白雲去来

蜷川正大の日々是口実

先生の本がネツトで高値で売られていた。

2014-09-03 12:52:58 | インポート

九月二日(火)晴れ。

久しぶりの晴天。ニュースでは三十度となり夏日であると。のっけから尾籠(びろう・汚くて人前で失礼にあたること)な話で恐縮だが、一日の半分近くをパソコンの前で座っているせいか、この時期にはタマタマの所に汗疹が出来る。学生時代を思い出して風呂上りにキンカンを試してみたら、人目もはばからずギャーっと声を出してシャワーで洗い流した。この痛みは女性には分からないだろうなぁー。

その汗疹も、先週のように曇りの日が続くと不思議なことにピタッとおさまる。あのかゆみは何だったろうと思うほど、何事もなかったようにおさまるのである。まあこんなことはどうでもいいか。久しぶりの晴天は嬉しい。暑いと言っても三十度が頂点ならば、余裕である。

南宋の詩人で楊 万里と言う人に「夏夜追涼」(夏の夜涼を追う)と言うものがある。これが中々風流な詩で、現在の中国の共産党の幹部もこういった風流を愛するようになれば、世界の嫌われ者にはならずに済むような気がするのだが。

夜熱依然として午熱に同じ (夜の熱気は真昼時の熱気のまま)

門を開いて小立す月明の中 (門を開けて外に出て、月明りのもとでしばらく涼んでいた)

竹深く樹密にして虫鳴く処 (竹がうっそうと生え、木立がこんもりと繁るあたりで虫が鳴いた)

時に微涼有り是れ風ならず (その時、かすかな涼しさが漂った。この涼しさは風ではない)

涼しさを感じ取ったのは風ではなく虫の鳴き声だった・・・。という所にこの詩の繊細さがある。風流じゃありませんか。

そう言えばFBでも紹介したが、何気なくネツトを見たらナント弊社の野村先生関係の本が、定価より高く出回っているのには驚いてしまった。考えてみれば事務所を幾度も移転し、それに伴って電話番号も変更している。また本の流通会社から脱会して、いまは直販のみで販売している。都内でも本を置いて貰っているのは模索舎などごくわずかである。加えてホーム頁も閉鎖してか随分日にちが経っている。(現在鋭意製作中)したがって弊社が倒産して本が手に入らないと思っている人が多いのではないか。全く不徳の致すところです。

野村先生関係の本の在庫はありますし、無料の出版カタログもお送りしています。ご遠慮なくご連絡下さい。尚、FB、このブログを見たと言う方は送料をサービスさせて頂きます。書籍目録をご希望の方は、下記までご連絡下さい。

(株)二十一世紀書院の電話は090-6300-7075

メールは、snforever@proof.ocn.ne.jp 

Photo ※これ以外にもありますのでご連絡下さい。

夜は、久しぶりに晴れたので、月と影とを相手に、わが酔狂亭で月下独酌。


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柳原白蓮の書。

2014-09-02 11:33:39 | インポート

九月一日(月)雨。防災の日。

昨日の産経新聞に掲載されていたのが元小結でタレントだった龍虎さんの死亡記事。とりあえず合掌。その隣にあった記事が「花子とアン」にも出てくる歌人のモデルとなった柳原白蓮。その白蓮の作品集に収録されていない直筆の短歌が見つかったと言うもの。昭和二十九年に白蓮が竹田市出身の文人化画家、田能村竹田の生家を訪れた際に詠んだ作品。

 見ぬ人も 恋しやいまも わが前に あるかとぞおもふ 窓へのあたり

竹田市の企画情報課の佐伯参事は「郷土史の書籍にこの歌に関する記述があったが、現物が見つかって嬉しい」と話していると言う。

26831 ※8/31の白蓮に関する記事。

実は私も白蓮の書を持っている。一つは寄せ書きの中に書かれた白蓮の書と短冊である、「寄せ書き」の方は、書かれた場所や催しから見て間違いのないものだが、短冊の方はどうも自信がない。いずれ短冊を専門家に見て貰いたいと思っている。

Photo ※昭和二十八年に熊本の柴垣隆邸(大凡荘)において行なわれた「宮崎滔天・民蔵・孫文追悼集会」の際に集った方々の約、襖(ふすま)一枚分もある寄せ書。左下の赤く囲った所が白蓮の書。宮崎竜介氏も書いている。

