白雲去来

蜷川正大の日々是口実

トレドの思い出。

2025-02-28 18:03:35 | 日記

2月27日(木)晴れ。

良い天気である。窓を全開にして温かい空気を取り入れようかとも思ったが、花粉が心配なのであきらめた。我が家の空気清浄機は全開、フル稼働である。昼は、箱根駅伝の花の二区、権太坂にある蕎麦屋「名古屋」にて。ここの蕎麦はあまり好きではないので小エビが沢山入っている「かき揚げ丼」を。1300円なり。私的には、これは絶品である。

随分前に読んだのが、『ウイスキー粋人列伝』(文春新書・820円)。「吉田茂も黒澤明も向田邦子も日本人はみんなウイスキーが好きだった」と帯にあり、愛飲家90人のエピソードが綴られている。私は飲食に関する本が好きで、特に酒のエビーソードについて書かれたものは、目についたらすぐに買うようにしている。その「列伝」のトップに登場するのがクラッシックのギターリストでエッセイストでもある村治佳織さん。彼女のウイスキーの話も良かったが、嬉しかったのが次の一文。

「トレドには、もう何度足を運んだかわからない。パラドールのお庭から見るトレドの全景、これは画家のエル・グレコも魅せられてトレドに移り住んだという逸話も残っているぐらいでも、千年も景色が変わっていない。私の中では、いま地球上で見られる中でも、もっとも好きな光景の一つです」というもの。ちなみに「パラドール」とは、スペインでは古城などを改装したり、景勝地に新しく建てた半官半民の宿泊施設網のことである。

私は、村治さんが、トレドのパラドールから見た「いま地球上で見られる中でも、もっとも好きな光景の一つです」を、もう30年以上も前に野村先生と共に見た。その庭で、先生は旅の感慨を語り、私がビデオに収めた。命のあるうちに機会があればもう一度訪れてみたいものだ。トレドはキリスト教徒がイスラムを駆逐した「レコンキスタ」(失地回復)の地としても有名である。写真はトレドのパラドールにて。若き日の私です。


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昭和維新の春の空。

2025-02-27 18:41:53 | 日記

2月26日(水)晴れ。

野村先生の獄中句「銀河蒼茫」の中に、「二・二六の今年は獄のほそ霙」がある。二・二六事件に関する本は随分と読んだ。その中で、印象に残っているものと言えば、末松太平の「私の昭和史」、大蔵栄一の「二・二六事件への挽歌」、立野信之の「叛乱」、河野司の「湯河原襲撃」などであろうか。昭和11年2月26日の雪の降る早朝、栗原安秀中尉は、近衛歩兵第三連隊の兵士を集め、こう訓示する。「これより妖雪を払い、御聖断を仰ぎ、昭和維新を断行する」。血が騒ぐなぁ―。

若い頃に、二・二六事件関係の本を片っ端から集め読んでいたが、きりがないので、この十年ぐらいは、その後に出版された二・二六事件関係の新刊を読んでいない。その昔、古書店で、事件に関係した青年将校たちの遺墨を集めた「霊の国家」(だったか?)という本を買った時には、とても興奮した。その後、青年将校だけではなく一般の兵隊にスポットを当てた「二・二六事件と郷土兵」などという本も出版され、これも興味深く読んだ。しかし、いくら読んでも事件の本質は動くことはなく、あとはどう評価するのかや決起した人たちの個人的な人間関係、エピソードにいかに関心を持つかということに尽きるのではないか。最も、私は、研究家ではないので、事件の精神を少しでも理解し受け継ごうとするだけだ。事件の起きた昭和十一年(1936)と言うと、随分と昔のことのように思うが、私が生まれたのは昭和二十六年だから、二・二六事件は、私が生まれるわずか十五年前の出来事。

最近、パソコンの画面のせいか「ドライアイ」気味で、目の具合が余り良くない。久しぶりに自宅近くの眼科へ検査を兼ねて目薬を貰いに行った。上、下、右、左などの検査などを行なった結果「視力は1・0だし、白内障の心配もないので安心してください」。薬局で目薬を貰って帰る。医者と目薬で1790円。

事務所にて、機関誌の最新号の校正。原稿が多く、今月号は61頁にもなった。ヤマトのメール便がなくなり、普通郵便で送るのだが、52頁だと180円だが、61頁となると270円。仕方がないので今回はスマートレター(210円)で送る。原稿が多いのは編集者冥利に尽きるが、送料が高いのには頭が痛い。維新の捨て石たらんと志していた若い頃に比べると、我ながらセコイナァー。反省


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何処へ、いや千葉へ。

2025-02-27 10:56:37 | 日記

2月24日(月)晴れ。

所要があって千葉行き。バックには『作家と酒』(平凡社)を一冊。市川までは一時間余の車中である。旅というようなのんびりしたものではなく、かといって仕事でもない。所要という都合の良い言葉があって助かる。電車の旅が好きだ、と言っても、いわゆる「撮り鉄」や「乗り鉄」そして六角精児さんのような「呑み鉄」でもない。「電車の旅」といっても、せいぜい3時間程度が限界である。

