白雲去来

蜷川正大の日々是口実

山頭火の泊まった「木賃宿」。

2015-10-29 11:21:35 | 日記
十月二十八日(水)晴れ。

群青忌で、地方から参加した社友は、この時期、ホテルの確保に苦労したらしい。修学旅行や、マスコミで話題となっている「爆買い」の人たちにホテルが占領され、特に金曜日、土曜日がどこも埋まっている。次回は、三ヶ月前からなるべく料金の安いホテルを押さえておくように段取りするつもり。

観光旅行に来るのではないので、社友の泊まるホテルは、ほとんどが、いわゆるビジネスホテルやカプセルホテルだ。値段も様々で、三千円から七千円程度か。私も用事で地方に行く場合は、なるべく安いホテルを選ぶようにしている。私は知らないが、戦前の本などを読むと、良く「木賃宿」というものが出てくる。おそらく今ではなくなってしまったのだろうが、先日、古書店で買った大山澄太氏の『山頭火の宿―そして酒と水と』という本の中に、その木賃宿について書いてあった。

木賃というのは、あの頃の安宿の不文律とでもいうか、米はお客が夕、朝、昼、三食分五合を出す。山頭火の場合は頭陀袋に貰いためた米を、五合、時には六合出す。おかず代と泊りは宿の負担、その米やおかずを炊く燃料としての薪代はお客が現金で先に払う、それを木賃というのである。山頭火は日記の中で、ある宿のおかみは米をうけとる時の桝の量りかたがずるかったとも書き、また朝めしに食べた残りを自分でべんとう行李につぎ、おかずは梅干、昆布の佃煮等を食べずに行李に入れるとも記している。またもし投宿する時に、米が不足したり無かったりすると、向うから米代を請求することは言うまでもない。こうした木賃宿の制度は、戦争で米が配給制となった頃から、いつのほどにか消えてしまった。

今日から下の子供が修学旅行に出かけた。私の時代から見たら豪勢な物で、飛行機で行く三泊四日の沖縄への旅だそうだ。その間、離島に二泊するらしい。飛行機はJALでホテルはANAとのこと。私が高校生の頃には、飛行機など乗ったこともなく、ホテルにも泊まったこともなかった。初めて飛行機に乗ったのは、昭和五十八年、三十二歳の時で、行き先は、やはり沖縄だった。

夜は、少々体調が悪く、酒を控えめにして早めに寝た。

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南シナ海、波高し。

2015-10-29 10:47:27 | 日記
十月二十七日(火)晴れ。

暖かい日が続いている。この時期に外を歩いていると、外人さんは体温が高いのだろうか、半袖姿の人を良く見かける。もうダウンコートを着ている人やセーター姿、と思えば、半袖のトレーナー姿の人・・・・。晩秋は様々な格好の人たちが、迎える冬の前に、つかの間の暖かさを楽しんでいるように思える。

ニュースでは、アメリカ海軍が、南シナ海のスプラトリー諸島の中国が建設する人工島の十二カイリ内を、イージス駆逐艦などを航行させた。堂々の示威行為である。次は、周辺国、フイリピンやベトナム、そして我が海自の艦も艦列を組んで航海すれば良いのに。正に現代の連合艦隊だ。中国がどう詭弁を弄しようが、国際法上は「中国の領海」などとは認められまい。かつての帝国主義の時代ではあるまいし、「力による現状の変更」など、時代錯誤も甚だしい。中国が、米海軍に仕掛ける勇気などもあるまいが、当分南シナ海波高し、か。

午後から、支払いに、まるで短距離ランナーの如くに走り回った。登り険しき人生の坂を、越えても苦労はまだ続く。と言うが、すでに還暦を過ぎて、しばらく経っているのに、まだ苦労は続くのか、トホホな人生である。

支払いをヒーコラ終えて、便所の火事、ヤケクソで松原商店街へ行き、今晩の肴を買う。夜は、じっと手を眺めつつ、酔狂亭で月下独酌。

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コロッケにはウースター・ソース。

2015-10-29 09:59:25 | 日記
十月二十六日(月)晴れ。

家では、揚げ物はあまり食べないのだが、なぜか今日は目が覚めた時から、青々とした千切りキャベツと揚げたてのコロッケ、そして赤ウインナーと目玉焼きが頭から離れず、家族が皆出かけた後にのんびりと、コロッケ定食を食した。コロッケで思い出すのは、中学の時の学食だった「中田のパン屋」のコロッケパンに、当時住んでいた自宅の前にあった肉屋のコロッケだ。まあ、さほど美味しいとは思わなかったが、貧しい時代ということもあって、食卓には度々、コロッケが出た。私の周りには、コロッケも付け合わせのキャベツも目玉焼きもすべて醤油という人がいるが、私は駄目だ。コロッケ、キャベツにはウースターソースがいい。もちろん目玉焼きもだ。

