏のから揚げ。お供は「黒霧島」。
朝食後に事務所へ。ごちゃごちゃになっている机の周りや、山積みとなっている資料の整理をした。と言っても本や資料などで足の踏み場もない。古い機関誌の棚を整理していたら亡くなられた毛呂清輝先生が発行していた『新勢力』の「創刊20周年号」があり懐かしく読んだ。発行は昭和50年5月15日。通巻186号である。目次を見ると、津久井龍雄、西田廣義、石川準十郎、中村武彦、葦津珍彦、小山寛二、櫻井義晃、石田圭介、頭山統一、池田龍紀、長谷川義記、鈴木邦男、犬塚博英の諸先生が原稿を寄せている。その中で何人の方がご存命なのだろうか。当時は民族派の機関誌とは雖も、これだけの論客の方々が原稿を書いていたのだ。当時は何気なく読んでいたが、今考えたらすごいことだ。
また俳句「鉄窓春秋」と題して野村先生が投句している。その20句の中に「毛呂宅はいま萩濃しと手紙くる」があり、その頃お訪ねした毛呂先生宅のことを思い出した。野村先生が戦線に復帰するのはその年の夏の事。犬塚先輩の原稿は「小史・民族派学生青年運動ーその生い立ちと今後の展望ー」と言うもの。もう46年も前の原稿だが、今読んでも全く遜色がない。いずれ私の機関誌に掲載させて頂きたいと思っている。