白雲去来

蜷川正大の日々是口実

奇行の人、実は大業の人。

2014-10-26 13:09:39 | インポート

十月二十四日(金)晴れ。

三日ほど雨が続いたが、今日は打って変わって良い天気。目が覚めて天気が良いと、それだけで気持ちが華やぐ。

今年の群青忌の墓前祭にも出席して頂いた若き社友で「キノコ」のプロの田久保春之さんからシイタケなどのキノコをご恵送頂いた。キノコ類が大好きな私は、早速、料理の下準備と保存に取り掛かった。こういった作業は時間を忘れる。貧乏性ゆえか「嬉しい」と思う時は、朝起きて天気が良いことと、家に食べ物が溢れている時である。歳ゆえにほとんど夢などないが、人生の大事な一食と、良き友との酒の時間だけは大切にしている。

そう言えば、岐阜の花房東洋先輩からやんわりと抗議?の葉書きが届いた。と言うのも私が発行している機関誌「燃えよ祖国」の最新号(206号)に「私の交遊録」と題して「逸話の人・花房東洋氏」という文章を掲載した。その原稿は、花房先輩が自伝的な回想録「大愚記」(私家版、非売品)を発行した際に寄稿した物である。

良い意味で、奇行が美談となる人は少ない。昔の先輩にはそんな人が多かったが、最近では、そういった人たちを愛する風流さが薄れて、型にはまった男ばかりになって、も右も左も随分と小粒な者が目立つ。私の友人の中で、意識せずともその奇行が悪口などではなく、良い話として語られる人がいる。代表的な存在としては森田忠明氏、藤本隆之氏、犬塚博英氏に花房東洋氏と最近は随分と病気を抱えて多少元気がなくなったが天草の大野康孝氏などであろうか。誤解の無いように言えば、この人たちは、皆インテリで、民族派運動における指導的立場にある人たちである。この人たちの愛すべき奇行は、そのうちに書いてみたいが、花房先輩から頂いた葉書きにはこうあった。

「奇人、変人の面のみ評価?されます。それはそれで有難いのですが、最近若い人がその伝説に期待してくれて、その期待に応えるのが体力的にこたえます」。

花房先輩は、巷間「奇行」が有名ではあるが、先輩の名誉のために言えば、かつて行っていた「神州男児熱血歌唱祭」は、今ではほとんど歌われなくなった「蒙古放浪歌」「狼の歌」「馬賊の唄」といった戦前、大陸への雄飛を志した青年たちに愛された歌を今の時代に広く知らしめた。そして野村先生が作詞した「青年賛歌」に曲を付けて頂いたのも花房先輩のお力によるものである。

毎年岐阜の護国神社にて開催されている三上卓先生の追悼祭「大夢祭」は今年で四十一回目となり、更に二千名にも及ぶアジア留学生への支援、熱帯雨林の再生は、三千ヘクタールにも及ぶ。こうした実績があればこそ、日頃の奇行が尊敬の対象になるのである。私が尊敬する先輩の一人であることは言うまでもない。

Dsc_0189 ※平成24年5月15日、5・15事件80周年記念祭の宴席にて。頭に三角巾をつけた花房先輩を囲んで。

話が長くなってしまったので「シイタケ」料理の話は後日に。夜は、我が酔狂亭で「キノコ鍋」を囲んでの一献会。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

灯火親しむ候。

2014-10-26 11:51:06 | インポート

十月二十三日(木)雨。

群青忌が終ると、なぜかドドッと疲れる。今月に頭の検査のためにMRIの検査に行かなければならないのに予約をするのをつい忘れていた。お世話になった人たちへのお礼の手紙や、群青忌の際に撮った写真の整理など、日々何かと気忙しい。まあ考えてみれば嬉しい忙しさかもしれない。

先日、ラジオでどなたかが、「六十歳を過ぎたら、何があってもおかしくはない。日々そのつもりで生活しなさい」ということを話していた。他人事ではない。自分では若いつもりでいても、体は正直なものだ。しかしながら頭では分かっていても、自制できないから嫌になる。

時秋にして積雨(せきう)霽(はれ)、新涼郊墟(こうきょ)に入いる。灯火稍(ようやく)親しむ可く、簡編(かんぺん)巻舒(けんじょ)す可し。

?積雨 … 降り続く雨。長雨。
?霽 … 雨・雪などがやんで、空がすっきり晴れる。
?新涼 … 秋のはじめの涼しさ。
?郊墟 … 郊外の丘陵地。墟は丘。
?簡編 … 書物。
?巻舒 … 巻いたり広げたりする。

灯火親しむ候か・・・。食欲の秋をしばらく制して、ぼやーっとしていないで読書に没頭するか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍しい木製の葉書きが届いた。

2014-10-23 10:29:36 | インポート

十月二十二日(水)雨。

今日も雨か。予定を見ると朝の十時より歯医者の予約が入っていた。慌てて着替えを済ませて、みなとみらいにある歯医者へ。終了後は、そごうへ夕食の買い物。残念ながら鮮魚店に「カツオ」はいなかった。その後事務所へ。

若き大陸浪人の天外、杉山茂雄さんからハガキが届いていた。台湾からのもので、それも木の葉書きである。その昔の銭湯の下足番号の板とほぼ同じサイズ。葉書きによれば、台湾の高雄に泊まって、その後、金門島経由で中国大陸に行くとのこと。中国語が堪能の天外氏から旅先の絵ハガキが届くのが楽しみでもある。愚妻曰く、「そんなかやま」って誰?。すみません。勉強させます。

