新年おめでとうございます
大晦日はお仕事がありましたが、柔軟なマネージャーが1時間早く退勤させてくれました。
職場から夫と品川で待ち合わせて横浜の友人宅に行きました。
普段なら元旦の実家詣でを控え、大晦日にあまり出歩きたくない私なのですが、2017年後半、夫は出稼ぎ状態で東京にあまりいなかったので彼に付き合ったのでした。
夫の友人はイギリス人で横浜のひとつ先にマンションを買い住み着いています。写真は窓からの眺めで、桜木町のランドマークタワーと観覧車が写っているのですが、スマホ写真では肉眼のようにはまいりませんね。
彼のマンションは好みに改造されていて、イギリスのキッチンのごとくガス台の下に大きなガスオーブンがしつらえてあり、手料理と彼のお母さんがクリスマスに送ってくれたイギリスのチーズ、そして満タンのワインセラーからご馳走をふるまってくれました。
天井も1枚板を抜いてその分高くなっており、ドアは2メートルはあるやはり高いドアを取り付けているので、日本のマンションでも空間に広がりが出ていて、集まったイギリス人たち皆背が高いのにずっと立ったまま食べたり話したり(パブ形式ですかね?!)しても息苦しさがありませんでした。
集まった人たちは、イギリス人と日本人、とここまでは家の主人の出身国とご当地の人ということですね、それから後、インド人とニュージーランド人。なんとなく私の脳内では大英帝国(インドとNZは元植民地)と日英同盟の図が・・・(笑)
印象的だったのは、イギリス人の女性と話したことでした。
彼女はやはり日本に住み着いて神奈川県に住んでいるのですが、マンションの窓から富士山が見えるのだそうです。そして、見る季節、時間、天気、その他もろもろの違いによって、富士山が百変化することを知り、日本の浮世絵画家がなぜあんなに富士山を題材にしたのか理解できた気がすると言っていました。
そして、富士の見え方だけでなく、富士山の付近から登って沈む月を観察しているうちに、1年の中で季節とともに月が出たり入ったりする地点が移動していることを知ったと言うのです。
それを聞いて、「え〜それは知らなかった!」と私は言ったのですが、
帰り道、その家から駅まで東海道を横切って歩いた時、ふと小学校の時にそれを習ったことを思い出したのです!
「日本の良さは四季があること」とは昨今自虐的な人が「もうそれしか誇るものがないのか、だからなんなんだ」的に揶揄しているのを読んだことがあるのですが、
日本は移り変わる季節を楽しむ気持ちになれる土地なのでは、とそのイギリス女性と話していて思いました。
彼女は上野の東京都美術館で開催中のゴッホ展も見て、ゴッホは一度も日本に来たことがないのに、日本の美術を見ただけで何かを必死で知ろうとしたと言っていました。
それを聞いて私もゴッホ展(1/8まで)を是非とも見たくなりました。
一夜明けて、実家に日帰りで挨拶に行き、先におばあちゃん家に泊まっていた娘や弟一家とカルタやトランプで遊んだ後初詣に行きました。
因みに、
姪っ子が選んだのが「勝利」のお守り(Vの字入り)、
両親に受けたのが「健康」「病気からの回復」、
娘はデザインで選んだのを手にしたものの「それ安産」という私の言葉で
私と同じ「金運」にさっと鞍替えしておりました。
庭には父が手入れしたと思われる丸く刈り込まれた木があって、その向こうには立派そうな瓦屋根が見えて、
夫や、その友達、自分の家族がいるおかげで、今の自分の住む東京の風景だけでないものが楽しめるのだなと思った元旦でした。
だけど東京の家に戻り、娘はまだおばあちゃんの所、夫は出稼ぎ、ひとりで過ごすこの時間もまたいいものです。