白雲去来

蜷川正大の日々是口実

なんか変じゃない。

2017-07-31 18:26:42 | 日記
七月二十六日(水)雨。

雨で少しは涼しくなるかと思ったら、湿気で、結局、クーラーを入れた。朝食は、ウインナー炒め、子共たちの弁当で余った鳥の唐揚げ、シジミの味噌汁。昼は、夜に我が家で飲み会があるので、抜いた。夜は、酔狂亭に友人二名が来訪して、時局を肴の一献会。肴は「そごう」の「刺身の盛り合わせ」と焼き鳥。

どこのテレビ局かは、忘れたが、自宅で、客を招いて、得意の手料理を提供し、もてなす、「自宅料理屋」が流行っていると、やっていた。私が見たのは、何でも沖縄で、家庭料理を学んで、お客さんに食べて貰っている女性にスポットを当てたもの。見ていて「なんか変じゃない」と思ったのは、それが無料ではないのだ。テレビの取材では、一人四千円の支払い、と言っていた。まあ三、四人の客なので、それほど儲からないかもしれないが、料理屋とどこが違うのかと、不思議に思った。

例えば、一日、二三組限定で、料理を提供している小規模なお店とどこが違うのだろうか。法律的なことは分からないが、料理を提供してお金を取る以上、食品衛生責任者、あるいは防火管理責任者などの講習を受けなければならないと記憶している。更に消費税はどうしているのだろうか。私の友人などは、支払いが多い時は、ついプールしてある消費税に手を付けてしまう。従って消費税を納めなければならない時は、借金をして埋め合わせをすると言っていた。自宅で、お金を頂いて料理を提供している人達は、どうしているのだろうか。決してケチをつける訳ではない。そんなことが当たり前になったなら、料理屋さんが可哀そうかな、とふと、気になった次第である。
どうせやるのならば、ひっそりとやってほしいものだ。

夜は、旧友が酔狂亭を来訪。珍しく十一時近くまで痛飲。久しぶりの大破・轟沈。

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アホらしい。

2017-07-31 18:08:33 | 日記
七月二十五日(火)晴れ。

当たり前だが、飲み過ぎなければ、酒は適度の睡眠薬になって、よく眠れる。今日も、朝食は、昨日の残りのカレー、ソーセージ、しじみの味噌汁。昼は、ソースチャーハンにウインナー。夜は、ロツポウ程度のカツオ、ピーマン炒め、笹かまぼこ、レタスサラダ。お供は「農家の嫁」。

しかし、日本は平和だとつくづく思う。女優?の松居一代とか言う女の痴話喧嘩を、テレビで連日報道している。あるテレビ局などは、「松居一代さんの姿をとらえました」と、車で走り去る姿を放送していた。別に、そんな物を見たくはないのだが、テレビをBGMのようにしているから、つい目線に入る。落語だったか、「おい、スゲェー馬鹿を見たぞ」、「どんな馬鹿だい」、「釣り針も餌も付けずに、一時間近く、川で釣りをしている奴が居たんだ」。「嘘を言うな、そんな奴がいる訳はないだろう」、「嘘じゃないよ。俺が、後ろで、ずっーと見ていたんだから」。私も、この類かも知れない。

夜は、おとなしく「農家の嫁」という焼酎を相手に、酔狂亭で月下独酌。

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半世紀にもわたる賀状と暑中見舞い。

2017-07-31 17:34:52 | 日記
七月二十四日(月)晴れ。

一週間の始まり。といっても浪人暮らしのみでは、毎日が日曜日みたいなものだ。ただ陽だまりの中で、お茶を飲みながら、ぼーっと外を眺めて時間を潰す、何て言うほどボケてはいない。それなりにやることはあるのだが、それをいちいちここに書いていても始まらない。

朝食は、昨日、子供たちが食べた残りのカレーに、常備してある「ココイチ」の福神漬け、目玉焼き、シジミの味噌汁。昼は、コンビニのミックスサンドイッチ。夜は、関内の寿司の名店「舎利膳」にて、お世話になっている方たちと会食。

長谷川光良さんの会合でご紹介されたのが、弁護士の内野経一朗先生。野村先生のファンと言うことで、色々話をさせて頂いた。その内野先生から以前、『町辯五十年』というB五サイズの冊子を送って頂いた。驚いたのは、一九六五(昭和四十)年から、二〇一六(平成二十八)年までの、年賀状、暑中見舞いを一冊にまとめた本なのである。内野先生のご友人が、頂いた年賀状、暑中見舞いを全て保管してあり、それを提供して頂いたとのこと。

私も、野村先生から頂いた、葉書きや手紙の類は、ほとんど保存してあるが、半世紀もの間、頂いた葉書き類を保存しておくと言うのは、中々できないことで、内野先生の備忘録でもあり、世相を振り返る良い資料であると思った次第である。その内野先生と、N氏のお世話で、関内の鮨の名店「舎利膳」にての一献会となった。楽し都い時間を過ごさせて頂いた。一軒のみで帰宅。

