十一月二十六日(火)晴れ。
その昔に毎日つけていた「獄中日記」を年に幾度か読むことがある。別に意味があってのことではなく、自堕落な日々に自己嫌悪に陥った時などの戒めの為でもある。今日も久しぶりに当時の日記を読んでみた。平成元年の冬。冬になり農作業が出来なくなると、それまでの「切通し農場」から更に山奥の「住吉農場」という所に移動をさせられて樵(きこり)の真似事をさせられた。
初めて、この泊まり込みの施設に来た時には、少々驚いた。名前が「農場」ということもあって、その昔は、農作業も行っていたらしい。敷地内には、米を栽培していたであろう「陸稲」の跡があったり、畑らしいものもあった。倉庫には、馬が畑を耕すために使用した器具が残っており、そこには「馬耕班」の文字があった。炊事場の跡だろう煉瓦でつくられた竈やいかにも時代を感じさせるような小屋や道具が残っていて、いかにも「員数」にうるさい刑務所と言うものを実感させられた。
山に行けば、植林された松などには「明治何年」とか大正時代、戦前の目印が付いた物もあって、網走刑務所の歴史を物語っていた。私たち、農耕本隊の二十三名が生活する、一見山小屋のような建物は、一時代前の「土方の飯場」という形容がぴったりで、コの字型の部分が畳で、私たちの寝場所。真ん中はコンクリート敷きでストーブが三台。ストーブの周りには、洗濯物がある。寒さを防ぐために窓はすべて目張りをされているので、部屋の中で皆が動けば埃っぽいことこの上もなかった。
作業は、山の奥に入って、植林された木の間伐や枝払いに伐採。何が大変かと言えば、山に登って行くのに、腰までも積もった雪を、先頭の者がラッセル車のように道をつけて行くのである。そういう仕事は、私のような背の高い者がやらされ、三人並んで雪をかき分けて行く。後から来る者たちが、今度は雪を踏み道を確保する。どんなに寒くても作業場に着くまで、汗でびしょびしょとなる。まあ良い経験をしたと思っている。
休みの日など、本を読んで過ごすのだが、雪に囲まれた小屋の中で、実感していたのが幕末の儒学者の菅茶山の「冬夜書を読む」だった。
雪は山堂を擁して樹影深く 檐鈴(えんれい)動かず夜沈々 閑かに乱帙(らんちつ)を収めて疑義を思えば 一穂の青燈(せいとう)万古の心
降り積もった雪は山中のわが家を取り囲み、こんもりと繁ったまわりの樹木の影は薄い。軒の風鈴は下がったままで動かず、夜はしんしんと更けていく。とりちらかした書物を静かにかたづけながら疑問の箇所を考えていると、昔の聖賢の心が燈火の青い焔に照らし出されてくる思いがする。
人間は、一篇の詩や句、あるいは歌で心が安らぎ、救われることがある。ということを実感した。夜は、酔狂亭で月下独酌。