つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

8月15日

2010年08月15日 | 日記
終戦記念日

私の亡くなった父親は学徒出陣で入隊し、ゼロ戦ができるのをまっていて終戦を迎えた人でした。
そんな父の思いがあったのか、
父と入れ替わるかのように授かった末っ子は、予定日を一カ月先に陣痛を起こし、
未熟児という危険を冒しながらこの日に生まれてきました。

どんな理由があろうとも戦争をはじめてはいけない。
戦争を始めなければならないような理不尽な行いをしてはいけない。

わが子が国の命令で人を殺しに行く。
そんな絶望的な状況を作ってはいけない。
強く強く思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

炊飯器が壊れた

2010年08月15日 | 日記
一昨日、いつものように米を研ぎ、いつものようにご飯を炊いたのです。
炊きあがったなあと思ったら、表示が消えて、そのままスイッチが入らなくなってしまいました。
まるで最後のご奉公だったかのように…。
あいにく、お盆でどこもお休み。仕方なく昨日は鍋で炊くことにした。

私の家は電化が遅く、よその家で当たり前になって初めて購入する感じだったので
社会人になっても我が家には炊飯器がなく、鉄の釜をガス台にのせて炊いていました。
でも、結婚してからは当然炊飯器の世話になっていて、何十年振りかのことでドキドキしました。

『始めちょろちょろなかぱっぱ 赤子泣いても蓋とるな そこへばば様飛んできて、わらしべ一束くべまして、それで蒸らしてできあがり』

おまじないのように唱えながら鍋を見つめていました。
幸いに、昔とったなんとかでおこげもできてじょうずにできました。
ほっ…です。
昔の御母さんはすごいです。食べるころに合わせて食事の用意をしたのですから、
炊飯器も冷蔵庫も電子レンジも、ガス台だってない時代があったのです。
洗濯も手でしていたし、風呂の水汲みは子どもの仕事だったなあ…。
大人がいないと子どもは生活することができなかった。
それだけで尊敬される存在だったのですよね。
今は、親がいなくても食べることも寝る場所もなんでも手に入れることができます。
どうやって子どもにあこがれられたり、尊敬されたりする存在になればいいのでしょう。
便利の果てに見失ってしまった何かのかわりはどうやって手に入れればいいのでしょうか。

大学生も小学生の末っ子も、炊きたてのご飯を前に少し私に優しい目を向けてくれました。
そんな視線を感じ、御釜でご飯をたける自分でよかったと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする