九月二十八日(月)曇り。
朝食の後に、二度寝してしまった。昨日の料理屋が劇的に不味かったので、家に戻って飲み直ししたのがいけなかったのかも知れない。クリーニング屋と宅急便屋に起こされた。
支払いに行ったり、事務所に行ったりしているうちに、早、夕方。五時に、小針政人君に迎えに来てもらい、今月の二十三日に逝去した相澤淳氏の通夜が六時から行なわれるので、共に出席。相澤君の人柄を思わせるように、会場には三百人を超える人達が、ご焼香に来ていた。会場で、藤巻強氏や大行社の相模支部の人達と合流。ご焼香を済ませて、直会の席に行くと、相澤君を偲ぶ品の数々が遺影と共に飾られていた。
オートバイに乗る彼の姿。ボクシングに興じる写真。消防士時代のもの。結婚式の写真。子供を抱いた写真など・・・。驚いたのは、過去に手術をした折に書いたのだろう、ノートに綴られた家族への遺言があり、読む人たちの涙を誘っていた。すごい覚悟ではないか。また、こういった遺品の品々を、弔問の人達に見せる家族の気配りにも頭が下がった。相澤君の遺影を見ながら、そうか、君は、もういないのか・・・。
小針君に送って頂き、自宅近くの清水苑へ。今日は、町内のオヤジ連中との会合がある。先に行っていた家族と合流。そこで、葬儀の際に頂いたお礼の葉書に目が留まった。そこには、形式的な挨拶状のほかに、相澤君の手紙が添えられていた。心臓に病を抱えた彼が、今日あることを覚悟して残しておいたものだろう。他に、人がいるにも関わらず、滂沱として涙が溢れた。
後に残された身に悲しい思いは残れど、我行く道に迷い無し。君達には未来と言う人生がある。私には残された人生をどう生きて行くのか、ただそれだけ、どうか悲しまないで下さい。 俺の人生。淳
とある。そしてもう一枚には、ご遺族の挨拶の横に、「ありがとう、すべての皆々様へ。相澤淳」と彼の直筆があった。見事な覚悟ではないか。こういった青年が先に逝ってしまうことの不条理に、怒りを感じた。安らかにお眠り下さい。