近頃、書こうかな、とウズウズしていたことがあります。
それが、「ATSUKI ONISHI」のこと。
ポスター
ところでアツキオオニシと言ってもご存知ない方々も多いでしょう。
今の「森ガール」の大先輩=80年代の「オリーブ少女」に大人気だった
デザイナー・ブランドです。
私がデザイナー・大西厚樹さんのスタッフとして働いていたのは、
1990~1999年のどっぷり90年代のことです。
その前に数年ショップ・スタッフとして働いていまして、
お仕事を辞めてロンドンに住んでいた1989~1990年に、
やはりロンドンに滞在していた大西さんと会って
まだ出戻ってしまい、合計約15年も勤めていたことになります!?
私が大西さんのもとを離れてからも、
大西さんはデザイン活動を1年くらいされていたのですが、
2002年か2003年・・・
ああ、すみません、記憶がどうしてもハッキリしないけど、
もと上司から「大西さんが亡くなった」というお知らせが
またロンドンに住んでいた私に届きました。
(なんか、重要なことはいつもロンドンで・・・)
大西さんのこと、ネットで探しても
なにせ活躍していた時代には、ネットは存在していませんでしたし、
亡くなったニュースは公式発表されていませんので、
彼については生存すら謎のままとなっているのが現状のようです。
その後も、いくつかのライセンス商品=
バッグ、ハンカチ、寝具などが生産/販売し続けられているようですが
今現在、フォーマル・ウエアが展開されていることは確かなようです。
公式HPよりブランドイメージ
「アツキオオニシ ノワール」がブランド名。
こちらのロゴは、私が働いていた時代と同じものに、「NOIR」がついています。
こちらのフォーマルブランドは、現在進行形ですから、
きょう見つけた時は、
1999年以来、いきなりタイム・スリップ、雪崩のようなショックでした。
いえ、調べてない私がいけないんですけど、
なにせ情報がほとんどない・・・伝わって来ない現状ですので、
じゃあ、私が、15年くらいおつき合いのあった私めが、
大西さんのことを細々と書いても、罰が当たらないかな・・・??
と思ったしだいです。
それが、「ATSUKI ONISHI」のこと。
ポスター
ところでアツキオオニシと言ってもご存知ない方々も多いでしょう。
今の「森ガール」の大先輩=80年代の「オリーブ少女」に大人気だった
デザイナー・ブランドです。
私がデザイナー・大西厚樹さんのスタッフとして働いていたのは、
1990~1999年のどっぷり90年代のことです。
その前に数年ショップ・スタッフとして働いていまして、
お仕事を辞めてロンドンに住んでいた1989~1990年に、
やはりロンドンに滞在していた大西さんと会って
まだ出戻ってしまい、合計約15年も勤めていたことになります!?
私が大西さんのもとを離れてからも、
大西さんはデザイン活動を1年くらいされていたのですが、
2002年か2003年・・・
ああ、すみません、記憶がどうしてもハッキリしないけど、
もと上司から「大西さんが亡くなった」というお知らせが
またロンドンに住んでいた私に届きました。
(なんか、重要なことはいつもロンドンで・・・)
大西さんのこと、ネットで探しても
なにせ活躍していた時代には、ネットは存在していませんでしたし、
亡くなったニュースは公式発表されていませんので、
彼については生存すら謎のままとなっているのが現状のようです。
その後も、いくつかのライセンス商品=
バッグ、ハンカチ、寝具などが生産/販売し続けられているようですが
今現在、フォーマル・ウエアが展開されていることは確かなようです。
公式HPよりブランドイメージ
「アツキオオニシ ノワール」がブランド名。
こちらのロゴは、私が働いていた時代と同じものに、「NOIR」がついています。
こちらのフォーマルブランドは、現在進行形ですから、
きょう見つけた時は、
1999年以来、いきなりタイム・スリップ、雪崩のようなショックでした。
いえ、調べてない私がいけないんですけど、
なにせ情報がほとんどない・・・伝わって来ない現状ですので、
じゃあ、私が、15年くらいおつき合いのあった私めが、
大西さんのことを細々と書いても、罰が当たらないかな・・・??
