白雲去来

蜷川正大の日々是口実

横浜の情報誌が楽しい。

2020-11-30 12:16:43 | 日記

11月9日(月)晴れ。

魚屋で良さげな「筋子」があったのでつい買ってきたが、マアマアで楽しめた。後は納豆、アサリの味噌汁。昼は、下の子供と、伊勢佐木町の近く吉田橋にある焼き肉屋「京城苑」にてランチ。食後、有隣堂に寄り、横浜の情報誌「横濱」の「横浜の坂道」「横浜18区・行きたい酒場」の二冊を買う。

「行きたい酒場」の西区には、私の定宿の「やまと」が。旭区には、私が日本一美味しいと思っているもつ焼きの「い志井」が載っていて嬉しくなった。「横浜の坂」には、私の事務所のあるマンションの前の「へび坂」が取り上げられていた。何でも、昔は「蛇が出そうな薄暗い坂だった」そうだ。

夜は、おとなしく酔狂亭にて独酌。肴は、カニカマの天ぷら、鶏のから揚げ、湯豆腐。お供は「佐藤の黒」。上の子供が「お父さん。また飲んでるの」。「うるさい。股で酒が飲めるか」。デコピンを撃たれました。


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ひねもす読書。

2020-11-30 11:42:58 | 日記

11月8日(日)晴れ。

朝食は、マルシンのハンバーグ、目玉焼き添え、キャベツの千切り、ジャガイモの味噌汁。昼は、マルちゃんのホットワンタン。夜は、みんみんの餃子、清風楼の焼売、舞茸のホイル焼き、お供は「黒霧島」。酔狂亭にて月下独酌。

天気が良いので、久しぶりにのんびりした。巷は相変わらずコロナ、コロナで「今日は何人」とかいう報道を見ると、いささか憂鬱になるが、罹患するか、しないかは、ほとんど運に近い。なるべくおとなしくしているしかないか。

窓から入ってくる秋の日差しが気持ち良い。一日『戦藻録』に向かう。現在読んでいるものは「新漢字・新かな版」のものであるが無教養の故、分からない言葉を辞書を引きながら読む、という作業を通じて勉強させて頂いている。「相当抬起している」「荏苒日を空うすることは」・・・。勉強が足らんことを痛感する。


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思いがけずのプレゼント。

2020-11-26 10:26:04 | 日記

11月7日(土)曇り。

朝は、新鮮な目刺し、納豆、ほうれん草の味噌汁。昼は、サンマーメン。夜は、馴染みになった近所の魚屋のマグロの刺身、イワシの丸干し、レタスの温サラダ。お供は、「黒霧島」。

午後に自宅に荷物が届いた。宛名を見ると私自身だ。?何を買ったのだろう思い当たらないが梱包を解いてみると分厚い本が二冊。何と『戦藻録』上下である。ずっーと読みたいと思っていた本だったので小躍りしたが、はて?注文した覚えはない。こんな粋なことをするのは私の周りには何人もいない。ははーん。やっぱりそうかと思って電話した所ビンゴ。感謝感謝である。

私の読書法は、自宅でじっくりと読む本。電車など移動中に読む本(文庫が多い)。資料としてどうしても手元に置いとかなければならないと買う本。酒の肴として読む本。と区別している。とにかく、まだ読んでいない、読みかけの本が家にある時、何かとても幸福感に包まれる。

『戦藻録』を読み始めた。宇垣纏という人は、戦後さまざま言われている人だが、軍人としての能力は史家に任せるとして、文章がとても上手であり格調高い。

太平洋戦争の開戦から終戦までの全史を書いた戦時日誌としては、陸軍には大本営戦争指導班『機密戦争日誌』(錦正社刊)がある。参謀本部戦争指導班の参謀たちが交代に、三百六十五日休むことなく戦争下の日々を率直に、詳細に記した貴重な記録である。大本営が公表した戦争の情報とは異なる、陸軍内部の戦略・戦術とか考え方があまさず記されている非常に貴重なもので、戦争末期には「もう勝てる見込みは皆無だが、何とか国民に戦争を続けさせる気を起させることが大事だ」とか思いもかけないようなことが記されている。ー中略ーこれに勝るとも劣らないのがわが枕頭の書として本書『戦藻録』があるのである。連合艦隊参謀長として山本五十六大将のよき女房役、火のような闘志とわくが如き智謀をもって知られた、海軍中将の、戦時日誌が本書である。それは単なる日々の記録ではなく、戦争直前の昭和十六年十月十六日から、、終戦の日にみずから特攻機に乗って沖縄の海に突入する直前までの実に三年十カ月に及ぶ第一級の太平洋戦争史料なのである。(半藤利一・「監修の言葉」)

じっくり読むことにする。盟友に感謝である。


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母と旅をしたのは一度だけ。

2020-11-24 15:23:10 | 日記

11月6日(金)曇り。

朝は、マルシンのハンバーグ、目玉焼きとナポリタン添え、永谷園の「松茸のお吸い物」にとろろこぶを入れたスープ。福岡在住の後輩が、FBで、「福岡ではマルシンのハンバーグをあまり見かけません」と書いていた。所変われば品変わる。と言うが、テレビの「ケンミンショー」などを見ていると、しみじみと、そう感じてしまう。大熊雄次氏は、マルシンのハンバーグを「おでん」種にするそうだ。魚ニソに今はあまり見かけなくなった四角いプレスハム。子供のころを思い出す。

昼は、焼きそばパン一顧。夜は、牛丼、春巻、マグロの刺身を肴に酔狂亭にて独酌。

子供のころと言えば、私は母と二人で旅行に行ったことがない。旅行と言えば遠足か修学旅行くらいで、貧しかった昭和の30年代は、旅行どころか町内から出ることでも冒険だった。知らない街を旅行気分で訪れるようになったのは、民族派の運動に入った頃からで、街頭活動や各地で行われた、例えば日教組大会への抗議活動などで頻繁に地方に出た。個人的な旅行をするようになったのは25歳を過ぎた頃からだ。

母とは一度だけ旅行をしたことがある。母の生まれ故郷の富山は滑川へお墓参りと、母の妹の家にあいさつに行き、一緒に宇奈月温泉に泊まった。臆病な私は、一人で海外を旅したことが一度もない。最も、一人旅が楽しいなどと思ったこともない。感動を共に喜び合える人のいない旅なんぞしたくもないと真剣に思っている。

 


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男の酒の嬉しさは。

2020-11-24 15:11:01 | 日記

11月5日(木)晴れ。

朝は、久しぶりの新鮮サンマの塩焼き、ジャガイモと鶏肉の煮物、豆腐の味噌汁。やっとサンマの値段が落ちついた。と言っても例年よりも二倍くらい高いか。早く豊漁になって、もとのサンマのマンマになって欲しいものだ。昼は、自宅でタンメン。

夜は、友人たち四人と「やまと」へ。四人のうちのお二人は初「やまと」。いつもの「生皮揚げ」「団子揚げ」「もも揚げ」「手羽揚げ」を堪能。連れて行ったお店を気に入ってくれると、うれしくなる。男の酒の嬉しさは、たちまち通う意気と熱。とか。珍しく一件のみで解散。


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