白雲去来

蜷川正大の日々是口実

有吉さんの教養と気遣い。

2022-06-29 13:59:08 | 日記

6月26日(日)晴れ。

朝食は、家族そろって「お粥」と鮭の「山漬け」。今日は、午後一時より友人の還暦祝いが西横浜の「オアジ」にて行われ出席。東京に戻る下の子供を保土ヶ谷まで送る。オアジには一時少し前着。松本、佐伯両氏の段取りでお店の一階を貸し切り。談論風発、口角飛泡、喧々諤々の酒席。気の置けない人たちとの酒は楽しい。解散後に「飲み足りない」人達と「やまと」へ。7時前に帰宅。

私の蔵書の中に気に入った本は多いが、幾度も読み返す本と言うものは、それほど多くない。その「お気に入り」の一冊に車谷弘氏の『わが俳句交遊記』(角川書店)がある。車谷弘さんは、『文藝春秋』や『オール読物』などの編集長を務めた編集者で俳人。その中に、有吉佐和子さんから「七夕の茶会」に誘われた話があり、興味深かった。招かれたのは、車谷さんの他に日本学者として有名なドナルド・キーンさんや外国人の大学教授にまじって俳優の加東大介さんに野村證券社長の北裏喜一郎さんといった人たち。

その茶席にかかっていた掛け軸を日本人の皆が誰の書で何と書いてあるのか分からない時に、ドナルドキーン氏が「これは勝海舟の書でこう書いてあります」とすらすらと読み下した。こひれには居合わせた人たちが皆驚いた。その勝海舟の書は今日の「七夕の茶会」合わせた意味の物であり、更には花瓶の花も棚の置物も皆、七夕ゆかりの物だったそうだ。有吉さんの教養と気遣いが感じられてならない。

私の幼馴染に古美術を商いにしている友人がいる。その人から、古美術や人間関係などについて教わることが多いのだが、特に、「家にある書画骨董を見てほしい」と頼まれて伺うと、家は素晴らしく立派でも、いわゆる成金の家にある物は、大きいだけのいわゆる「こけおどし」の物ばかりでこ、ほとんどと言って良いほどろくなものがないそうだ。反対に、家は質素でも、由緒正しい方の家は、玄関に小さな香炉(それも高価な)が一つ置いてあったり、季節に合わせた絵や軸物がさりげなく飾ってあったりで、「品」を感じるといっていた。車屋弘さんの「七夕の茶会」を読んで、友人の話を思い出した次第。


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伊勢佐木町の老舗「じゃのめや」へ。

2022-06-29 13:35:44 | 日記

6月25日(土)晴れ。

仕事の都合で、友達と東京で暮らしている下の子供が久しぶりに帰宅。前日に、「父の日」のお祝いで「黒霧島」の6本パックが届いた。ふふふという感じである。この子が小さい時、風呂上りに椅子の上に載ってヘアートニックとブラシで私の頭を良くケアしてくれた。子供心に髪が薄くなっていてるのを感じていたのだろう。トニックをこれでもかとかけてブラシで髪を梳かしてくれた。「とーたん髪の毛が伸びて来たよ」と目に見えたお世辞を言いながら・・・。そんな訳があるわけないが嬉しかった。「黒霧島」に「ボーナスが出たからお小遣い」か。良いことがあるなぁ―。

五時から伊勢佐木町の老舗「じゃのめや」で愚妻の誕生日の食事会。このお店に来るのは30年ぶりくらいか。「すき焼き」が評判なのだが、愚妻のリクエストで「しゃぶしゃぶ」にした。明治の創業のお店は中々趣があっていい。まあ個人的には、相変わらずの浪人暮らしだが、家族が元気で言うことなし。


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『日本週報』の特集が凄い。

2022-06-28 15:04:56 | 日記

6月24日(木)曇り。

若い頃ならば、飛び切り美味い食事や酒を楽しんだ翌日は、体に気が漲り、よおーし、と気合で起きたものだが、古希を過ぎると飲んだ翌日はいつも10時過ぎまで起きられずにいる。朝早くから労働に勤しんでいる正しき人たちに平身低頭。スマン、スマンのオスマントルコである。

昼食に近い朝食は、昨日と打って変わって慎ましく赤ウインナー、カリカリベーコンにサニーサイドアップの卵焼き、とろろ昆布のスープ。夜は、冷食の餃子、蒸し鶏、タケノコのから揚げを肴に、お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