と思ったしだいです。
私も就職活動の時に、興味があって何件か大手のアパレル回った
のですが、
なんとなく、どこも私がその社風に合わない気がして
結局やめたんです。
そういうのってやっぱり縁かなと思ったり。
アパレルの世界って厳しいって聞くので
Yumiさんがそちらに長く勤められていたってことは
Yumiさんに合っていて、良い会社だったんでしょうね♪
カッコよくて、うらやましいです^^
あ、お仕事は縁、っていうの、ありますよね! 私もたまたま大西さんとの相性が良かったのでいられたのだと思う。その後も転職活動で何社も面接に行ったけれど、やはりお互いにピンと来なくて、決まったところは、やはり変わり者の課長がいる会社だった。。。
その昔はアパレルもオシャレなイメージだったけれど、その実ハードなガテン系の仕事というのは昨今は明るみに出てるよね・・・
かっこよくはないけど、でも今でも服は好きです。
大西さんは赤穂市近くに出身で私の父親の知人が大西さんと同級生だったと言ってました。言っていいんだか分からないけど「変わり者だった」と言ってました。
大西さんの洋服は可愛いけど私には似合わないで買ったことないんですけど、「オリーブ」や「装苑」って雑誌でも見かけた気がします。
本当にお亡くなりに成ったんですか?もしそうなら御冥福をお祈りします。
わざわざコメントありがとうございます。本当に感謝です。
お知り合いが大西さんの同級生ですか?!まあ、何と!
大西さんは私が一緒に働いていた時も「変わり者」ではありました。色々な意味で。自分の名を出して創作活動する人には多いですよね。怒られると恐かったけど、他人への気配りも誰よりもする方でした。そして楽しい人でした。その変わり様は会社の部下の間でもよく話題になって、みんなに愛されていたと思います。
大西さんの作る服は、オリーブに出ていた時は、半端じゃなく派手でかわいらしかったので、人気があった反面、そのイメージが先行して誰にでも着やすいお洋服もあったけどそういうのは知られてなかったかもしれません。
大西さんの知らせを聞いた時、私は外国に住んでいましたが、元会社の人が大西さんのために集まる会をもうけてくれたので、一時帰国して大西さんを知る人達に会いました。葬儀などはごく内輪の家族のみで執り行われたそうなので仕事関係の人は出席しなかったとのことです。
まだ50歳前後の若さで、残念で、そして寂しいです。
私の人生に随分関わってくださった人です。
お祈りしてくださり、私が言うことではないですが、ありがたいです。
もう40代なので、大西さんがかつてデザインされたような洋服は到底着ることができませんが、そのエッセンスが少しでも感じられる、ロマンのある洋服を着たいなあ、と思い、ネットで検索したりしています。
大西さんが亡くなられたとのことで、ショックです。
でもこのようなブログを読むことができ、よかったです。ありがとうございました。
80年代の大西サンの作品をご存知でお好きだった方に
ブログを読んでいただけて嬉しいです!