2 ※東京駅で浜口首相を撃った佐郷屋先生や、井上日昭、影山正治、中村武彦、鈴木善一といった戦前からの民族派の重鎮が一堂に会している。寄せ書きはその人たちのもの。

Photo_4 ※白蓮の短冊。余り自信がない。

天気も悪いので一日家にいた。夕食は冷蔵庫の在庫一掃セールのようになった。雨の音も肴に独酌。


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産経抄と新潮の差。

2014-09-01 23:57:08 | インポート

八月三十一日(日)晴れ。

寝ていたら、突然機関誌の校正が気になって目が覚めてしまった。時計を見ればまだ朝の三時半。ええぃままよ。と布団から出てパソコンに向かった。やはり気になっていたのは正解で、誤字脱字の山。冷や汗をかいた。

興味深い記事が、『産経』と『週刊新潮』にあった。両紙・誌とも一応反共、保守のスタンスを取っており、慰安婦問題での朝日追求の急先鋒でもあり、『週刊文春』とともに『新潮』は朝日新聞紙上での広告掲載を拒否された。何が興味深いかと言えば、NHKの籾井会長に関する記事である。籾井会長は、就任当時の記者会見において慰安婦問題に触れて「今のモラルでは悪い事だが、戦争地域ではどこにでもあった」とごく普通の発言をしたところ、朝日新聞の新藤某から上げ足を取られた。

こういった籾井会長の発言が気に食わないとNHKのOBが会長の罷免を求めて一五〇〇人もの署名が集まったらしい。産経抄によれば、この署名に関して記者会見を行ったのが元ディレクターの池田恵理子。彼女は「国際的にみたらとんでもない人が公共放送のトップにいる」と発言した。どこが「国際的にみてとんでもない」のか私にはさっぱり分からないが、この池田理恵子という女性は在職中から左翼の市民運動家として知られ、十三年前に昭和天皇に「有罪」判決を下した「女性国際戦犯法廷」に深く関わっていた女性であると暴露されている。署名した1500人のOBのオツムの色が分かろうと言うものだ。幽霊の正体を見たり枯れ左翼。か。

これに対して、慰安婦問題で朝日を追及している『新潮』は、九月四日号の「自分の壁」という特集において「OB1500人から『NO』を叫ばれたNHK『籾井会長』の明日」として、呼びかけ人の一人である元ディレクターの小滝一志という人の「今回の申し入れは15274人。簡単に無視できる数字ではないと思います」といったコメントを引用して、籾井会長の罷免の声を支持している。恐らく記事を書いた若い?記者の勉強不足だと思うが、かねてよりNHKの左傾化や昨今の慰安婦問題で朝日を追及している『新潮』にしてはピリッとしない記事である。NHKが未だに「慰安婦」の頭に「従軍」という用語を使用しているのは、OB1500人の「反日」の名残であることを知らなければならない。

籾井会長。せめて在職中に先の大戦が「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」であったと報道番組で徹底してほしい。それでこそ国営の放送局であると私は思うのだが。

六時前に布団に入って、深夜に起きてしまい明るくなるまで、沢木耕太郎の「キャパの十字架」(文藝春秋)を読んだ。


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機関誌の編集。

2014-09-01 13:39:06 | インポート

八月三十日(土)曇り。

六時に起床。朝食は昨日の残りのカレー。何だかんだと片づけを済ませてから、のんびりとコーヒーを飲んでからパソコンの前へ。メールのチェックやFB、「お気に入り」のブログの検索などしていると気が付けば十時過ぎ。慌てて事務所に行き機関誌の編集。

夕方までかかってようやく終了。デザインソフトの「イラストレーション」の「お試し期間」が過ぎてしまったので、「中刷り広告」のようなお知らせが出来ない。しかし「イラストレーター」などの編集ソフトは高すぎる。同じような機能を持った安いソフトがありましたらどなたか教えて下さい。

先日、VHSをブルーレイにダビングする方法が分からないと書いたら、どなたかがその方法をコメントで入れてくれた。有難うございます。機関誌の製作が終わったならば、早速やってみるつもり。

夕方、部活で学校へ行っていた子供と横浜駅で待ち合わせて「そごう」へ。夕食の肴の仕入れである。私は「カツオ」、家族にはカジキの切り身を買った。カジキは小麦粉をまぶしてからニンニクをオリーブオイルで炒めてから一択取出し、カジキを焼く。仕上げにはバターと醤油で味付け。これが結構美味い。のんびりとした土曜日だった。

