白雲去来

蜷川正大の日々是口実

安倍の「一強」を許したのは、何処の誰の責任なのか。

2017-04-27 11:37:57 | 日記
四月二十六日(水)曇り後雨。

ニュースを見ていたら、民進党のOO(名前も知らん)が、今回の今村元復興相の発言に対して、総理の任命責任を問うとした上で「安倍一強政治のおごりとゆるみの結果だ」。と言うようなことを言っていたのを聞いて、つくづく政治家になる条件の一つに「厚顔無恥」と言うものがあることを知り、思わず笑ってしまった。

安倍の「一強」を許したのは、何処の誰の責任なのか。「安倍一強」を招いた責任と言うものを全く感じていないと言うか、そのことに対する反省も感じられない。だから支持率七パーセント以下という体たらくなのだ。長島昭久の離党や来る都議選において民進党の公認候補が相次いで離党していることの現実。正に沈みゆく船から我先にと逃げて行くネズミのようなものだ。「揚げ足取り」「反対のための反対」こんなことをしていたら社民党の二の舞になると言うことが分からないのだろうか。それにしても、松原仁や前原誠司といった民進党内の保守の存在感が感じられないなぁー。

政治家の皆さんに、是非、野村秋介語録を読んで頂きたい。

「漠然と生きている限りはこの国の美しさはわからない。山紫水明の日本の美しさはわからないし、友情の美しさはわからない。夏雲の輝きの美しさはわからない。ボヤーっと生きていたらわからないんだ。今死んで、今死んで、その一瞬一瞬に生命をかけてゆくのが武士道なんだということを「葉隠」の中で山本常朝は言ってるわけだ。しかし皆が皆、そうして生きることは出来ない。たまたま武士(政治家)ならば、それ位の覚悟を持ちなさいと。それが「葉隠」ですよ。それが分らない人に、何で男の人生が分るか。男の浪漫が分るか。五年先どころか、私は明日にでも生命賭けますよ。いつかやるなんて間抜けたこと言ってちや駄目なんです。」(『友よ山河を亡ぼすなかれ』)

事務所の帰り、ふらっと入ったスーパーに、 ロッポウかシチケン程度のカツオがあった。帰宅後に風呂に入ってから酔狂亭で、ふふふと独酌。

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悲憤慷慨しつつ(嘘です)独酌。

2017-04-27 10:36:41 | 日記
四月二十五日(火)晴れ。

最近の女優さんやモデルさんたちに、美人はいるが、気品や知性、艶やかさと言うものがほとんど感じられない人が多い。嵐山光三郎さんは、それは日本から「家柄」と言うものが無くなってしまったから。と何かの本に書いていた。特に最近の若い子の使う言葉の品の無さには辟易する。「ヤバイ」、「ウメェー」など、うちの子供が私の前で言ったなら、即張り倒す。私は、子供の「箸使い」と「言葉遣い」には厳しくして来た。早い話が、「御里が知れる」からである。まあどうでも良い話ですが。

今村復興相が、東日本大震災が「東北でよかった」と発言して、その職を辞した。まあ悪気はなかったのだろうが、「一強多弱」の中で、マスコミを始め野党は、政策などよりも「何かあったら足を引っ張ってやろう」と手ぐすね引いて待っている時に、不用意と言えば、その通りだろう。しかし、東北の人たちには、確かに失礼かもしれないが、所詮は「起きてしまったこと」で、「東京以外に起きればいい」と言った訳ではない。
東京を中心とした関東圏でなくて(自分の住む所でなくて)良かったと言うのは、口には出せないが、普通の感覚かもしれない。人的な被害や、経済的な損失は、東北の何倍も上回り、日本の政治経済の中心地がダメージを受けると言うことは、そのまま復興も遅れると言うことになる。政治経済の中心地が、ほぼ無傷であったからこそ、復興の支援もスピーディーに行われたのではないか。

確かに大臣としては、「空気を読めぬ」所はあったが、いちいちそんなことで大臣の首を切っていても埒が無い。それなら、復興相に、新米の大臣ばかり置かないで、経験豊富なベテランの大臣経験者を据えるべきだ。大体、復興相なんて、どんな権限があって、どんな仕事をしているかなんて、私も含めて、ほとんどの国民が知らないのに違いあるまい。

