1月20日(月)曇り。大寒。
一年で一番寒いとされている今日は、大寒。私の事務所は「ダイカンプラザ」。関係ないか。なのに春めいて暖かい。寒いのは苦手だなぁー。体調もイマイチだし早く暖かくなってほしいものだ。
高校の同級生から頂いた『三丁目の夕日』のコミック本を沢山頂いた。映画も確か三作だったか皆見た。舞台になっているのは昭和30年代の東京の街。建設中の東京タワーが鈴木オートから見えるので、新橋周辺が架空の街「夕日町三丁目」かもしれない。鈴木オートの一人息子の一平君は、私と同じ世代の人である。小学生の低学年の時に、出来たばかりの東京タワーに母と行ったことがある。翌日、学校に行って東京タワーのミニチュアをみんなに見せたら、とても羨ましがられた。
当時、私の住んでいた横浜の下町には、まだ小さくても庭のある家が多くあって、大体「やつで」や「ザクロ」が植えてあった。その天狗のうちわのようなヤツデには、実が生り、細い竹を切ってきてヤツデの実を入れて「ヤツデ鉄砲」を作って遊んだが、今では、作り方を忘れて作れない。笹の細い所を編んでカメを作ったり、レンゲで花で髪飾りも作ったが、全く作り方を覚えていない。
納豆売り、豆腐屋のラッパの音、アサリとシジミ売り。皆同じ時間に、時を告げるようにやって来た。「先々の時計となりや小商人(こあきうど)」という川柳がある。本当かどうかは知らないが、江戸時代に出来たものらしい。そういう「小商人」が町から消えて久しい。時計などもあまりない子供の頃、近所の工場から終業を知らせるサイレンが鳴ると5時で、「カラスが泣くから帰ろう」と皆で言って、帰ったものだ。
三橋美智也の「古城」という歌が流行ったのは昭和34(1959)年で私は8歳。一番の歌詞は「松風騒ぐ 丘の上古城よ独(ひと)り 何偲(しの)ぶ 栄華の夢を 胸に追い あゝ 仰げば佗(わ)びし 天守閣」。ラジオから良く流れていた。その歌詞の中の「栄華の夢を 胸に追い」と言う所を、ずーっと「映画の夢」と思っていた。子供の頃のことを思うと、「三丁目の夕日」の時代と、三橋美智也の歌がセットになる。
夜は、昨日に続いて、伊勢志摩の社友から送って頂いた「牡蛎」三昧。今日は、アヒージョと牡蛎と玉ねぎのオイスターソース炒めを作った。これで牡蛎を完食。満足な一日だった。