白雲去来

蜷川正大の日々是口実

つきぬ思いの湯煙よ。

2015-09-30 10:30:55 | 日記
九月二十七日(日)晴れ。

今日は、「日本を糺す会」という会合があり熱海行き。横浜駅に行く前に、ビックカメラに寄り、群青忌の際にお配りする色紙を入れる畳紙(たとうし)に印刷するシールを購入。三時半の伊東行にて大熊雄次氏と合流。昨年は、舟川孝氏も一緒だったが、「全有連」の大会があるとのことで欠席とのこと。

車中、大熊氏が東京駅にて購入した小瓶の「モエ」でまず乾杯し、その後は「それから」という缶入りの焼酎を車窓を流れる景色を肴に楽しんだ。伊豆方面に行く時は、座席は進行方向の左側、帰りはその逆の席を取る。落暉に照らされた海を眺めるのが好きだ。五時過ぎに熱海着。宿は、熱海屈指の老舗旅館「古屋」。先着していた山口申先生や四宮正貴先生にご挨拶の後に、ざぶっと温泉に浸かる。

六時より宴席。我々のような浪人をいつもお世話して頂いているA先生にご挨拶の後に、バンコクから帰国していた小西玄徳氏や清流社の滑川裕二氏などの人たちと久闊を叙して乾杯。熱海の芸者衆の踊りなどを楽しみつつそれぞれが杯盤狼藉の模様。二次会はラウンジへ移動してのカラオケ大会。

若い芸者さんは知らないかもしれないが、昭和十四年にヒットした、由利あけみと言う人が歌った『熱海ブルース』という歌がある。私は、青江三奈の『ブルースを歌う』というCDのものを持っているが、その中に入ってている。いい歌で、熱海の駅に着くとその歌の歌詞が脳裏に浮かぶ。箱崎晋一郎の『熱海の夜』より、『熱海ブルース』の方が時代を感じられて好きだ。

最近は、「九ベロ」(九時にべろべろ)となる私は、旅の楽しみのマッサージにかかって十時過ぎに就寝。自分のいびきで目が覚めたり、隣で寝ている大熊氏のゴジラのような歯ぎしりに悩まされたが、酒の勢いもあってドドッと寝てしまった。

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伊勢原に彼岸花咲いて群青忌

2015-09-29 17:53:29 | 日記
九月二十六日(土)曇り。

彼岸にお墓参りに行けなかったので、朝食後に家族で伊勢原へ。連休明けということもあって高速道路は空いていた。途中、町田のSAにて「メロンパン」を買うのが約束みたいになっている。国道二四六号を伊勢原駅から反対方向に行くと、お墓のある日向(ひなた)に行く道がある。その途中に、最近話題の「寿雀卵」という卵の売り場がある。以前、社友の成田功氏の実家が近くということで、その卵を頂いたことがあるが、さすがに評判の物だけあると、感心した。しかし、私がお墓参りに行く時間になると、ほとんど売り切れてしまい、売り場が閉まっている。

今日は、家を出たのが早かったせいか、売り場が開いていた。駐車場に車を止めて買いに行くと、MSサイズと言う小さなものしかない。聞けば、Lサイズなどの大きなものは、九時の開店前に二時間ほど並んで買わないと手に入らないそうだ。仕方がないのでMSサイズの十個入りを二パック買ったが、売り場のオバハンが「えっ二パックしか買わないの」と言うような不思議な顔をしていた。いくら美味しいからと言って、たかが卵を買うのに早朝から二時間も並ぶほど暇じゃない。

お墓に行く途中にJAに寄り、お花を買うが、ここの売り場の人たちとも顔馴染みになった。お墓に向かう道には彼岸花が咲いていて見とれてしまう。ここは、彼岸花の群生地としても有名で、日曜日などはカメラを持ったハイカーで混雑をする。

まずご住職に二十四日の群青忌のご挨拶をする。その後、野村先生のお墓へ。先週に大悲会の志村馨君たちや野村先生の奥様がお墓参りに来たので、お花が沢山あった。野村先生のお墓に近況報告をした後に私の両親のお墓に詣でる。

帰りは、彼岸花の写真をたくさん撮った。彼岸花の別名は曼珠沙華。お墓の近くでこの花を見ると、いつも思い出すのが横浜にゆかりの中村汀女の句、曼珠沙華 抱くほどとれど母恋し 。

