こちらのブログに来て頂いた方には左に貼っている写真でバレバレの、私のアイドルのひとり、イヴ・サンローランの映画をやっと見て参りました。
ELLE japonより
左のバナーの方は、2010年のドキュメンタリーで、イヴ本人の映像をパートナーのベルジェの語りで繋いだ作品。→公式
今日見たのは、2013年の、主演ピエール・ニネを初めとする俳優の演技による作品。→公式
あらすじなどの紹介はリンク先でご覧になっていただくとして、こちらでは個人的な感想にします。
左:ご当人達
右:ピエール・ニネとギョーム・ガリエンヌ
ふたつの映画に共通するのは(記憶では)イヴの死後、イヴとベルジェの収集した美術品を競売にかけるために、コレクションの数々が業者によって梱包(クリスティーズのロゴが入ってた)されて家から運び出されるシーンで始まることだ。ベルジェにとってはふたりの世界そのものだろうに、「ふたりで愛した物をひとりで愛することはできない」のだと。もうここから私の目はウルウルしっぱなしであった。このコレクションの落札額は、メゾン・ド・ミュゼ・モンドによれば、「小さな国の国家予算に匹敵する金額」と言われるほどのものだった。でもイヴの魂と肉体なしでは、イヴに出会う前から芸術のパトロンだった彼にとっても意味のないものだったのだ・・・
新作の成功は、そのベルジェに公認されたこと、彼が経営しイヴの作品のアーカイヴを保存する財団からオリジナルを借りて撮影できたことが大きいと思う。YSLを愛してるフランスの上流階級と世界のファッショニスタという恐ーい人種も本物には黙る。
それが実現できたいきさつがfashionsnapに書いてあって興味深かった。監督がベルジェに許可を求めて会った時のこと『ピエール・ベルジェとイヴ・サンローランは2人とも上流階級ではなくミドルクラスから成功を収めることが出来た人物で、会話の中でまさに主人公が社会的成功を収めるというジャック・ロンドンの「 マーティン・イーデン」という小説のことを話題に出したところ「君はイヴ・サンローランを理解しているね」と仰って頂いて、公認映画として許可していただいたんです。』
フランスは、王様をギロチンにかけた共和国のくせに、今でも階級の差が大きい。イヴがディオールのアシスタントになった50年代~独立した60年代のファッションデザイナーとは富裕層が顧客のオートクチュールが世界のすべてだった。あの時代はディオール自身も、ファッション誌の編集者も、彼らに話をするデザイナーの宣伝担当も富裕層出身が多い。席は縁故者にしかない。そんな世界でふたりが実力だけで生きて来たことは、あまり語る人はいない。私もこの記事のベルジェ氏のこの言葉が初めてだ。
だから、イヴが66年にプレタポルテのブティックをリブゴーシュ(左岸=上流階級の場所ではない)にオープンしたことも意味が大きい。当時のファッショニスタにとっては「安物のつるし」だけれど、庶民にとっては「高いけど頑張れば買える値段」のデザイナーの店だった。私達庶民が現在ドア付近に透明のバリアを感じる銀座やパリのサントノレ、ロンドンのボンドストリートの洋服屋さんはちなみにプレタポルテだ。今はレディ・トゥ・ウエアと呼ぶようになったが。
繊細なイヴは仕事のプレッシャーから酒、ドラッグ、セックスに逃避した。60~70年代という時代背景と環境から想像できる。しかし愛人をカール・ラガーフェルドと共有していたのには驚いた。映画の冒頭からカール様は登場するので、まず同時代に行きていたふたりなんだ、ってことに改めて気づいた。調べたらこのふたり、デザインコンテストでの受賞も同期だった。イヴは内気で自分を追い込み2002年に引退、かたやカールはシャネルをはじめ一時期5つのメゾンをデザインしていた現役の帝王だ。同じゲイだし、同じ世界にいてもおかしくないのに、ふたりが友人だとか聞いたこともなかったのにはそんなわけがあったのか・・・そして余計なお世話だけど、この映画で一番文句を言いたいのはその愛人、ファッション界の帝王ふたりを文字通り股にかけてた(ひゃ、オヤジギャグ)のに、どこが魅力なのかさっぱり私には理解できなかった。イヴをして「彼はエレガント」って言わせたのに、どこの馬の骨かと思った私にはまだまだエレガント修行が足りない。