Dcim0121 ※「そごう」の入口に「綾波」の等身大のフィギアが飾ってあった。ちなみに売り物で45万円。宝くじでも当たったら買うか。


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国松長官狙撃の特集が興味深かった。

2014-09-01 11:41:45 | インポート

八月二十九日(金)曇り。

二十九日の我が備忘録ではあるが、これを書いているのは九月の一日。早いもので(月が替わるたびにこの枕詞を書くが)もう九月である。昨日、テレビを見たら「国松長官狙撃事件」の特集を行っており、とても良くできた特集で思わず見入ってしまった。捜査線上に浮かんだのが、拳銃マニアで、警察官殺しや現金輸送車強盗で、現在岐阜刑務所に服役している中村泰という男。様々な証拠があったにも関わらず、結局は被疑者不詳のまま「オウムの犯行」ということで、時効を迎え迷宮入りしてしまった。

テレビを見ていると、その中村がアメリカに滞在していた時に、国松長官狙撃と同種のコルト・パイソンやホローポイントという特殊な銃弾。偽名で買った銃がガンショップで確認されたり、テレビでは中村が真犯人であると言う証拠を固めて行く。当然、警察の捜査班もそれらの証拠の裏取りをしていたのに違いないが、なぜ逮捕が出来なかったのか。証拠となる銃が発見できなかったこともあるが、中村に妄想癖があったことも原因ではないかと思っている。

中村泰は1956年に吉祥寺・山川巡査射殺事件を起こして逮捕され千葉刑務所に服役している。1976年に千葉刑務所を出所した中村は、2002年11月22日午前10時半頃、名古屋市西区のUFJ銀行押切支店で、支店に金を運びこもうとしていた現金輸送車に男が近づき突然発砲、現金約5000万円入りの袋を奪い逃走した。撃たれた警備員は重傷を負い、もう1人の警備員が男を追いかけ取り押さえた。この男こそ中村泰(当時72歳)であった。中村は2001年10月にも大阪市都島区の三井住友銀行都島支店の駐車場で現金輸送車を襲撃し、発砲により警備員の男性に重傷を負わせたうえ現金500万円が奪っていたことも発覚した。

中村は山川巡査殺しで無期懲役が確定し、1976年に千葉刑務所を出所した。彼が出所してから、現金輸送車襲撃事件を起こすまでの間のことはよく判っていない。ただ使用された拳銃などから、1988年4月に石川県金沢市で起こった金融業者射殺事件、95年に八王子市で起こったスーパーナンペイ3人射殺事件、また同じ年の国松長官狙撃事件などの関連について疑われた。2003年夏、警視庁は三重県内のアジトを家宅捜索し、大量の銃器、実弾を押収した。中村はこれについて「新右翼の故・野村秋介氏とともに『武装民兵組織』を結成する計画があり、そのための武器を集めていた」と供述した。(「吉祥寺・山川巡査射殺事件・中村泰」参照)。

実は、私は犯人であると名乗り出ている中村泰(現在無期で岐阜刑務所に収監中)のことで警察に事情聴取とマスコミから取材を受けたことがある。上記の「武装民兵計画」の件と「スーパー・ナンペイの射殺事件」に関してである。

中村は「山川巡査射殺事件」で千葉刑務所に服役中に当時「河野邸焼き討ち事件」にてやはり千葉刑務所に服役していた野村先生と会ったことは間違いないと思う。しかし彼が供述した「新右翼の故・野村秋介氏とともに『武装民兵組織』を結成する計画があり、そのための武器を集めていた」というのはありえない話である。野村先生の「獄中日記」にも彼の名前は出てこないし、出所後も野村先生と接触したと言う事実も、私が知る限りない。

中村が千葉刑務所を出所したのが昭和五十一年(一九七六)野村先生は、前年の昭和五十年に出所している。

千葉を出所後に野村先生らが起こした「経団連事件」(昭和五十二年三月三日)では、使用された散弾銃や拳銃の入手に苦労した話は私が幾度も聞いているし、決起の際の隊長であった伊藤好雄さんも、同じような証言をしている。もし当時、娑婆にいた中村と先生が接触があったなら、銃器の入手に苦労することはなかったに違いあるまい。

「スーパー・ナンペイ」の件は、捜査に行き詰まった警察が藁をもつかむ思いで私の所に来た感があった。もちろん中村の「武器庫」の件であったが、当然私はそんなことは一笑に付した。

長くなってしまったが、昨日の国松長官狙撃事件に関して、そんなことを思い出した。個人的には私は中村が実行犯であると思っている。大体、オウムのような素人集団に二十メートルも離れている動く標的に三発も命中させるなどと言うことが出来るのかどうかは、捜査当局が一番知っているのではないだろうか。かつて中村は在米中に国松長官を撃った同種の拳銃を入手しており、射撃場に通っていたことの裏付けは取れているのである。

夜は、中学、高校の同級生であるY氏のお世話で食事会。その後関内に転戦して帰宅。


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