11月26日(土)雨のち曇り。
昼食を兼ねた朝食は、チヂミ、サバの文化干し、ワンタンスープ。夜は、上の子供の誕生日の食事会を家族で関内の「天七」へ。このお店と、関内駅前の、サザンオールスターズの「原坊」の実家である「天吉」と共に横浜では有名なお店。「天七」のカウンターに座り、目の前で板前さんが揚げてくれる旬の物を食す。しかしながら、安くはないので、こういったハレの時にしか行けないのが残念。
天ぷらと言えば、京急の日ノ出町駅から伊勢佐木町へ向かう大岡川にかかる橋のすぐ手前に、野村先生のご家族御用達の天ぷら屋「天作」があった。私も何度か連れて行って貰ったことがある。先生がプロデュースした映画「撃てばかげろう」の横浜ロケの際、先生と川谷拓三さんと一緒に「天作」に行った。その折に川谷さんが、「良い映画があるんですが、小屋(映画館)にかからないのですが」。そのビデオ持っていると言うことで、食後に私が当時住んでいた磯子区のマンションでその映画を皆で見た。特攻隊、「敷島隊」を追視したセミドキュメンタリーの「北緯15度のデュオ」である。その映画を見た先生は、その場から西武のT氏に電話を入れて、西武系の映画館で上映が決まったといういきさつがある。
先生は、天ぷらを食べる時は、小皿に塩や抹茶塩、味の素、七味をミックスしたものに天ぷらにつけて食べた。余り「天つゆ」を使わなかった。私も、たまに天ぷら屋に行くと、思い出して、そうして食べることがある。先生も川谷さんも亡くなられてしまい、一緒に何度かお供をした「天作」のあった場所もビルが建ち、随分と様変わりしてしまった。「天作」のあった目の前に「瞼の母」や「一本刀土俵入り」を書いた「長谷川伸誕生の碑」がある。※写真は「撃てばかげろう」の横浜ロケの際、野村先生と川谷拓三さん。お二人とも亡くなられてしまった。