私も1ファンとして同志のような気持ちです。
そうですね、当時のオリーブ少女には手が届きにくかったですね~
頑張ってアルバイト代をためて買うような感じでした。
でもお洋服は、雑誌に出ていたのは誌面映えするものが主ですし
あと普通っぽいのは掲載されていても読者も見落としてしまうというか・・
とにかく目立つお洋服しか売ってないイメージもありましたが、
そんなこともなく、大西サンのエッセンスが少し入ったちょっとかわいい
もの、というものたくさんあったんですよ♪
もう今では過去形での話になってしまうのは悲しいですけれど、
こうして好きだったなあと噂をすれば、
どこかで大西さんが聞きつけて喜んでくれているかもしれません。
そう思ってブログに公開しました。
わざわざコメントを書いて下さり、どうもありがとうございます。
よろしければ、左の「記事カテゴリ」欄の「大西厚樹」に他の思い出も
書いてありますのでお時間ある時にでもお読み下さい。
オリーブの「危険なことしたい」特集は記憶にありますよ~
確か、初めての夜遊びとか、あった気がします・・・
オリーブに載っているブランドの洋服をいつか買いたい、といつも思っていました。
高校入学で頂いたお祝いで、綿の茶色(亜麻色?)のクラシックなワンピースを買いました。一つ目小僧というブランドです。(すごい名前だ)
可愛いけど、着ていく場所があまりなくて、そんなに着ませんでした。
でもものすごく思い出に残っているんです。
大西さんに関係のない話ですみません。
あの頃の「危険なこと」はかわいかった・・・・
かと言って、今の中学生に
「危険なこと」って聞いて何が思い浮かぶ?と聞く勇気もありませんw
「一つ目小僧」ってほんとです、今改めて聞くと不思議なっっw
ブランド名覚えてます。平成ブランドの前のジェネレーションですね!
昔の方が服の値段が高かったですよね。
今も高いお洋服もあるけど、安くてかわいいのも増えました。
お洋服屋さんにとっては過当競争激しく厳しい世の中になりました。
大西サンの記事を読んでくださってどうもありがとうございます♪
高校生には高いお洋服だったと思いますが、ご理解のあるご両親で
羨ましいです。
ツイードものや、ウール地のプリントものが可愛かったですよね~。
その頃私はショップで働いていましたよ。マルイのファッション館にも
お店がありまして、そちらの方で。ヤング館でも働いたことあるんですが
もっと後でした。
つい最近、懐かしくてオークションでA.O.のコートを買ってみたんですが
80年代~90年代初期のもので肩やアームホールが大きくて
今のシルエットとだいぶ違いました。でもしばらく持っていようと思います。^^
当時、自分は田舎のBIGIグループのショップでスタッフとして働いていました。
ショップのオーナーと大西さんが懇意にしてみえて、アパレルに興味があった自分を大西さんに紹介していただいた思い出があります。
その後、展示会で上京した際にご自宅やオフィスに招いていただいて、恵比寿あたりの家庭的で美味しいイタリアンのお店でご馳走になり、駅まで見送っていただいた思い出があります。
いつもワンちゃんを連れてみえたり、当時乗ってみえたブルーのメルセデスが今でも印象にのこっています。
お会いさせてもらったのは一度だけでしたが、大西さんの繊細な美学や優しさを知るには充分すぎる貴重な経験でした。
お亡くなりになったと聞いてショックですが、いただいた思い出を大切にしたいと思いました。
金子さんがデザインされた秋冬だったかの赤いイメージのポスターがつい最近まで部屋に飾ってあったので懐かしくては探していました。
こちらの記事に出会えたことを感謝します。ありがとうございます
無礼だなんてとんでもありません。
なんと大西さん界隈で働いておられたのですか?!
大西さんの当時のお家もご覧になったのですね。
素敵な住まいでしたよね。
私もロンドンにいた時代(1989-1990年)をのぞき展示会には
行ってますので、Y.Iさんにお会いしていたのではないでしょうか?!
