映画「帰らない日曜日」の原作本「マザリング サンデー」日本語訳を読みました。
映画では『きっとこんな感覚だったろう』と主人公の頭と胸の中を想像しながらも言葉では描かれなかったから推測に近かった物語(本には「お話」と「話」と「物語」の違いの考察まであった)の、まるでテスト模範解答のように興味津々で読み進めました。
映画を先に見て感想も残したので、私の映画鑑賞力がバレバレです。正解もあれば汲み取り不足もあり。自己採点は70点の可/pass。
階級の違う恋人と、階級を越えて過ごした1日がどんなに主人公にとってスペシャルだったかはしっかりわかったで賞。
陽の光の中で見る彼の日常と彼の裸体の意味、自分も全裸で空っぽのお屋敷を歩き回る意味はたいへんよくできました印。
お屋敷に使用人がふたりしかいなかったし、彼は弁護士になる勉強をしているというので私はこのお屋敷の人たちは中産階級かと思ったんです。時代は第一次対戦後、使用人男子も戦死したし、上流の跡取り息子でも勉強とか職業なるものを身につける時代だったんですね。もっとがんばりましょう印。
彼の死について。たぶん、私の力不足だけではなくて映像だけの表現では小説に書かれたことと同じには理解できないんじゃないかな・・・
言葉なしで、彼が身支度にも時間をかけまったく急いだ素振りもないので見ている観客がハラハラするように、婚約者の機嫌とランチに集合した家族(とくに、ニヴンさん!)のオロオロで描いたのは映画ならではの表現でした。小説では主人公が彼を見ながら感じたこととして文字で説明してありました。
原作小説、楽しんでいただけたようで何よりです。映画「帰らない日曜日」の主人公は何を考えているのかわかりにくい人だっただけに、原作小説で自己採点するにはぴったりだったかも。
>私の力不足だけではなくて映像だけの表現では小説に書かれたことと同じには理解できない
小説を映画化する際、小説で書かれていることのすべてをきちんと観客に届けるよう心がける必要はなく、むしろ観客に小説とは別のさまざまな解釈を持たせるようにするのもアリなので、決してしましまさんの力不足ではなく、監督や脚色家がそういう脚色を選んだということではないでしょうか? 私はむしろ、映画の情報だけで主人公の男性遍歴を推測したしましまさんの慧眼に感服です。
メイドはそこに存在しない存在でなければ、と
本にも書いてありましたし、この人の場合はわかっちゃったらダメですもんね!このお話が成り立たない^^;
>>監督や脚色家がそういう脚色を選んだ
そっか~。だからこそ映画製作が面白いということもありますね。メディアにふさわしい展開というのもあるのかも。
>>主人公の男性遍歴を推測
あれは、本気とか遊びとか、身体のつながりと精神のつながりとか分類できないちょっと特殊な関係を受け入れる、むしろ未知の世界へ積極的な人だったのでそう思いました。