野党は、このようなことがあると決まって「総理の任命責任」を言うが、別に犯罪を起こしたわけでもなく、本人が、ゴメンナサイと言って職を辞しているのだから、それ以上、何かすることがあるのか。「任命責任」を問うならば、彼に票を入れた地元の人たちの資質も問え、と言うことになる。そんなことで国会審議を遅らせている場合かよ。北朝鮮危機の今、せめて原発に重装備の自衛隊員でも配置するぐらいのことを議論してくれないかなぁー。

夜は、悲憤慷慨しつつ(嘘です)、我が酔狂亭で月下独酌。

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柴又名物の草団子だが・・・。

2017-04-25 12:39:35 | 日記
四月二十四日(月)晴れ。

昨夜は何時に寝たのか記憶が無い。自宅に戻ったら子供たちは、まだ起きていたので六時過ぎ頃かもしれない。いや八時過ぎかもしれない。とにかく眠くてすぐに布団に入った。歳のせいでトイレが近く、二度ほど目を覚ますのだが、確か、最初に目が覚めたのが夜の十一時過ぎ。おお、まだ十一時か。と嬉しくなった。次に起きたのが午前二時。まだ四時間も寝ていられる。と、またまた嬉しくなった。六時にすっきりと目が覚めた。良く寝たものだ。私は、寝つきが良く、布団に入ると、五分で寝てしまう。朝方に、夢を見ることが多いが、覚えていることが少ない。寝ることも楽しみの一つである。

柴又の帝釈天と言えば、「寅さん」で有名で、記念館もある。私も何度か行ったことがあり、老舗の「川甚」で鰻を食べるのが恒例となっている。両親が元気なころに、寅さんの等身大の看板の前で撮った写真を家に飾ってある。獅子文六の『食味歳時記』(中公文庫)の中に、まだ寅さんの映画で有名になる前の、柴又の草団子に触れている所があり、えっと思った。

「帝釈天のある柴又は、昔から、草餅の団子が名物だが、この間、土地の人が、土産に持ってきてくれたのを見ると、緑青でも吹いてるように、青かった。一見して、人工染料で、色づけがしてある。柴又は江戸川に近く、昔はその堤に、ヨモギなぞが、沢山、生えてたのだろう。それで、草団子が、名物になったのだろう。もっとも、そんな草の生えるのは、春先きで、あの団子は、年中売ってた。それでも、自然の青い色を、呈してたのは、ヨモギを乾燥するとか、塩蔵するとか、何か、保存の策を、知ってたのだろう。しかし、そんな手間は、面倒だから、人工染料を、用いるのだろう。その代り、草の香りもないし、第一、食物とは思えない、不快な青さである」。

うーん。そうだったのか。余り信じたくないが、和菓子の色は、ほとんど着色料を使用しているのだから、それが自然な物と受け入れられているのかもしれない。

夜は、月に一度の町内の仲良しさんたちとの一献会。札幌の小澤拓也さんから、どっさり送って頂いた「行者ニンニク」を皆さんに振舞った。おひたし、卵とじ、てんぷら。ひーはー言いながらみんなで食べた。

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ガリバルディや今いかに。

2017-04-24 13:10:42 | 日記
四月二十三日(日)晴れ。

正に、麗日と書くにふさわしい日。貧乏していても、今朝のように天気が良いだけで、満ち足りた気持ちになる。人生を楽しむためには、経済的に余裕があった方が良いのは言うまでもない。しかし、金が無いから人生を楽しめないかと言えば、そうでもない。それぞれの境遇に自足しながら、人生を楽しむことを、この歳になって実感している。荘子曰く、窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ。とか。

今日は、上野の山の西郷さんの銅像の清洗式があり東京行き。十時半に、御徒町にて群青の会の大熊雄次氏、社友の矢崎泰之氏と合流して会場へ。お神輿や太鼓の奉納。神職による御祓いや、西郷さんの着付けも終わって、皆で記念写真を撮る。

