十一月二十五日(水)晴れ。
今日も良い天気である。三島、森田両烈士のご命日。「憂国忌」である。我が家の祭壇に手を合わせる。
今日は、恒例の「日本を糺す会」が熱海で行われるので出席。三時半の横須賀線で戸塚に出て、そこから東海道線に乗り換えて熱海行き。お世話になっている方や、久し振りにお会いする同志の方々との懇談ほど楽しいものはない。同席した、四宮正貴先生のブログに、今日の事が書かれているので、引用してみたい。
午後六時より、熱海にて、『日本を糺す会』開催。杉山清一代表世話人が司会。荒井清壽弁護士が主催者挨拶、「アメリカによる謀略・日本弱体化」について、相当突っ込んだ話があった。この後、多くの同志が、現下日本の情勢について深夜まで討論。同志多数と討議懇談。小生は昨年に引き続き、元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流儀の陣太鼓の合図によって敢行された赤穂義士の吉良邸討ち入りの歴史を回顧しつつ、日本武士道精神・忠孝精神について語らせていただいた。全体会議の後、明け方近くまで各分野別の討議が行われた。
主催者の荒井先生に心から御礼を申し上げます次第です。
その、会合に向う車中で読んだ「週刊朝日」の中の内館牧子さんのコラム「暖簾にひじ鉄」にとても、良いことが書かれていた。それは「フォーマルな意識」と題したもので、早い話が、「儀式的な行事におけるフォーマルな意識を身につけさせる」ことの必要性を説いたものだ。
良く、結婚式や会合で「平服でどうぞ」といわれることがある。これを何を勘違いしたか、「私服」と思ってセーターや色物のズボン、あるいはひどい者になると、ジャージのような、カジュアルな格好でも良いと思っている人がいる。以前も、中華街で結婚式後の食事会に招かれた折に、案内状には「平服でお越し下さい」とあったので、いわゆる黒、白の礼服ではなく、ダークスーツで行った。ほとんどの人が、私と同じようなダークスーツ姿であったが、驚いたのは、友人が、ジーパンの上下を着て来たことだ。友人なだけに、周りの人の彼に対する侮蔑の視線が私も辛かった。
たしかに「平服」とは、「普段着」の事であって、「礼服」や「式服」のことではない。しかし、主催者が「平服で」という場合は、「謙遜」、あるいは「遠慮」して言っているのである。それを間に受けて、本当に普段着で出席したならば、お里が知れる、というものだ。
内館さんも、以前、相撲の表彰式に、政治家が「クールビズ」とかいって、ノーネクタイで土俵に上がったことを指摘し、「親方や役員が黒紋付の正装で居るのに、政治家がカジュアルな格好ではけしからん。土俵の上は聖域ではないか」と怒っている。勉強会などもそうで、教える側が背広姿なのに対して、教わる側が、カジュアルな格好ではおかしい。とも言っている。まして神式、仏式を問わずに行なわれる慰霊祭や追悼祭は、日本人の大事な行事の一つである。その場に相応しい格好があるのは言うまでもない。ひよっとすると、伝統文化といものは、こんな所から崩壊して行くのかもしれない。私も、気をつけなければ・・・。
現在発売の、「週刊朝日」の42頁に掲載されています。是非、ご一読下さい。