Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

キウイによる梨のデザート

2017-11-19 13:47:00 | たべもの


夫がキウイ(ニュージーランド人)ばかり4人とその家族とのディナーがあるというので行ってきました。

カニ鍋というおよそニュージーランドとはなんの関係もないごはんでしたが、4人のキウイ達はすごく嬉しそうで、ワイン、日本酒とともにカニ雑炊まで大盛り上がり。

デザートはその家のキウイパパが作った山形の洋梨のコンポート、アイス添え!

ワインとスパイスで煮込んだ梨は最高でした!ありがたいありがたい。

それに加えて、うちのキウイパパが持参したのも梨の味のフランス産スパークリングワイン。どういうわけか裏に貼られた日本語ラベルには「りんご」と表記されていましたが、味は間違いなく梨。



その後なんとキウイ達はその家に泊まることとなり、私ともう1組の母子は電車に乗って帰りました。

いい年のキウイ達、スランバー・パーティー!と嬉しそうでしたが、ティーンのスランバー・パーティーはパジャマ姿で夜更かしするパーティーのことですが、大人の場合はただ飲んだくれて延々と盛り上がるのだそうです。

ラグビーの試合見るのにオーストラリア人が参加したがってるけどどうする?なんて相談してたり、なんかおじさん達かわいかった。



11/19追記

本人の弁によると、お泊り先でラグビーの試合が始まる前にみんなで食器を洗い、起きてからワイングラスを洗って(ここ重要。お酒が抜けない夜に洗うとグラスを割るのでご法度です。)掃除機をかけたので、家のおくさんには迷惑をかけていないと。

でも夜中の12時過ぎにオーストラリア人がラグビー観戦に加わったそうで、オーストラリアvsイングランド、ニュージーランドvsスコットランドの2試合を見たそうで。ニュージーランドvsオーストラリアはなかったから血を見ずに済んだのかも。

ソーと移民の歌

2017-11-15 19:20:00 | その他の映画・ドラマ・舞台
タイカ・ワイティティ監督の「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」見ました。

これ映画ですか?

と言いたくなるくらい、すっとぼけたテンポと台詞、撮り方でした。まるで素人の意味のない生活ビデオみたいな風体でいて、ちゃんとラストはある、しかしオチになているのか、これでいいのか?とバカボンのパパみたいになりそうでした。

そして、上映中の「マイティ・ソー バトルロイヤル」をまた見に。

で、やっぱりテンポがおかしかった。

これは不思議で、「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」を見る前に、何の前知識もなく初見した時には気にならなかったテンポと笑いを取るタイミングでした。

同じタイミングでも、壮大なハリウッド大作で、有名当代人気俳優達が演じてると可笑しさのパワーも増して、本当、マーベルはいい監督を見つけて採用してくださった!と思いました。

そして、この映画のテーマソングと言ってもいい挿入歌、

レッド・ツエッペリンの「移民の歌」(Imminrant Song /1970)、



今回は、アズガルドの民が最後に故郷を後にし、宇宙船のキャプテン席にオーディン亡き後王の座として座ったソーが、どこに行こうかとみんなに聞いても返事がなかったので、

「地球へ!」

とロキちゃんも連れてやって来ることを知ってて聞いたので、歌手ロバート・プラントの甲高い声「あああ〜〜〜ああ!」だけでなく歌詞にも気をつけて聞くようにしたのでした。

しかし、やっぱりあんまり聞き取れなくて、帰ってきて歌詞を調べてびっくり。。。

アズガルドの民を乗せた船が地球に着いたら、マーベル/アベンジャーズの次作「インフィニティー・ウォー」に続くことになっているでしょう?

無邪気なソーとロキちゃんはトニーやコールソンさんやストレンジ先生が守る地球に大量の移民を引き連れてやってきちゃうのですよねー

「移民の歌」は、まさしく北方の民族の移動ですが、ラスト2行は、「降伏しろ!おとなしく住処を差し出せば助けてやるぞ」という意味じゃないですか。

この歌通りに話が続くわけじゃないけど、ゾクッとしました・・・

以下和訳してみました。
私は大げさな文体は好みじゃないんですけど、神話で神様の話だから、これくらいは言ってそうですよね?