印象に残ったのは、呼びかけ人を代表として挨拶に立った三澤浩一さんが、いきなり「人を恋うる歌」の七番を歌い始めたことだ。その歌詞とは、「妻子忘れて家を捨て 義のため恥を忍ぶとや 遠くのがれて腕を摩(ま)す ガリバルディや今いかに」。この歌は、「人を恋うる歌」として有名だが、別名「若き支那浪人の歌」としても知られている。十六番まである長いものだが、今では四番まで歌うのが常となっている。与謝野鉄幹は、明治二十八年(一八九五)、招かれて漢城(現在ソウル)で日本語による教育を行っていた乙未義塾(いつびぎじゅく)に教師として赴任。この歌は在韓中に作られたといわれている。

三澤さんが、歌い例に挙げたのが「ガリバルディ」である。今では、それが何の意味かを知る日本人はほとんどいないだろう。そういう私も、若い頃は、「ガリバルディ」はどこかの地名ではないかと思っていた。それが人の名であり、イタリア建国の英雄であることを知ったのは、与謝野鉄幹に関する本を読んでからだ。明治の論客、三宅雪嶺が西郷隆盛とガリバルディを比べるくらい、明治の人には知られていたと言う。三澤さんの熱い演説の中で、若き日のことを思い出した。尚、ガリバルディに関しては、「藤澤房俊著『ガリバルディ イタリア建国の英雄』(中公新書、八二〇円)」を参考にして下さい。また、「人を恋うる歌」の解説としては、「三木紘三のうた物語ー人を恋うる歌」を検索してみて下さい。

終了後に、御徒町の秘密基地「新東洋」にて、カメ&アコちゃん、愚妻、和歌山の素浪人、大島氏、社友のO氏、犬塚議長、大熊雄次氏、矢崎泰之氏、その友人、石丸氏ら十人での昼食会。陳年紹興酒を三本、黒霧島を二本、青島ビールを十本飲んで、一次会を終了。その後、御徒町の駅前にある吉池の食堂にて、また一時間ほど。更にもう一軒ハシゴしてから解散。久しぶりの大破・轟沈。

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カツオが駄目なら、ヌカ漬けだ。

2017-04-24 12:39:19 | 日記
四月二十二日(土)曇り。

最近、「糠漬け」を復活した。家族がほとんどぬか漬けのおしんこを食べないことと、血圧のことを考えて、五年ほどやめていた。スーパーで買うぬか漬けのおしんこに美味しい物が無く、カツオもダメなので、酒の肴にと思って、また始めた。最初は、捨て野菜を二三日やってから、鷹の爪に乾燥シイタケ、昆布を入れて、我慢すること五日ほど。今では、キュウリやナスなど絶品の味となった。それでもナスは、色出しが難しい。塩とミョーバンを混ぜたものをこすりつけるのだが、中々思うような色にならない。もう少し研究してみるか。

ぬか漬けで美味しいのが、山芋である。皮をむいて、酢水に晒した後に、塩をして漬ける。二日ほどで食べごろとなるが、これがとても美味しい。最近は、朝な夕なに、おしんこ三昧である。今は、大き目のタッパーで漬けているが、近々、本格的なぬか漬け用の甕を買おうと思っている。

桜が終った我が町の街路樹には、ハナミズキが咲いている。いつごろから、街路樹が柳からイチョウ、そしてハナミズキに変わったのかは知らないが、季節の移ろいが感じられていい。春になると、梅、雪柳、小手毬、木蓮、辛夷、桜、そしてハナミズキと白や淡い色の花が咲く。一度、家の周りが雪柳に覆われた家を見たことがある。本当にきれいで、季節外れの雪が降ったような錯覚に陥った。季節の花がうつくしい。などと眼福を重ねて行くうちに、人は、知らずに老いて行くものなのだ。

一日事務所にて機関誌の編集。経団連事件から一年後(昭和五十三年三月)に発売された『愛国戦線』の特集が「経団連事件」。猪野健治先生が編集を担当していた。その中に、当時、同人誌『花曜日』を発行していた永田美穂さんの「萩がこぼれる 桜がまた散る」という論評がとても素晴らしい。随分お会いしていないが、お元気なのだろうか。以前、どこかの宗教団体の雑誌に彼女の名前を見つけ、おおっと思ったことがある。

六時まで事務所にいてから、帰宅。今日も酔狂亭で独酌。曇り空のため相手にする月も影も無し。

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