事務所の資料棚にあったのが、『日本週報』という雑誌の昭和28年4月号。古書店などで買った記憶がないので、亡くなられた大磯の小早川貞夫先生の遺品だと思う。その雑誌の特集が「政治の腐敗と日本革命」。大川周明、井上日召、津久井龍雄の鼎談の他に石川準十郎、木村武雄、赤尾敏、笹川良一、三上卓と言った大御所が原稿を寄せている。こういった雑誌が忘れられて行くのは実に寂しい限りだ。昭和28年と言えば、今から67年も前で著作権も失効しているだろうから、いずれまとめてみたいと思っている。『日本週報』は何冊か持っているが、特集の良いものが多い。


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南長崎の鰻の名店へ。

2022-06-28 14:47:41 | 日記

6月23日(水)曇り。

随分前の『週刊文春』のコラム、平松洋子さんの「この味」で知ったのが「茂吉の鰻」という話。

歌人斎藤茂吉は、無類の鰻好きだった。いや、好きという言葉から八ミ出してしまう、空前絶後の鰻アディクト(注・常用者、中毒者、熱中者、大のファンぶり)僕だってあたしだって大好物なんですよ鰻、と手を挙げるひとはたくさんおられようが、茂吉ほど鰻を食べに食べたひとをほかに知らない。その破格の行状を明るみに出すのが、『文献 茂吉と鰻』(林谷廣著昭和五十六年〃短歌新聞社刊行)だ。著者は、斎藤茂吉記念館の運営に尽力してきた人物で、斎藤茂吉研究会会長、アララギ会員。いったい茂吉が生涯にどれほど鰻を食べたか、日記や資料を駆使しながら、重箱のすみまでつつきにつついて調べ上げた一大労作である。茂吉の鰻好きはつとに有名ではあったけれど、ここまで微に入り細をうがった調べ物はなく、しかし、「文献」と一歩下がるところが奥ゆかしい。鰻が気になる者として、やっぱりこの本は読んでおかなくちや、とあちこち手を尽くしたが残念ながらまだ手にしていない。

南長崎、と言っても東京の話。ここに鰻の名店があることは以前から聞いていた。本田宗一郎や中曽根総理と言った人たちが愛したお店として有名で、お店の名前はそのまま「鰻屋」。ついにそのお店を訪れる機会が来た。大先輩のお世話で総勢6名での来訪。私のつたない筆では、その鰻の絶品は表現できない。南千住の「尾花」など年に一二度はこういったお店で、食事をしてみたいものだ。まあ贅沢な話ではあるが・・・。諸先輩に感謝合掌。良い一日だった。


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「記憶喪失症の日本」

2022-06-27 14:21:13 | 日記

6月22日(水)曇り。

梅雨入りしているのにほとんど雨が降らない。といっても例年のようにこの時期の連日の雨は心がふさぐが、こう雨が降らないと水不足が心配になる。そういえばCCRのヒット曲に「雨を見たかい」と言うものがあった。ザ・カスケイズの「悲しき雨音」、スウイングウエストの「雨のバラード」、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」と雨の歌には良いものが多い。

事務所で調べ物をしていたらの昭和51年10月発行の『愛戦』(愛戦情報社発行)と言う機関誌が出てきた。特集は「戦後体制を撃て」で、その中に野村先生の原稿で「記憶喪失症の日本」があった。恐らく先生が千葉刑務所を出所してから精力的に全国を回り、確か昭和50年に米沢で開催された「新しい日本を創る青年集会」での講演をまとめたものを『愛戦』に掲載された。その雑誌が発行された翌年の三月三日に先生は同志らと財界の営利至上主義を撃つ、として財界の総本山である経団連会館を襲撃占拠する。事件で公判を待つ間に出版したのが『友よ山河を亡ぼすなかれ』である。その単行本の中にも収録されている。

「人間であれ国家であれ、自分たちが将来何をすべきかとか、われわれが将来何をしようとかいう『未来』を持てるということは自分たちに「過去」があるからだということを教わったわけです。個人でも国家でも全く同じことです。個人にもし『未来』があるとすれば、それはその人に「過去」がなくてはならない。過去があるから未来があるわけです。『未来』というのは『過去』の投影なんですね」。(「記憶喪失症の日本」)より。

 


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