七月二十五日(日)晴れ。
連日の猛暑。つい最近までは、「クーラーなどの使用は地球温暖化につながるので、控えよう」などと言っていたくせに、この暑さの中では、「熱中症対策で、クーラーは必須」などと言っている。この暑さの中で、思い浮かべるのは、獄中の同志らの事である。
恐らく、独居で、まんじりともせずにこの猛暑に耐えているに違いない。宮城刑務所の伊藤白水氏や岐阜刑務所のO氏などは、無期懲役である。国賊征伐隊事件にて前橋刑務所に在監中の木村岳雄氏は、残刑が後一年となったとの便りが来た。肉体言語を駆使した同志の獄中での健康を願わずにはいられない。
今日は、午後五時より、井土ヶ谷の「ニューシフォン」というお店で、野村思想研の会合があり出席。十五分ほど若い人たちの前で話をして欲しいとの事なので、先日、旅した上海のことを語った。旅行から帰って来ても、上海関係の本やガイドブックを見て、余韻を楽しんでいる。涼しくなってから是非もう一度、訪れたいと思っている。
一八六二年の六月二日、高杉晋作は、幕府の公式の貿易船「千歳丸」に乗船して上海に到着した。目的は西洋諸国の上海の実情把握だった。この時幕臣の他、薩摩の五代友厚、佐賀の中牟田倉之助、大村の峰源蔵などが参加していた。
高杉は、この上海での見聞録を「遊清日録」と題した日記にこう記している。
「ヨーロッパ諸国の商船や、軍艦のマストが港を埋め尽しているさまは森の如く、陸上には諸国の商館が壁を連ねること城郭の如くその広大なことは筆舌に尽くしがたい。この地はかって英夷に奪われた場所であって港が賑わっているといってもそれは外国船が多いためである。中国人の居場所を見れば、多くは貧者で不潔な環境に置かれている。わずかに富んでいるのは外国人に使役されている者だけである。」
高杉は、アヘン戦争の敗北の結果、中国が西洋列強に蚕食される様に直面し、それまでの原理主義的な尊皇攘夷運動から、開国派へと転換して行ったのではないだろうか。
終了後は、大熊雄次氏と松本佳展氏を誘って、「だんらん亭」という焼き鳥屋に転戦。その後、わが酔狂亭にて三次会。ヘロヘロになって十一時前に解散。