Immigrant Song
レッド・ツェッペリン

Ah-ah, ah!
Ah-ah, ah!
We come from the land of the ice and snow
我ら氷と雪の国から来たり
From the midnight sun, where the hot springs flow
白夜の太陽の国から、湯水の湧き流れる所より
The hammer of the gods
神々の鉄槌として
W'ell drive our ships to new lands
我らの船は新天地に向かう
To fight the horde, and sing and cry
大群と戦い、歌い、叫ぶため
Valhalla, I am coming!
バルハラ(オーディンの殿堂)よ、我は来たり!
On we sweep with threshing oar
櫂は水面をたたき漕ぎ進む
Our only goal will be the western shore
目的地はただひとつ西の岸
Ah-ah, ah!
Ah-ah, ah!
We come from the land of the ice and snow
From the midnight sun where the hot springs flow
How soft your fields so green
どれほど穏やかなのか これほど緑の其方の大地は
Can whisper tales of gore
血生臭い話を耳打ちしてもいい
Of how we calmed the tides of war
戦の流れをいかに鎮めたのかを
We are your overlords
我らこそ其方の大君主
On we sweep with threshing oar
Our only goal will be the western shore
So now you'd better stop and rebuild all your ruins
それゆえ今は足を止めその廃墟を再建するがよい
For peace and trust can win the day despite of all your losing
平和と信頼で救われるのだ 其方の負け戦だとしても
Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh-ooh
Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh-ooh
Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh-ooh
Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh-ooh
Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh-ooh


ソングライター: Jimmy Page / Robert Plant
Immigrant Song 歌詞 © Warner/Chappell Music, Inc







一人の男と二人の主人

2017-11-12 19:06:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


「マイティ・ソー3」を見て「おもしろいことはいいことだ!」と思ったばかりです。

ジェイムズ・コーデン主演のコメディだからおもしろいに違いないとは期待してましたが、

演出が「ヒストリー・ボーイズ」「ミス・シェパードをお手本に」のニコラス・ハイトナーですから、知的な捻りや面白さの陰に深いものがあるに違いない、

とも期待したら、面白い捻りと面白さの陰に面白いもので終わってしまいました!

原作はなんと18世紀イタリアの喜劇とのことで、舞台を1963年のイギリス、ブライトンに移したバージョンが2011年ナショナルシアターが初演とのことです。

その後ウェスト・エンドやブロードウェイを始め、香港、オーストラリア、ニュージーランドでも上演された大人気作・・・・でも、オーストラリアって、劇を見た方は、反応するのではないでしょうか、いいの?オーストラリア?(笑)

だって、イングランドが舞台で、主役フランシス(ジェイムズ・コーデン)はひもじいあまりに、ふたつの仕事を掛け持ちするんですけど、今ならフリーランサーということで問題ないでしょうけど、彼は2人の雇い主に兼業を隠して働くんですね。

それで、ネタバレしますけど、



雇い主ふたりは、実は婚約者同士で、結婚してオーストラリアへ行く計画を立てていました。でも、ふたりとも実はオーストラリアには自然とオペラハウスしかないと思っていて、行きたくなかったんです(笑)。

そう言えばカナダも「つまらない国」の代表格で名指しされていたのも笑位のツボで、ロンドンやNYでは絶対オーストラリアやカナダの人も見に来ているだろうなあ、いいのかなあ、と思いながら笑ってしまいました。

とにかく大笑いのコメディですが、登場人物の一人に役者志望の優男が出てきて、これがまたシェイクスピアもどきのセリフをやたらと言いたがるので、劇中で演劇文化を笑ってるところがあって自虐ぽくてそこはイギリス的です。

シェイクスピアはハムレットもろともこき下ろされているんですが、雇い主のひとりは双子の兄を男装して演じる妹という設定で、ほとんど「十二夜」です。

それと、もうひとりの雇い主はパブリックスクール時代の習慣で笑いを取る、ポッシュな男で、これもポッシュさと変人さが同居していてとてもイギリス的。

舞台となる食事つきの宿も、クリケットがモチーフとなった、インテリアもクリケットにちなんだ非常にイギリス的な場所。

しかしメインのコーデンの笑いの演技はほとんどドリフと変わらぬ肉体労働なのでとってもインターナショナルという、腰が砕けそうな喜劇でした。

ナショナルシアター・ライブならではの面白さがあったのは、

休憩の時に舞台裏を見せてくれるのですが、

控え室のジェイムズ・コーデンと、ポッシュ男と役者志望男が、まだそこでしれ〜っと司会者に向かって役のキャラで演技してるんです。

「16時間も食べてないんだから」って。


それと最後までわからなかったのは、客席の女性がコーデンに引っ張られて舞台に上がり、顔や服にクリームをかけられるんですけれども、カーテンコールにまで出てきてたので、あの女性はやはり本当は観客ではなく女優さんだったということでいいのでしょうか。おそらくそうでなければ挨拶しませんものね。






ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ

2017-11-11 22:00:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


モダン建築のル・コルビュジエの名前は知っていてもアイリーンは知りませんでしたが、映画の冒頭に出てきた、クリスティーズの「イブ・サンローラン&ピエール・ベルジェ・コレクション 世紀のオークション」(これが正式名称らしいです)で史上最高額で落札されたのが、アイリーンのデザインした椅子だったという、評価の高いインテリア・デザイナー/建築家でした。

物語は1920年代から始まり、70年代までという、衣装を見て楽しむのにも良い時代で、インテリアとしても20年代といえばアールデコの時代、モダンデザインの創世記ですから、彼女のデザインは当時最先端だったはず。しかし彼女はスチールパイプを家具に取り入れていたのでミッドセンチュリーの機能美の追求に入っていたようです。

しかしその辺がこの映画だけでは、比較対象になるクラシックなヨーロッパ様式があまり出てきてなかったので、自分のおぼつかない知識をもとに想像を膨らませるしかありませんでした。

舞台は南仏なのですが、アイリーンはアイルランド出身でダブリンに博物館があるとのこと。

てっきり私は、アイリーンとル・コルビュジエは恋人同士なのかと思って映画に行ったのですが、全くの勘違いで、アイリーンにはハンサムな優男風の恋人がいて、ル・コルビュジエは彼に比べたら、早すぎたキース・ヘイリングみたいなエキセントリックな風貌と行動で、とても知的美人のアイリーンと恋愛しそうなキャラではありませんでした。

彼女は100年前に芸術家というかビジネスウーマンとして成功していた現代的な女性ですが、恋愛もバイセクシュアルだったとのことです。映画でもいつも女性に囲まれている印象が残ったのですが、彼女たちは秘書とかスタッフなのかと思いましたが、恋人だった可能性が濃厚です。

アイリーンを演じたオーラ・ブラディは、ちょっとシャーロット・ランプリングを思い出させる素敵な人でした。

映画の宣伝スチールは、ジュリアン・レノンのクレジットが入ってます。



ノクターナル・アニマルズ

2017-11-08 22:13:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


「シングルマン」の大大大ファンなので、ものすごく楽しみにしていた本作、

正直言って、がっかり。

良かったのは、主役スーザンのエイミー・アダムスと、エドワード/トニー役のジェイク・ギレンホール、そしてもちろんアーミー・ハマーも、完璧に美しかったことです。

この3人、私の好みのタイプでは全然ないのだけれど、スクリーンの中の彼らは本当に美しい生き物でした。

エイミー・アダムスは「メッセージ」では田舎風の良い人のイメージだったのに、すごく綺麗でした。デカい眼鏡もカッコよくて、私自分のデカい眼鏡がちょっとデカすぎて目立ちすぎじゃないかと思ってたのに、鏡を見たらこの映画の後だとちっともデカくなかった(笑)

逆に好みのアーロンは、もうどのシーンも色男に見えないという演技力というか演出力というか。残念だけど仕方ない。

原作小説があり、その斬新なストーリーは興味深い。

ヒロインの元夫と彼の小説の主人公役を同じ役者が演じるのは良かった。

けどけど、

やっぱり20年も執着する男の話自体が怖いし、うっとおしい。

衣装やモダンな豪邸やオフィスのインテリアは素晴らしいけど、金持ちの似非アート好きの好みは感心こそしても私は好きではない。

そしてアメリカの田舎こそが恐怖。

日本やスコットランドの田舎も暗くなったら家に帰れなさそうで怖いけど、アメリカはその比ではなかったです。


それで、トム・フォードがなぜこれを作ったのか考え込んでしまったのですが、彼自身もアメリカの田舎出身とのことで、今、ファッションでも映画でも成功して自信がついたからかもしれません。

アメリカの田舎と洗練された富の都市ロス両方に自身を投影できたのでは。しかも自身がつくまで彼はアメリカの田舎は大嫌いだったのでは。そこにアート好きとアーティスト、ブルジョアジーとアーティストの対比を描きたかったのでは。

彼自身も、俗物と芸術の間で悩んだからなのでは。