はい、大西さんは地方のショップで売って下さっていた方々を
とても大切にしてました。特に個人で店舗を経営してらした方々は
情熱的にビジネスをし、取り扱うブランドにも愛をこめて下さっていたことを
よく感じておられたと思います。
私も地方のショップに大西さんと一緒に、または単独で
会社から出張に行かせてもらった時は皆さんの熱い想いを感じたものです。
大西さんも気持ちの熱い人でしたので、私達の心にこうして強く
残るものがあるのですよね。
ブログに大西さんのことを書くのをためらったのですが、
あまりにもネット検索しても出て来ないので、
大西さんの存在を誰も伝えてくれてないような気がして寂しくなり
勇気を出して書いたおかげで、こうして思い出を共有でき、感謝です。
そんななか、あのDCブランドの黄金期だった輝かしい時代の大切な思い出を、こうしてお話させていただけた事に感謝します。
良かったらまたお邪魔させてください。
最近はあまり大西厚樹について新しいことも書いてないので申し訳ありませんが、左のカテゴリー欄からいくつか過去記事が出て来ますので
よろしかったら私の思い出を読んでやってください・・・^^
本当に貴重な記事をありがとうございます。
こちらにお邪魔したきっかけで大西さんの死を知り、色々な思いがこみあげて、今日は大西さんを知る友人とも話してきました。
多くは語れませんでしたが、大西さんの人柄や置かれていた境遇、また思い出話も聞いてきました。
僕の心にもまた、目黒だったかにあったあのお洒落なマンションの光景が昨日の事のように蘇りました。
大西さんはアンティークもお好きでしたけど、ポップで可愛い物もお好きでしたよね!?
確かお部屋にあった、着信があるとダイアルの所がクルクルと光る電話を
『可愛いでしょ!!』って嬉しそうにおっしゃってました。
また大西さんに想いがいった時には、是非ここに立ち寄らせて下さい。
ありがとうございます。
私も久しぶりに自分で読み返してみたらちょっと疲れました^^;;
お知り合いの方と大西さんのお話もされたそうで、何よりです。
亡くなった方の話だとどうしても過去のことばかりになってしまうのが
ちょっと辛くもあるのですが、だからと言って、あれだけの功績を残した
大西さんのことが世の中から忘れられてしまうのはもっと辛いです。
でもこうして、大西さんを慕う方と連絡をとることができただけでも
幸せなことだと思います。
コメントをくださってどうもありがとうございます。
最近「80年代の乙女チック図鑑」なる出版を見かけました。
大西さんのお洋服もそんな感じで新しく取り上げられたら嬉しいですね。
他のブランドとは全然違う可愛さで今でも忘れられない。
あんなのあったら即かっちゃうのにな・・・
色が赤とか大好きで、デザインもすごーーくかわいい。
キャトルセゾンの服着たいな~
あんなかわいい服の作れるデザイナー正直私の中ではいません。
とてもショックです。。
「キャトルセゾン」時代からご存知の方に見ていただいたとは、恐縮です。
大西さんのご自身ブランドの第一号がそれですよね。
その頃のお洋服をお持ちとは。大変貴重なお品物です。
私はATSUKI ONISHIからしか知らないんですよ。
資料としては存じておりますけれども・・・
ホント、あの頃の大西さんの服のかわいさは他にはないものでした。
だから就職の時に希望したんです。
その年ビギ・グループの採用希望者で希望者が一番多かったブランドだったそうです。
こうして私達が大西さんの話をしていることを天国で喜んでいるかな。。。
ブログにお越しいただきありがとうございます。
ATSUKI ONISHI SLEEPINGのパジャマを愛用されてるのですね。
私も職業柄お洋服は常にシーズンごとに必要だったので
古い服はほとんど処分してしまい、時々オークションでまた買ったりしているんですよ。(笑)
一緒に大西さんのことを考えてお祈りしましょう。
WE ♡ATSUKI ONISHI
きっと空で喜ばれていることでしょう。
大好きなブランドでしたので
大西さんが亡くなられたのはショックです。
知らずにいて残念です。
大好きなデザイナーさんでした♪
ええ、意味ありますよ~
大西さんのお洋服を好きな人が大西さんのことを語ってるのを
ご本人はお空の上で喜んでくださってるのじゃないでしょうか^^
ポケットに入れたのはパピヨンの華ちゃんですね!
初心者が根性だけで挑んだ故、袖が重くなっちゃって、肩の部分が伸びるし、袖自体もだんだん長くなるし。着ていると肩が凝りました。でも、着るより、完成品を眺めて、「メアリーポピンズの時代の煙突掃除の子供の気もち」を想像するのが好きでした。
今でも、タンスに入ってます。
私は編み物が大の苦手で何も作れたことはありませんので、
メアリーポピンズのカーディガンを完成できたことはすばらしいです!
