11月13日(土)晴れ。
過日、ネットで『サムライたちの辞世の句』(辰巳出版)という本を買った。本の帯には「サムライとその妻たちのわかれのうた45編。動乱の世を生きた日本人の死生観を体現した珠玉の”辞世の句”を玩味してください」という文章に惹かれたからだ。まだ読了した訳ではないが、その中で印象に残ったのが徳川慶喜の辞世である。「この世をば しばしの夢と 聞きたれど おもへば長き 月日なりけり」(この世は短い夢のようなものと聞くけれど、思い返すと長い月日だったよー解説より)。江戸城無血開城の後、謹慎、隠居して77歳の天寿を全うした慶喜とすれば、「思い返せば長い月日」だったかもしれないが、戊辰戦争で多くの部下を死に追いやった責任と覚悟が全く感じられず、呑気なものよ。と思ってしまう。
私の機関誌無「燃えよ祖国』で、野村先生の特集を編集中であるが、思い出したのが、先生と旅したスペインはトレドでの先生の言葉。「今、一水会で出している『レコンキスタ』という機関紙があるね。あの語はここの人たちがオスマントルコの三百年間の支配から国を取り戻そうとした運動、失われた土地を恢復する、すなわち失地恢復、レコンキスタの語源はここに始まる。紀元前二百年から侵略が繰り返されてきた。そういった歴史の長いスパンの中でね、俺は今、この前来た時と違う感慨がある。というのは、もう俺の持ち時間はない。そう言ったことを考えた時に、その長い歴史の中で俺の人生を振り返った時、俺の人生とは何だったのかな。そう思うと人間の営みとか、命とか、そういうものの、はかなさと言おうか、虚しさと言おうか。つまり長い歴史の中で見れば人間の一生なんか蜻蛉みたいなもんだな。朝に死んで、夕べに死んでしまう虫の命も、俺たちの人生五十年も、所詮は蜻蛉だ。それをしみじみ感じた今回の旅だったな」。この旅から二か月後に先生は自決する。
更に先生は、「明日の命を保証されている人など一人もいない。『一日一生』という言葉がある。かかる覚悟なくしての生涯こそ、無味乾燥の哀れをきわめた生きざまではあるまいかと、私は若い頃から思い続けてきた」。最後の殿様の徳川慶喜が、先生の、この言葉を知ったならどう思っただろうか。体調悪く一日家に。休肝日なり。