野村先生は、醤油党で、一緒にカレーライスを食べていると、「醤油をかけると美味しいんだ」と、こちらの好みもきかずに醤油を垂らすので辟易した。以来、先生とカレーを食べる時は少し席を離れて座った。先生の獄中句集『銀河蒼茫』の「秋の句」に、「コロッケの夕餉 粛々秋の燈」があり、獄には「ソース」もあったのだろうか、「冬の句」の中に「冬の昼 ソース嫌いで困ってをる」と詠んでいる。

ソース党の私としては、コロッケにソースをかける度に、先生のその句を思い出して苦笑する。

良い天気なので、事務所まで遠回りをしながら一時間ほど歩いた。陸上競技をやっていた。と言っても、もう半世紀も前のこと。来年は、マラソンの日本記録に必ず挑戦する。当然ながら走るのではなく、日本記録の時間だけ歩くということだ。それでも二時間と少し、考えるだけでも気が萎える。

群青忌が終わり、地方から来ていた社友も皆帰り、静かになったが、後の整理が大変だ。記録写真をまとめたり、お礼の手紙を書いたりと、やることは山ほどあるが、いつも群青忌が終ると虚脱感からか一週間ほど何もする気になれない。以前は、ストレスで必ず体調を崩した。今では、スタッフも増えて、一人でやることは少なくなったが、笑われるかもしれないが、プレツシャーはそれなりにある。

夜は、月に一度の町内会の皆さんとの食事会があったが、あまり酒がすすまず早めに帰宅。

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社友と「朝食の会」。

2015-10-27 12:26:04 | 日記
十月二十五日(日)晴れ。

七時に起床。疲れが抜けず、群青忌の後片付けをやる気がしない。のんびりやることにする。九時前に自宅を出て、横浜に泊まっている社友と待ち合わせて「朝食の会」。総勢十二名。半分は北海道組。場所は「安記」。二日酔いの体には、ここのお粥は最高である。中華街にはもう一軒、お粥で有名なお店があるが、私は断然「安記」の方がいい。もう一軒のお店は、観光客用で「安記」は地元の人ように分けられるかもしれない。

岐阜の先生は、昨日、あれほどベロベロだったにもかかわらず、朝から迎え酒。私も少しお付き合いしたが、さすがに連日の酒で、体が言うことを聞かない。お店を出て、皆さんそれぞれ帰路に着いた。岐阜の先生が、飲み足らぬようだったが、何と言ってもまだ朝の十時半。開いている飲み屋など知らない。関内駅までお送りして別れた。その後、先生よりメールが入り、「飲み足らないので東京に行きます」。唖然。(結局、岐阜に帰ったのは十一時近くで「安着祝いをやっています」。とメールが入った)先生には、「反省」の二文字はないのかもしれない。

横浜公園で、何か催し物をやっていたので、散歩がてら見学。その後、事務所に寄ってから帰宅。夜は、友人夫妻と野毛散策。お目当てのお店が休みなので、某有名店に入ったが、大したことなくがっかり。驚いたのは、その値段。四人で三万円近くも払った。安い中華屋で口直しをしてから帰宅。

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野村先生の二十三回忌。

2015-10-27 12:12:09 | 日記
十月二十四日(土)晴れ。野村先生二十三回忌・群青忌

野村先生の二十三回忌・群青忌が終了致しました。先生が亡くなられましてから二十二年。伊勢原のお寺に約二百名の方のご列席を賜りました。もちろん参加するつもりでも、様々な事情でご欠席された方も、心で参加「心参」されたと思っております。ご多忙中、かつ遠路にもかかわらずご列席を賜りました皆様に、門下生を代表いたしまして衷心より厚く御礼を申し上げます。
野村先生の思想と行動が風化せぬよう精進と努力を重ねますので、皆様におかれましては、今後共、ご指導とご鞭撻を賜りますよう伏してお願い申し上げます。末尾となりまして恐縮ですが、皆様のご健勝を御祈念申し上げまして、略儀ながらご挨拶とさせて頂きます。

また当日、皆様にお渡しいたしました記念の色紙の中に、本年二月の十四日の野村先生の生誕祭の折に、民族革新会議の犬塚博英議長のあいさつ文を同封させて頂きました。当方のミスで犬塚議長のお名前を、本来「博英」とする所を「英博」としてしまいました。犬塚議長はもとより関係者の皆さんに心からお詫び申し上げます。今後、このような間違いの無いように鋭意努力致しますので、何卒、ご寛容の程をお願い致します。

二十四日は、朝五時に起床して、社友との待ち合わせの場所である関内のホテルに行く。レンタルした大型バスでホテルを出発。伊勢原には八時過ぎに着。十一時に法要開始。その後、墓前へ。一時過ぎに終了。直会の会場となる中華街へ。五時前に終了。ほとんど何も食べずにいたので、大熊雄次氏と「安記」でお粥を食べる。その後、ソサリーの店に行き、一時間ほどいて帰宅。

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