さて、今日の有楽町の角川シネマは、私よりもお姉様の客層でいっぱいでした。たぶん60~70年代のリアルタイムファンなのでしょうね♡私は正直言って、今では「私のアイドル」とまで思ってるけど好きになったのは随分後でした。60年代の映画は前から好きだったけれど、大好きなドヌーヴの「昼顔」の衣装がYSLだと気づいたのが遅かった。でもイヴに関する本を読んで、彼のことを知れば知るほど惹かれてしまい・・・凡人の天才への憧れでしょうね。
あとイヴの話にいつもセンチメンタルに反応してしまうのは、私が以前働いてたデザイナーさんも、ゲイで気分の浮き沈みが激しい人だったことを思い出すからです。ベルジェ氏のイヴへの献身を今日も見て、私も私なりにデザイナーのことを尊敬して愛していたのだけれど、自分のキャリアを考えてインポートの仕事へ転職してしまったことが悔やまれる。後に彼が病で亡くなったと知って私のせいで亡くなったのではなくても、なんとなく。
そうそう、イヴの引退後は、トム・フォードやデザインチームがしばらくデザインしていましたが、現在はエディ・スリマンが「サンローラン・パリ」と名前も新たにデザインしていて、エディのファンでもある私には大変嬉しいです。エディもエレガントでありながら革新的、収まるところに収まった感じがして、めでたし、めでたし。
著名人によるこの映画の感想が公式から飛ぶフェイスブックに載っているのだけれど、当時からファッションの現場にいた人(デザイナー、ジャーナリスト、編集者)ほど、具体的な言葉にならないのが印象的でした。イヴが一時期のファッション界そのものだったから、それを今切り取って残すということは、自分自身の一部が過去に埋葬されたような喪失感を引き起こしたのかもしれません。
そうだ、忘れてた、イヴ役のピエール・ニネにツイッターで声をかけたらThanks!とお返事いただけたのも嬉しかったです!今みたら、英語が間違ってるじゃないですか。forward にtoがないよ?!ボー・ギャルソンに文字打って緊張してたのね・・・(緊張しなくても間違えるけど・・・)
ELLE japonより
左のバナーの方は、2010年のドキュメンタリーで、イヴ本人の映像をパートナーのベルジェの語りで繋いだ作品。→公式
今日見たのは、2013年の、主演ピエール・ニネを初めとする俳優の演技による作品。→公式
あらすじなどの紹介はリンク先でご覧になっていただくとして、こちらでは個人的な感想にします。
左:ご当人達
右:ピエール・ニネとギョーム・ガリエンヌ
ふたつの映画に共通するのは(記憶では)イヴの死後、イヴとベルジェの収集した美術品を競売にかけるために、コレクションの数々が業者によって梱包(クリスティーズのロゴが入ってた)されて家から運び出されるシーンで始まることだ。ベルジェにとってはふたりの世界そのものだろうに、「ふたりで愛した物をひとりで愛することはできない」のだと。もうここから私の目はウルウルしっぱなしであった。このコレクションの落札額は、メゾン・ド・ミュゼ・モンドによれば、「小さな国の国家予算に匹敵する金額」と言われるほどのものだった。でもイヴの魂と肉体なしでは、イヴに出会う前から芸術のパトロンだった彼にとっても意味のないものだったのだ・・・
新作の成功は、そのベルジェに公認されたこと、彼が経営しイヴの作品のアーカイヴを保存する財団からオリジナルを借りて撮影できたことが大きいと思う。YSLを愛してるフランスの上流階級と世界のファッショニスタという恐ーい人種も本物には黙る。
それが実現できたいきさつがfashionsnapに書いてあって興味深かった。監督がベルジェに許可を求めて会った時のこと『ピエール・ベルジェとイヴ・サンローランは2人とも上流階級ではなくミドルクラスから成功を収めることが出来た人物で、会話の中でまさに主人公が社会的成功を収めるというジャック・ロンドンの「 マーティン・イーデン」という小説のことを話題に出したところ「君はイヴ・サンローランを理解しているね」と仰って頂いて、公認映画として許可していただいたんです。』