横浜から下田あたりまでが我慢の限度。車窓を楽しむのには、それくらいが丁度よい。下田方面に行くときは、座席は左側。小田原を過ぎるあたりから海が見えてくる。天気の良い日などは、石坂洋次郎の小説ではないが「光る海」が目に眩しい。小田原の西湘バイパスの近くには、若くして亡くなった盟友の渡邊康司さんが眠っているお寺があり、いつも目で追う。

横浜駅で、簡単な肴とビールを3本仕入れて車中の人となる。新幹線だと、早すぎて車窓を楽しめない。下田までは、せいぜい「踊り子」か東海道線のグリーン車を使う。窓から入る日差しでついウトウトしてしまい、あーあもったいないと、慌ててビールを飲む。いや、下田行きの話ではなかった。

千葉方面に行くときは、なぜか時間が逆戻りするような気がしてならない。過去に向かって走っているような、不思議な感情に包まれる。市川まで一時間、記憶は中学生のころまで戻った。駅前で盟友が待っていてくれて、とりあえずホテルにチェックイン。彼の会社で二時間ほど、こまごましたことを済ませてから、いつもの蕎麦屋へ。頑固な、それでいて人の好いご夫婦が営んでいる。蕎麦はもちろん、酒の肴も美味しい。盟友の友人10名ほどでお店を貸し切り。県議、元政治家の秘書、計理士、司法書士、ハゼの釣り師夫妻、背広の仕立て屋さん。そこに新進気鋭の保守の論客の岩田温先生とお弟子さんが乱入。談論風発、喧々諤々の酒。その後、一軒転戦してホテルに戻った。何から何までお世話になりました。盟友に感謝。

 


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残刑は十年もある「明日も雪か」。

2025-02-25 16:40:55 | 日記

2月23日(日)晴れ。天長節。

今日は天長の佳節である。起床後に玄関に国旗を掲げ、皇居を遥拝。皇尊弥栄。

昨日から、愚妻と上の子供が昨日から大阪旅行ら出かけたために一人でのんびりとしている。日曜日とあって狭斜の巷の馴染みの店は皆休みで、「鬼の居ぬ間に』とは行かず先日購入した福田和也さんの自伝的批評集『放蕩の果て』を読んでいる。書斎の窓から入ってくる陽射しが心地よく、ウツラ、ウツラとしてしまう。「暗くなるまで待って」から、酔狂亭を開店。肴は、鶏むね肉の薄切りフライにから揚げ、レタスの温サラダ(さっと茹でて、ごま油、ちょっと紹興酒に醤油)、清風楼の焼売、大根と都築農園差し入れの人参のきんぴら。お供は、犬塚先輩の差し入れの「伊佐美」のお湯割り。月下独酌。

一瞬風花が舞った昨日、野村先生の「残刑は十年もある『明日も雪』」の句が浮かんだ。その句は野村先生以外には詠むことができないだろう。いや野村先生だからこその句である。その昔、この句について先生から聞いたことがある。「千葉に降りた時、刑務所の面接があって俺を含めて三人が面接を同時に受けた。その際に面接官が書類を見ながら『一人短いのがいるな』と呟いた。誰かと思ったら、『野村お前だよ』。後の二人は、無期の人だった。ここが長期刑務所であると言うことを思い知った最初の出来事だった。そんな中で無我夢中で二年が過ぎた。やっと二年が過ぎたかぁー。と思った瞬間、これから先、まだ十年も務めなければならないのかと思った時、ゾッとして、体が震えたことがあった。雪の日だった」と。

 

 

 


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雪の降る街を。

2025-02-23 13:55:32 | 日記

2月22日(土)晴れ。風花舞う。

大阪に旅行に行く、妻子を新横浜駅まで送る。久しぶりに「焼売弁当」を買い、昼食に。しかし、一個千円は高い。良い天気だったが、一瞬のうちに曇りだし薄暗くなった。雨かと思ったら、消え入るような風花が舞った。豪雪地帯の人たちのことを思ったら「風流」などと言っては罰が当たるか。しかしながら雪とはほとんど無縁の横浜などにいて、たまに降る雪を眺めるのも良いものだ。

随分前のことだが、8年前に亡くなられた元「群青の会」の代表だった正田秀幸ご夫妻と、私と愚妻とで網走を旅したことがあった。二月のことだったと思う。お互いの思い出の能取岬や、苦労した切通し農場などを見て回った。最も冬の切通し農場へは、雪が深くてたどり着けず遠望するにとどまった。網走湖荘や天都山にある友愛荘に泊まり、お互いに往時を偲んだことが懐かしく思い出される。「雪の降る街を」という歌を聴くと、網走の、それも仄かな灯りの街灯に照らされた雪と、網走の町に降る雪。そして究極は、農場の一面の銀世界と防風林を思い出す。横浜に降るたまにの雪に、様々な感慨が巡る。雪の降る街に、正に、想い出だけが通り過ぎて行く・・・。

夜は、家に誰もいなくて退屈なので、佐伯さん夫妻と待ち合わせて藤棚の「やまと」へ行く。カウンターにはお馴染みさんばかり。一時間ほど飲んで「サリーズバー」へ転戦。千鳥足で帰宅。


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