白雲去来

蜷川正大の日々是口実

事務所でインタビュー。

2024-11-27 10:33:55 | 日記

11月25日(月)晴れ。憂国忌

憂国忌 風が鞭振る天に地に。とは野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』の「秋の部」にある。「秋の部」の句の中で、私が好き、というよりも胸を打つのは、「獄中十年目、一句」と題して詠んだ、石廊を出て鰯雲「また秋か」・・・。昭和39年、先生は「河野邸焼き打ち」事件にて12年の判決を受けて、千葉刑務所に下獄する。恐らく「獄中十年目」は、昭和49年のこと。三島烈士の自決から4年目の秋のことである。

午後一時、私の事務所に元亜無亜危異(アナーキー)のギタリスト藤沼伸一さんがカメラマンを伴って来訪。何かドキュメンタリー映画を製作中とのことで、様々な人にインタビューを行っているとかで、私と松本佳展君とに白羽の矢が立った。藤沼伸一さんとお会いするのは久しぶりの事。何年か前に桜木町のライブハウスに行ったのが最後だから5,6年ぶりか。

早速撮影。人生観や最近の世相、自由と平等とはなど約30分ほどカメラの前で、インタビュー。最近はとみに老いが顔と頭に出ているので、折角の藤沼さんのご厚意に答えられるのかと心配である。反省と後悔の30分だった。松本君の方がよほど的を射た話をしていた。本来は、久しぶりにお会いするので、終わってから、是非一献と思っていたが、夜に、お世話になっている方と会食の約束があり、後日を約して別れた。

夜は、紅灯の巷で、食事の後に傾城と傾国とを相手に杯盤狼藉。11時過ぎに帰宅。※写真は、私の事務所で、藤沼さんのインタビューに答える私。


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野分の風の頃・・・。

2024-11-22 16:20:52 | 日記

11月21日(木)雨のち曇り。

11月24日は、昭和45(1970)年11月25日、東京の市谷台にある自衛隊の東部方面総監室にて憲法の改正などを訴えて自決した三島由紀夫、森田必勝両烈士の決起から54年となる。野分祭は、自決なされた森田必勝烈士の自決前夜の思いを共有しようという趣旨で、烈士の辞世、「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」から命名された。

当初は一水会が中心となって元楯の会の会員、民族派の学生運動の出身者らによって斎行されていたが、近年の野分祭は一水会から離れて、楯の会の一期生の伊藤好雄さんが祭主となって開催している。随分前の野分祭で、司会を務めた犬塚博英先輩が、今日は全員「正座」で行うと言い、亡くなられた大野康孝宮司が心のこもった超、長文の祝詞を読んだ。日頃、日本の伝統文化を守れ。などと言いつつ普段正座などしたことのない私は、足が痺れて感覚がなくなっていった。間の悪いことに畳の部屋は満席で、私は廊下の板の間にいた。

祝詞が終わって、玉串の奉奠となった時、立ち上がれない人が続出。無理して立ち上がった人の中には転げる人もいた。私は、もし指名されたらどうしようかと、冷や冷やしていた。そんな雰囲気の中で、犬塚先輩が、「腹を切った森田の痛みに比べたら、足の痺れぐらいなんだ」と喝を入れた。それを聞いた私は、亀のように首をすくめたのです。野分祭を迎えると、いつもこの時のことを思い出す。

夜は、ミスジ肉にたっぷりと缶詰のスライスマッシュルームをニンニクと醤油で炒めて添えたものに、華正樓の焼売、キャベツのコールスロー・サラダ。お供は、ドライビールを2本のみ。酔狂亭にて独酌。NHKの「映像の世紀」の再放送「ルート66」がとても良かった。後半の映像が、私の青春時代と重なった。

 

 


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老いるショック。

2024-11-19 11:54:13 | 日記

11月17日(日)曇り。

歳のせいか、若い頃では考えられないようなことが自身に起きる。例えば、大した段差でもないのにつまずいたり、椅子から起きようとするとふらふらしたりする。老いを体で感じる。これを「老いるショック」というらしい。トイレもそうだ。六十代の頃までは、オシッコをしたいと感じても、トイレに行くまで、少々余裕があったが、最近では、尿意を感じると、すぐにトイレに行かないと、ズボンの中でチョロ松、と言うことになる。従って最近では、尿意を感じると、すぐにトイレに行く。これを医学用語で「にょーいドン」と言うと後輩の村田さんから教わった。

砂浜が、満潮の波に浸って行くように「老い」の波が、徐々に、ひたひたと音もなく体を侵食して行く。老い、老人・・・。良い言葉ではないが、お隣の中国ではその「老」そのものが敬語であると浅田次郎さんの『アジフライの正しい食べ方』という本で知った。「老師」と言えば「老いた先生」ではなく、「尊敬する先生」であり、「老爺(ラオイエ)」も「敬する人」であって老人とは限らない。私の好きな戦前の上海の街並み、すなわち「老上海」も決して「古びた」という意味ではなく「古くて、伝統的な」というニュアンスで使われる。