大西さんはもともとニット出身のデザイナーなのでニットアイテムが
得意でした。が、私は編めません・・・
でも大西さんのコレクションで映画メリーポピンズの歌を初めて聞いたのでした。それを今英国俳優さん達が歌ってるのを聞くと感慨深いです!!
しましまさんが帰国間際の大西さんにいただいた「紅茶とビスケット」「封を開けたビスケット」、どんなビスケットだったのですか?覚えてらしたら、軽くお教えください。変な質問ですみません。私はなぜか菓子パンとビスケットの類に異様に興味があるのです。
地方都市でファッションとは無縁に育った(中学・高校時代は、制服とジャージでこと足りる生活でした。)私と、デザイナーズ・ブランドのプレスとして活躍されたしましまさん、実生活はかけ離れているのに、こうして興味や感動を分かち合えるなんて、不思議です。インターネットのおかげですね。
でも、ゆるやかな必然、って気もしてきます。
私も中学、高校は地方都市生活でしたし、制服とジャージと
私服はロンドンのミュージシャンを自己流に真似た変な服でした。
今と違って地方はオサレに時差がありましたっけ。
ビスケットは・・・はっきりは覚えてないんですが、
とても普通の、日本ので言ったら森永チョイスみたいなのか、
ショートブレッドのどちらかだったと思います。
ふふふ、私もビスケットと菓子パンには目がありません・・・w
私服の高校でしたが、AOらしい可愛いデザインは小物にとどめ、ピンストライプのプリーツスカートなど比較的ベーシックなものを購入していましたよ。
でもネーム入りリボンは結構買いまして、未だ大切に保管しています。
ライセンスのハンカチもありましたよね?そちらもどこかに保管しています。西川寝具とのコラボのスリーピング商品も大好きでした。
可愛らしいだけではない絶妙なバランスが金子國義さんの絵と相まって、本当に素敵で、今はなかなかない雰囲気ですよね。
こうして大西さんのこと、知られる、思い出す機会をありがとうございました!
「ネーム入りリボン」ずっと忘れていたのですが、そういうのがあったような!
特別派手なデザインではなくても、品のあるセンスのいい商品もたくさんありましたよね!
販売員をやっていた時、美少女の同期の人達が派手なアイテムを着て店頭に立っていたのを横目に、人並みの容姿の私はわりと地味目なアイテムをいかにセンスよく着るか頑張った思い出があります。
ライセンス商品でも大西さんご存命の時はちゃんとライセンス会社の企画担当者がいらして打ち合わせの末にデザインが決まったので、独特の大西さんらしいかわいさがあったのだと思います。西川寝具さんもかなりの予算をかけて展示会などを行ってくれました。
私も、青春時代をatsukiファンで過ごし、ショップスタッフになった1人です。
そしてたぶん、投稿者さんは 私の尊敬すべき先輩であると思います。
つい最近、大西先生が亡くなられた事を知り 今更色々知りたくなって、ネットで検索していたらここにたどり着きました。
これも、何かのご縁ですね。
大西先生のお導きでしょうか?