種田山頭火の句にも彼岸花を詠んだものが多い。

曼珠沙華咲いて ここが私の寝るところ
いつまで生きる 曼珠沙華咲きだした
歩きつづける 彼岸花咲きつづける

帰りは、国道二四六沿いにある「リンガーハット」にて昼食を済ませた後に帰宅。

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金木犀の香りに誘われて。

2015-09-29 16:30:10 | 日記
九月二十五日(金)雨。

二十五日から月末までは頭の痛い日が続く。何が原因かと言えば、もちろん様々な支払いに追われるからである。今月は、支払いに加えて、民族派の関係者の行事や葬儀が続き、出費が続いた。歌の文句ではないが、「義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界」ゆへ、どんなに苦しくとも、お付き合いだけはおろそかにはできない。出るのはため息、残るは借金。という日々が続く。

道を歩いていると、何やら柑橘系の良い香りがする。そうか金木犀か。私の家の周りにも金木犀を植えている家がかなりある。季節感があって良い。花言葉は、「謙虚」「気高い人」。花言葉の「謙虚」は、香りのすばらしさに対して、目立たない小さな花をつけることから、「気高い人」は、雨が降るとその芳香を惜しむことなく潔く花を散らせることからきているといわれている。しばらく休んでいた、いやサボっていたウォーキングを金木犀の香りに誘われてまた始めようと思っている。

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創業安政三年(一八五六年)の「鍵屋」へ。

2015-09-28 16:59:23 | 日記
九月二十四日(木)雨後曇り。

今日も東京行き。五時に「アメ横」にある大熊雄次氏のお店の前にて共通の友人と待ち合わせ。御徒町へは待ち合わせの三十分前に着いた。何を買うのではないが、商店街を歩くのが好きだ。最近ではアメ横で生物を買うことはなくなった。何か、何処の店を見ても置いてあるものは同じで、値段も画一のような気がするからである。買うものと言えばスニカーや革靴など。

有名な居酒屋「大統領」の本店を覘いたが満席。お店の前に、これも有名な「たきおか」が出来ていた。こういった立ち飲みの居酒屋ブームがいつまで続くのだろうか。五時に皆さんと合流して向かったのは、大熊氏の地元、根岸の「鍵屋」というお店。横浜にも根岸と言う町があるが、落語などに登場するのは東京の根岸の方だ。俳句の下の句に「根岸の里の詫び住まい」をつけると、何でも句になるという笑い話がある。

「鍵屋」の創業は安政三年(一八五六年)というから驚く。元は醤油屋だったとのこと。このお店は何でも女性だけの入店は認めないという。しかし男性の同伴者がいる場合は入店できる。カウンター席と小上がりの座敷があり、お酒はビールと日本酒のみ。日本酒は、大関、菊正宗、櫻正宗の三種類。料理は、合鴨塩焼き、鰻のくりから焼き、冷奴など二十種類ほど。お店に入れば、そのまま昭和をもっとさかのぼった時代の趣がある。池波正太郎の小説に出てきそうな居酒屋である。九時には閉店してしまうらしいが、私たちは開店と同時に行ったので余裕だった。日本酒を四合ほど飲んでから、箕輪の鮨屋へ転戦。カツオの刺身などを堪能して解散。いい夜だった。

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群青忌の準備に追われている。

2015-09-28 16:18:13 | 日記
九月二十三日(水)晴れ。秋分の日。

来月の群青忌の準備でかなり忙しい思いをしている。こういった催しというものは、段取りが全てで、始まってしまえば二時間ほどで終了してしまう。集まる人たちは、当然ながら事前の段取りやスタッフの苦労などは意に介さず催しに参加する。それは当然のことで、私だって当事者でなければ、そんな裏方の苦労などには、思いが至らない。

まだ二十年祭のように会場を借りての大がかりな「群青忌」に比べたならば楽なものだ。といっても法事を行うにしても夏ごろから、案内状やお寺の段取り、記念品の設定など幾度もスタッフ会議を行った。今回は、野村先生が、平成四年の夏に行われた参議院選挙の折に、その思いを三句の俳句にしたものの一つをお配りする。その印刷や、色紙を入れるタトウ紙、封筒、案内文などの製作、更には領収書や直会の会場の手配、マイクロバスのレンタルなど、スタッフの手を煩わせている。たまに「いつまでやるの」何て事を言われたりするが、野村先生の思想と行動が風化せぬように努力するのが、門下生の当然の務めと思っている。そして群青忌に集まる全国の社友、同志の人たちとの懇親も楽しみの一つである。群青忌を行う、というよりも、やらせて頂いている。という思いの方が強い。

群青忌当日に、皆さんとお会いできますことを楽しみにしております。

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