夜は、佐伯さんとアコチャン夫妻、弊社の松本佳展君と紗枝さん夫妻、そして私と愚妻との6人で中華街で、忘年会を開催。深酒をせずに、一軒転戦して帰宅。


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「燃えカス症候群」か。

2024-11-16 14:09:58 | 日記

11月14日(木)晴れ。義士討ち入りの日。

何時の産経新聞か失念したが、「元気のでる歴史人物講座」というコラムに、赤穂義士のことについて、日本政策研究センターの主任研究員の岡田幹彦氏が「義の物語」と題して書いているのを随分前に書いたことがある。抜粋してみたい。「日本人はなぜかくも忠臣蔵を愛好するのだろうか。それは大石内蔵助はじめ四十七士の生き方に日本人本来の美しい心と生き方を見出すからである。四十七士は日本人の清らかな正しい生き方の模範とされてきた。それゆえ四十七士は赤穂義士とたたえられ、『忠臣蔵』(忠義の武士の集り)と呼ばれた。もし外国人から『日本人とはいかなる国民か』と問われたならば、忠臣蔵を見せればよいと言った人がいるが至言である」。私も同感である。

友人から、「二度は読まないので、良かったら持って行きます」と連絡があり。弘兼憲史の『黄昏流星群』4巻と、西岸良平の『三丁目の夕日』7巻、『鎌倉ものがたり』4巻を頂いた。その友人からは、小説や人物伝などを頂くことはあっても、劇画は初めてなので、少々戸惑ったが、『三丁目の夕日』は好きで映画3作品は皆見ている。時代設定が私の小学生の低学年の頃で、懐かしさにあふれている。

『黄昏流星群』を読んだのは初めてのことで、何か、良い歳をして胸がキュンとなるショートストリーばかりだった。「恋の星、乱れ星」というタイトルの中で主人公が自宅の本を整理する面がある。手にしたのが『されど我らが日々』。1960年代の学生運動を主題とした柴田翔の青春小説。私が読んだのは高校生ぐらいの時。確か、当時お付き合いをしていた、同じ歳で関東学院に通っていたヤマザキマサコさんから勧められて読んだ。『黄昏流星群』の主役は40代以降の中年・熟年・老年で、恋愛を主軸に人生観などを描いた短編漫画集である。タイトルは、老いゆく過程で光り輝くという意味からと言うことらしいが、古希を過ぎると、もう「光り輝く」どころか「燃えカス流星群」である。

夜は、自宅近くの「浜一寿司」で、お世話になっている方と、時局を肴に一献会。その「浜一寿司」のオヤジさんは私の中学の3級先輩で、妹さんは、中学の同級生。といっても妹さんとは、中学以来お会いしていないので、お互いに隣同士になっても気づかないに違いあるまい。

 


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満州と言っても餃子屋ではない。

2024-11-15 09:45:56 | 日記

11月13日(水)晴れ。

戦前の大蔵官僚から満州国の官僚となったのが古海忠之氏。中国で戦犯の指定を受けて18年もの長きを中国に収容された。戦後の日本人は、満州と聞くと「関東軍が作った日本の傀儡国であり、日本帝国主義の侵略の象徴」と教わって来た。確かに、そういった一面がなかったとは思わないが、それだけではないだろう。満州を五族(日本・朝鮮・満・蒙古・中国)の協和を目指し、そこに王道楽土を建設しようと、純粋に尽くした人たちがいたことも、また事実である。古海忠之氏もそういった純粋な志を持って満州に渡った一人である。

以前、古海忠之氏と、やはり中国で18年の収容生活を送った城野宏氏との対談本、『獄中の人間学』(致知出版)を読んだことがあり、もう一度読んでみようと事務所の書棚を探したが見つからなかった。書棚の整理がてら探して見ようと思っている。図書館で借りて、現在読んでいるのが、古海忠之氏の『忘れ得ぬ満州国』(経済往来社)という本。直接満州の経営に携わった方の回顧録なので、読みごたえがある。石原莞爾など様々な有名人が出てくるが、その中に笠木良明氏の名前があった。日本の国家主義者として有名な方だが、一部の研究者を除いて、今ではほとんどその名前を聞くことがない。そういえば『維新と興亜』の主筆の坪内隆彦さんが、笠木良明について書いたものがあることを思い出し、探して見るとあった。「笠木良明と『大亜細亜』」。再読したが、大変勉強になった。『維新と興亜』の執筆陣は、民族派の中で「亜細亜研究」では抜きんでていると思っている。笠木氏には、『笠木良明遺芳録』という本があるので、また図書館に行って見るつもり。

夜は、鍋を囲んだ。スープは「家系総本山・吉村家の鍋つゆ」(319円)を2個買って来て使った。鶏のつみれと豚肉のバラ肉、豆腐に油揚げ、キャベツと錦糸町の「223」のキムチをたっぷり入れた。〆は「五島うどん」。美味しかった。「鍋つゆ」も色々な物が出回っており、これから迎える冬が楽しみである。

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