とても、感慨深い出来事でした。
ショップスタッフだったころから過ぎた年月を考えると
もはや「はっはっは・・・!」と笑いさえこみ上げます^^
大西さんのことが公表されないため、
かつてのスタッフさえ戸惑いますよね。
せめて、大西さんの服を愛してた人が事実を知り、
大西さんの残した功績に思いを寄せるチャンスが欲しいと思って書きました。
ショップにいたころはみんなまだ若くて、あのころのお洋服にかける情熱は
今のファッション状況からは想像もつかないくらいでしたね。
大西さんの服は華やかだったけれど、スタッフはみんな真面目に
頑張っていましたよね~
今はあまりお洋服のことを書かないブロガーになってて恥ずかしいですけど、
こうして言葉をかわせてよかったです。
大西さんがお空で喜んでくれているといいね。
古いお洋服を処分との事、つまりごく最近まで大西さんのお洋服を保存して下さっていらしたのですね。嬉しいです。最近は安価なファストファッションが人気で、私も買っていますが、大西さんの服は高かったけどそれだけに安易に手放せないものでしたね。時代は変わりますが、愛情が長続きする物との出会いがあったのは大切な経験ですね。
言われてみれば、私の娘も大きくなって今や服を共有しています。
80~90年代の国産のお洋服はデザイン、質ともにいいものでした。
時代が変わってしまいましたが、いい体験をできた世代だったのでしょうかね。
転職をして心の余裕がなくて見逃してしまいました。失礼いたしました。
10年以上販売を・・・ではきっとお互いに顔見知りでは・・・?!
大好きなお洋服のお仕事ができて楽しかったですね。
今、初めての業界で慣れなくて心からそう思います^^;
今よりもファッションがロマンチックな時代でした。
そんな中で大西さんの服はひときわロマンチックでしたね。
はい、ちょっと前に書いたかな・・・と思っていたら、
今見たら6年も経っておりました。
オリーブ、キャトルセゾン、ATSUKI ONISHIの夢のような可愛さ、
外国ぽいファッションやライフスタイルへの憧れと一緒になって
バイブルのようでした。同じお気持ち共有できて嬉しいですね。
そうですね、大西さんは生きていたら68歳。かわいいおじいさんに
なってたでしょうが、一方で亡くなった時から歳はとってないと考えれば
ずっと若くて喜んでいるかもしれませんよ。
最近は1980年代が過去の時代としてまた注目浴びることも多いので
世間の人がまた思い出してくれたらいちファンとして嬉しいです。
そして大西さんの功績がちゃんと公式に後生に残って欲しいと思います。
>>何度か検索してはこちらにたどり着いては大西先生の情報の少なさに驚いて
そうなんです。私が大西さんのことを個人的に書いたのもまさにそれが理由です。
ちょうど大西さんが私の働いていた企業での契約をしなくなった時が、
ファッションブランドも軒並み公式ホームページを立ち上げた時代でした。
その少し前にデジカメが普及し始めてファッション写真もデジタルになったばかり。
大西さんが活躍していた時はネット社会の夜明け寸前だったのです。
お洋服や販促物をまだ保管していらっしゃるとのこと、
大西さん喜んでますね、きっと!
中嶋朋子さんのanan撮影は私も参加しました。懐かしいです〜〜
確か、デニムと白レースを組み合わせていたかな・・・
今では資料はすべてデジタル保管ですけどあの時代は紙と写真のポジフィルムでの保存。
私が大西さんのブランドを持ってた会社を退社した時には、
雑誌掲載のスクラップやカタログなどの販促物を整理して箱に詰めましたが
あれは一体まだこの世に存在しているかわかりません。
誰かが保存してたら公開していただきたいですね。
お忙しいのにお返事いただけて感激しております!
しましまさんはやはりプレス担当でらっしゃったのですね。販売員に憧れていた私から見たら雲の上の人です。そんなお方にお返事いただけて幸せです。
当時、大西先生と下迫先生(powder)のお洋服が好きすぎて販売員になるのが夢でした。大きなデパートの最終セールのバイトとしてBMDに潜り込んだこともありました(笑)
お偉いさんから痩せろ!とお叱りをいただきましたけど…(笑)
あの頃のお洋服はシルエットやイメージを大切にしているのでワンサイズしかなくて服に身体を合わせろ!でしたもんね。少々(いやもっと)太めだったので2000年頃にはサイズのあるファストファッションに好みが移行してA.O.のことも忘れていってしまっていました。
実家に行くと山のようにA.Oのお洋服やカタログがあって、もう着ないと思って最近2~3着処分してしまったのですがこれだけ大西先生の功績が
残っていないのを見ると処分するんじゃなかったと後悔しています。
私にはパソコンもないし、ITスキルもないので不可能かもしれないんですけどお洋服の画像やカタログをPDFで残していけたらいいなと思います。著作権などがあるのでWeb公開は難しいかもしれませんがやってみたいですね。
しかしフォーマルウェアのブランドの権利ってどうなっているのでしょうね。すごく気になります。
しましまさんが退社される時に詰めた宝箱は今どちらにあるのでしょうか…私も見てみたいです。正直キャトルセゾンの頃は一切知らないので…!