フランスは、王様をギロチンにかけた共和国のくせに、今でも階級の差が大きい。イヴがディオールのアシスタントになった50年代~独立した60年代のファッションデザイナーとは富裕層が顧客のオートクチュールが世界のすべてだった。あの時代はディオール自身も、ファッション誌の編集者も、彼らに話をするデザイナーの宣伝担当も富裕層出身が多い。席は縁故者にしかない。そんな世界でふたりが実力だけで生きて来たことは、あまり語る人はいない。私もこの記事のベルジェ氏のこの言葉が初めてだ。
だから、イヴが66年にプレタポルテのブティックをリブゴーシュ(左岸=上流階級の場所ではない)にオープンしたことも意味が大きい。当時のファッショニスタにとっては「安物のつるし」だけれど、庶民にとっては「高いけど頑張れば買える値段」のデザイナーの店だった。私達庶民が現在ドア付近に透明のバリアを感じる銀座やパリのサントノレ、ロンドンのボンドストリートの洋服屋さんはちなみにプレタポルテだ。今はレディ・トゥ・ウエアと呼ぶようになったが。
繊細なイヴは仕事のプレッシャーから酒、ドラッグ、セックスに逃避した。60~70年代という時代背景と環境から想像できる。しかし愛人をカール・ラガーフェルドと共有していたのには驚いた。映画の冒頭からカール様は登場するので、まず同時代に行きていたふたりなんだ、ってことに改めて気づいた。調べたらこのふたり、デザインコンテストでの受賞も同期だった。イヴは内気で自分を追い込み2002年に引退、かたやカールはシャネルをはじめ一時期5つのメゾンをデザインしていた現役の帝王だ。同じゲイだし、同じ世界にいてもおかしくないのに、ふたりが友人だとか聞いたこともなかったのにはそんなわけがあったのか・・・そして余計なお世話だけど、この映画で一番文句を言いたいのはその愛人、ファッション界の帝王ふたりを文字通り股にかけてた(ひゃ、オヤジギャグ)のに、どこが魅力なのかさっぱり私には理解できなかった。イヴをして「彼はエレガント」って言わせたのに、どこの馬の骨かと思った私にはまだまだエレガント修行が足りない。
さて、今日の有楽町の角川シネマは、私よりもお姉様の客層でいっぱいでした。たぶん60~70年代のリアルタイムファンなのでしょうね♡私は正直言って、今では「私のアイドル」とまで思ってるけど好きになったのは随分後でした。60年代の映画は前から好きだったけれど、大好きなドヌーヴの「昼顔」の衣装がYSLだと気づいたのが遅かった。でもイヴに関する本を読んで、彼のことを知れば知るほど惹かれてしまい・・・凡人の天才への憧れでしょうね。
あとイヴの話にいつもセンチメンタルに反応してしまうのは、私が以前働いてたデザイナーさんも、ゲイで気分の浮き沈みが激しい人だったことを思い出すからです。ベルジェ氏のイヴへの献身を今日も見て、私も私なりにデザイナーのことを尊敬して愛していたのだけれど、自分のキャリアを考えてインポートの仕事へ転職してしまったことが悔やまれる。後に彼が病で亡くなったと知って私のせいで亡くなったのではなくても、なんとなく。
そうそう、イヴの引退後は、トム・フォードやデザインチームがしばらくデザインしていましたが、現在はエディ・スリマンが「サンローラン・パリ」と名前も新たにデザインしていて、エディのファンでもある私には大変嬉しいです。エディもエレガントでありながら革新的、収まるところに収まった感じがして、めでたし、めでたし。
著名人によるこの映画の感想が公式から飛ぶフェイスブックに載っているのだけれど、当時からファッションの現場にいた人(デザイナー、ジャーナリスト、編集者)ほど、具体的な言葉にならないのが印象的でした。イヴが一時期のファッション界そのものだったから、それを今切り取って残すということは、自分自身の一部が過去に埋葬されたような喪失感を引き起こしたのかもしれません。
そうだ、忘れてた、イヴ役のピエール・ニネにツイッターで声をかけたらThanks!とお返事いただけたのも嬉しかったです!今みたら、英語が間違ってるじゃないですか。forward にtoがないよ?!ボー・ギャルソンに文字打って緊張してたのね・・・(緊張しなくても間違えるけど・・・)