The following one
be on the field ミ
F1 片山右京 経歴
F1の公式ページに 過去の日本人ドライバーの経歴紹介されてました
その中で最もGP出走回数が多かった片山右京を抜粋してみました。
誤訳は ご容赦を。
Ukyo Katayama 片山右京
Starts: 94 出走94
Points: 5 選手権ポイント 5
Ukyo Katayama spent six seasons in F1 and was classified in just 33 races,
片山右京は 6シーズンF1で過ごし 33レース完走しました
but that definitely doesn't tell the full story of an exciting talent.
しかし この結果は、まったく彼のエキサイティングな才能の全てを表す物では ありません。
His 1991 Japanese Formula 3000 title led to a promotion to the Venturi F1 team in 1992.
自身の1991年の全日本F3000のタイトルにより 1992年のベンチュリF1チーム入りが促進されました。
He clashed with team mate Bertrand Gachot a couple of times that season
and faced an agonising wait for World Championship points,
despite several electrifying performances for Tyrrell in 1993.
片山は、チームメートのベルトラント・がショーと何度か そのシーズンにクラッシュし
そして 1993年のティレルでの いくつかの感動的なパフォーマンスしました
それにも関わらす 選手権ポイント獲得を記録できない苦痛を味わいました。
Only in 1994 ,when he finished just four races for Tyrrell,
唯一1994に (彼はティレルでわずか4レースしか完走できなかったが)
did Katayama score points with best results of P5 in Brazil
and
San Marino
片山は、ブラジルとサンマリノで最高位となる5位でポイントを
獲得しました。
(points were only paid out to the top six finishers in those days).
(そのころのポイントは、たった上位6台にしか付与されなかったのだが)
**San Marino;この年のサンマリノごではセナ、ラッツエンバーガー
の2人のドライバーが他界し、悲劇のレースとなる
His following F1 results were unremarkable,
彼の残したF1での結果は驚くべきものでは ありません
but
しかし
Katayama survived not only an awful crash at the start of the 1995 Portuguese Grand Prix;
片山、1995年のポルトガルGPのスタートでのクラッシを生還しただけでなく
he was diagnosed with cancer in 1994,
and only revealed the diagnosis after bowing out of F1 in 1997.
彼は1994年に癌と診断され、1997年のF1引退の後 その診断を表明したのです
After F1,
F1を引退した後も
clearly still loving an on-the-edge challenge,
チャレンジの最前線に居ることを愛してやみません
he turned his attention to mountain climbing,
彼は、挑戦を登山に向け
and
そして
now in his late 50s has climbed six of the so-called 'Seven Summits'
- the highest mountains of each of the seven continents
(including Mont Blanc and Denali).
現在 50代後半の片山は、”7つの頂”(世界の7大陸の最高峰)と呼ばれる内の
6つに登頂している。
【 ブログ筆者 感想 】
片山右京 記録より記憶に残る典型なドライバー。
95レース走って 入賞2回だもんな。
でも 記録には残っていないが 94年後半は ほんとに速くて
日本人初ポールも夢じゃない!って思ったほど。
シーズンオフには当時チャンピオンチームのベネトンからオファーが
あった!とか なかったとか・・・
現在 ミロク情報システムのCMで社長風の役で登場し 棒な演技が微笑ましい。
( ↑ 株式会社ukyoモータースのCEO設定だそうだ 笑)