またまた長々とすみません。
懐かしくてとても楽しくて…!
ではまたお邪魔します。ありがとうございました。
なんとカスミさんもBMDで働いたことが?!
そういえばショップでのセールが終わった後に場所を変えての最終セールありました。
本社からも営業さんが駆けつけてましたが、応援隊も召集されたのですね〜
お疲れ様でした!
>>販売員になるのが夢
そうそう、あの頃の販売スタッフは一般人とは違って見えて、とてもおしゃれな
業界の人、というイメージがありました。私も最初は販売をしていました。
なので実はそんなにおしゃれな人ばかりでもないけど全身ブランドの服を着れて
先輩に鍛えられるからそれなりに見えるだけだったのですが(笑)。
今では販売員は人気の職業ではなくなり、募集をかけてもなかなか人が
集まらないと人材派遣会社の人が言っていました。
>>シルエットやイメージを大切にしているのでワンサイズ
それは多分、サイズ展開をするとなるとその分在庫を揃えなくてはならず、
規模が小さい国産デザイナーズブランドは1つのデザインあたりの
生産枚数が少なすぎてワンサイズしか作れなかったのが実情です。
ホント、服に体を合わせてました!
>>実家に行くと山のようにA.Oのお洋服やカタログが
ありがたいお話です!絶対大西さんが嬉し泣きしてらっしゃると思います。
>>ファストファッションに好みが移行
高くないお洋服でもどこも恥ずかしくない時代ですもの、
似たようなデザインだったら安い方がいいに決まってますよね。
大西さんのキャリアのかなり初期からご存知なんですね。
ATSUKI ONISHIになる前、当時は大人っぽいと思ってましたが
今から見るととてもオシャレだったと思います。
日本のファッションがセンスもクオリティも良い時代でした・・・
「これは絶対大西さんの作品じゃないな」ってのを見つけると心が痛いです。ブランド名、ライセンシー業界の暗闇ですね。
私がショップで働いてた時、高校生のお客様が羨ましいと思ってましたよ!
だってお値段高かったですもの。
パジャマをまたお持ちとは、大西先生お空で喜んでますよ。
私も偲ぶ会には出席しましたよ。
〜お久しぶりでございます〜
ネット時代の前の情報はなかなか見つからず寂しい限りです。
もっと大西さんの業績がほとんど後世に残らないのは勿体無い話です。
思い起こすとショーの案内状などポスター以外の販促物もセンスが良かったです!
存在していないのは分かつているので悲しい😢
そのベッドの画像だけでもあればお見せいただきたいです。
大事にメンテナンスしてくださったんですね、私が言うのも変ですが
ありがとうございます。
ベッドの画像は・・・
https://angel.ap.teacup.com/sofiaandfreya/807.html
こちらの、雑誌の写真の右下が大西さんのベッドでスリーピングのものですが、確か色は金色から塗り替えていたと思います。
私もあのベッドは夢のような製品とお値段でしたが、
大人になった今なら、本当に欲しかったら出せない値段ではないですね。
今も大西さんがデザインをしてたらお洋服でも寝具でも
大人の女性に売れているかもしれませんね。
コンビの靴、大西さんらしかったですね!!
破れたけど ピンクの生地で
補強致しました。服も着れないけど ある
手離したら、ほぼ永遠にお別れとわかっていても、
断捨離とか、片付けの魔法とか、物をどんどん捨てる時代で
ずっとそばに置いておける方は少ないと思います。
ステキな人生ですね。