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『禅と骨』に感動した。

2017-07-27 11:37:24 | 日記
七月二十三日(日)曇り。

日曜日につき、のんびりと起きた。外は曇りだが、湿気が多くて不快である。朝食時にクーラーを入れようかと思ったが、浪人の身としては贅沢だと思い、扇風機で涼をとった。朝食は、千葉産の秋刀魚の干物、ナスとキャベツの味噌炒め、キャベツの味噌汁。昼は、冷やし中華。夜は、サリー夫妻と山下町のレストランにて食事。

今日は、城ケ島で友誼団体が主催するチャリティーバーベキューがあるのだが、何と言っても三浦海岸の駅から、バーベキュー会場へ行くまでの足が無い。色々と考えた末に欠礼した。最も、夕方の五時から、旧知の映画監督、中村高寛さんの十一年ぶりの新作、長編ドキュメンタリー、『禅と骨』の公開イベントがあり、サリー夫妻から誘われていたので、ダブルヘッダーは無理と判断した次第。

中村監督は、横浜の伝説の娼婦であったメリーさんのドキュメンタリー『ヨコハマメリー』や、その他、私の友人でもあり、沢木耕太郎氏の『一瞬の夏』のモデルとしても知られている、元東洋ミドル級チャンピオンのカシアス内藤さんのドキュメント、NHKハイビジョン特集『終わりなきファイト“伝説の ボクサー”カシアス内藤』の監督として知られている。

『禅と骨』の内容は、一九一八年、アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた日系アメリカ人ヘンリ・ミトワは、日本文化を愛し、茶道、陶芸、文筆にもすぐれた才能を発揮している。晩年は、世界遺産に登録されている京都嵐山・天龍寺の禅僧として過ごしていた。しかし八十歳を目前にして、童謡『赤い靴』の映画化を突如宣言し、永年の夢の実現に動き出す。家族や周囲の人々を巻き込みながら、これまでの“青い目の文化人”という地位から大きく外れていく様を、ヘンリの波乱に満ちた人生の再現ドラマやアニメーションなどを絡めながら映し出す。(Movie Walker)

映画は、とても感動した。数奇といっては失礼かもしれないが、大正七年に日本に生まれたヘンリ・ミトワ。いくら横浜に生まれたと言っても、当時は、物わかりのいい人ばかりはいなかったに違いあるまい。父のいるアメリカにわたり、戦後に帰国。禅僧になるのだが、禅宗の修行の厳しさは並大抵ではない。晩年、「赤い靴」の映画にかける情熱。私は、彼のような人のいることを知らずにいた己の「怠慢」を恥じた。また中村監督の、人の観察、生き様の厳しいまでの追及とこだわり。映画を見ながら、自身の来し方を反省せざるを得なかった。特に道を求めて生きる、という思いのある方には、是非とも観て頂きたいと思っている。中村監督の労作に脱帽。

映画を見終わった後、そのまま帰宅する気持ちになれず、サリー夫妻と、しばらく山下町を歩く。海風が心地よかった。サリーの知り合いのレストランで、食事の後に帰宅。

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朋有り遠方より来たる。

2017-07-26 13:39:02 | 日記
七月二十二日(土)晴れ。

もー我慢が出来ない。頭に来た。蟄居、謹慎を申し付ける。冷風機のことである。こんな物良く売るな!クソの役にも立たない。ニッポン放送のラジオショッピングに騙された。いいや、ダボハゼのように飛びついた私が悪いのです。もう二度とラジショピは利用しません。トホホな朝は、アコウダイの粕漬、ロースハム、玉ねぎの味噌汁。昼は、愚妻とビッグボーイのランチ。夜は、遠来の客と一献。

衝撃的な本、『生野が生んだスーパースター・文政』(サイゾー)でデビューした、沖田臥竜さんが、東京の出版社への挨拶回りの帰りに横浜に来るとのことで、待ち合わせた。沖田さんとお会いするのは初めてのことだが、「文政」を出版するときに、縁あって手紙を頂き、以来、フェイスブックなどを通じてお付き合いが続いている。

「文政」の出版から幾日も経たぬのに、更に二冊の新刊を上梓したと言う。その筆力と体力には頭が下がる。まず、最初の本と同じ出版社から『二年目の再分裂ー任侠団体山口組の野望』(沖田臥竜著・千二百円+税)と、『悪問のすゝめ-ヤクザ・暴走族の知らざる実態』(猫組長・沖田臥竜・柴田大輔共著・徳間書店一三五〇+税)の二冊である。横浜は初めてと言う沖田氏と関内駅で待ち合わせて、中華街へ。お店は定宿の「菜香」。今日が初対面なのだが、男の酒の嬉しさは、たちまち通う意気と熱、人生山河数あれど、君盃を挙げたまえ、いざ我が友よ、まず一献。と、右翼・任侠・浪漫について語り合った。

サリーズバーへ転戦したが、新大阪行きの最終の新幹線の時間が迫っていたので、名残惜しくも再会を約して別れた。沖田氏が上梓した二冊の本が、洛陽の紙価を高めますことを祈る次第。

サリーズバーに来ていた友人らと、野毛に転戦してから帰宅。正に、朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。

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