Photo ※珍しい木製の葉書き。国父記念館製。

寒いので夜は「おでん」にした。軽く飲んでから録画しておいた箱根駅伝の予選会のビデオを見てから寝た。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党さんしっかりしてね。

2014-10-23 10:02:01 | インポート

十月二十一日(火)雨。

雨音が目覚まし代わりになった。一雨ごとに季節がすすんで行く。寒い。慌てて厚手のスエットを着た。「群青忌」の疲れなのかシャキっとしない。朝食は、赤ウインナーに魚ニソに目玉焼き。そしてキャベツの千切りを添えた。スープは、「しじみ〇〇個分」の何とかやら。

群青忌でお世話になった方たちに、ボチボチと礼手紙を書くが、何となく体がだるい。午前中だと言うのに風呂に入ってしばらく休んでいた。

小渕優子が政治資金の問題で閣僚を辞任した。しかしまだこんな丼ぶり会計や、昔ながらの後援会の接待をやっていたのかと、しばし唖然とする。おそらく父親からの後援会人脈で、頭の上がらない人が多いのだろうが、こんな自分の足元さえ管理、監督が出来なくて何の将来の総理候補なのか。しかしこの程度の女性が将来の総理候補などとは、自民党も余程人材不足と言える。小池百合子も総裁選で安倍を応援していればなぁー。しかしながら野党も、こんなことでしか自民党を攻撃できないのだから、その存在感の希薄な事よ。

そろそろマスコミも足並みそろえて安倍おろしに向かうだろう。未確認情報だが、来週も岐阜が選挙区の自民党の大物議員のスキャンダル?が週刊誌に掲載されるらしい。まっ関係ねぇーか。

夜は、カメちゃんとアコチャンに藤棚の「一休」で群青忌の慰労会を行って貰った。そろそろ終わりの「カツオ」が素晴らしかった。その後「やまと」に転戦して帰宅。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地久節萬歳。そして群青忌。

2014-10-23 09:31:29 | インポート

十月二十日(月)晴れ。地久節、群青忌。

今日は皇后陛下の傘寿の記念の地久節。心からお祝いを申し上げます。

今日二十日は、おめでたい地久節(皇后陛下のお誕生日。ちなみに天皇陛下のお誕生日は天長節と言う)ではあるが、昭和十九年の今日、神風特別攻撃隊が編成された日でもある。野村先生は、この日を自決の日に選んだ。自決に際して同志諸兄に宛てた「檄文」「天の怒りか、地の声か」にこう書いた。

「今、私は神風特攻隊の歴史を読み返している。もちろん回天特攻隊もそうだが、あの若くして散った純粋さ、そして祖国愛に、私はただただ打たれ、心底申し訳ないと思いを深くしている。 日本に今日の平和があるのも、また繁栄があるのも、すべてこの人々の尊い犠牲の上にあることを、細川護熙よ、心して知れ! それでも若くして散ったこの人々を、『侵略者』ドロボーの手先だったと言うのか!

まず、その人々に頭を深く垂れるべきではないのか。その上で、日本の過去の何が是で、何が非であったのかを検証する。それが順序というものだ。バカにつける薬はないというが、昔の人はうまいことを言ったもんだ。いつまで極楽島のアホウ鳥でいれば気がすむのか。

私は寺山修司の
  「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
         身捨つるほどの祖国ありや」

 という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今「ある!」と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころの一つひとつに至るまで私にとっては、すべて祖国そのものである。寺山は「ない」と言った。私は「ある」と言う。それ故に、細川護熙の発言を断じて許せないのである。これは、私一人の思いではないと思う。  

 ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう。

  さだめなき世なりと知るも草莽の
            一筋の道 かはることなし」

この日を、私たちは、野村先生の遺著となった「さらば群青」から「群青忌」と命名して追悼祭を続けている。いつの日か、「群青忌」の日が、国家と民族、そして伝統や文化を見つめ直す日となってほしいと願っている。

九時前に、横浜に泊まっている社友を迎えに行く。アパホテルに集合して中華街の「安記」へ朝粥を食しに行くが生憎休み。この時間では開いている店が少ないので中華街の善隣門近くの「馬さんのお店・龍仙」へ行く。開店した当時は大して客もいなかったが、マスコミの力とは恐ろしいもので、テレビなどで取り上げられると、今では中華街の有名店の仲間入りをした。好みは皆それぞれだろうが、私は「お粥」は「安記」がカブかオイチョとすると、このお店の物はサンズン、ヨツヤ程度。他の料理も最近あちらこちらに出来ている、店の入り口に料理の写真をディスプレーしているその辺の中華料理屋とほとんど差がない。

他に開いているお店を知らないので、ここで社友とお別れ会。昼間の酒は何か後ろめたたさがあるが、午前中の酒には、昼間の酒よりも更に罪悪感が伴う。それでも札幌、新潟、茨城、福井にとそれぞれ帰る社友と杯を重ね再会を約す。解散後は事務所で一休み。

Dsc_0622 ※左から、神山さん。蜷川、福井さん、山田さん。

Dsc_0623 ※今度は、札幌の雪田さんと一緒に。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする