つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

遊んでばかり、

2020年01月24日 | 日記

東京という街は遊ぶに事欠かない

老若男女、誰でもがお金さえ有れば毎日何かしら刺激的に過ごすことができる
その恩恵を私も、資金はあまり多くないが機会をとらえている
旦那がいないと三度の食事の世話が入らず、その分手が空いた気分になるせいもあると思う
 
ただ、なんとなくせわしくて、毎日毎日追いかけられているような気持ちを抱えている
東京の人が忙しそうなのはこんな感じなのかもしれない
 
 

吉田穂高展に行きました
吉田穂高さんの作品を何点か持っています
仕事で関わった時に買い求めたものです
当然その時はバリバリの人気作家で、何年か前に訃報を聞いた時、ああそんなに時間が流れたのかと思いました
 
私は、若い頃の作品を間近に見たことがなかったので、
その生き生きとした作品群にとても感激した
そこからいろいろ変遷し、どう作家として歩んだのか、
エスキースや、アイデア帖、写真やスケッチ、
それらから生まれた作品を隣において、こういう風に考えたのか、
と感じることができた
先日のゴッホ展で感じた面白さと同じやり方
こういう切り口がはやっているのかな?でも面白いからいいや!
 
晩年に近い頃の、大きな作品もいい
いいなあ、ほしいなあ、でも、高いんだろうなあ…
 
そんな気持ちを抱えながら、昨日銀座に行ったので、
版画専門店のショーウインドーを眺めたが、
常設コーナーにはわかりやすいものが多く並んでいて
こういう店も通って、好みを伝え、信頼を養わないと手に入らないよなあ
と思った
 
なぜ銀座に行ったかというと、これも姉のおかげ
「ハムがほしい」から日本ハムの株を持っていたのと同様に、
「歌舞伎がみたい」から松竹の株を彼女は持っていた
年に2回、観劇できる 今までは長女に譲っていたが、今年は私!
だが欲張りの私は、せっかく銀座まで行くならと、
銀座でしか上映がなかった映画をまず観ることにした
 
 
 
“私のちいさなお葬式”
友人が面白かったよと言っていたので、観たいなあと思っていた
観て初めて気が付いた ロシアの映画だった
 
余命宣告からの数日の話を描いているのだが、
かわいらしい表情をするマリーナ・ネヨーロワが状況の緊急さを意識させない
自分の葬式を自分で準備する…真面目にやり遂げようとすればするほど、
それは本当に滑稽で、その時までに死ななければならないと親友に殺害を頼むところなど、
真面目に向き合っているだけにそのちぐはぐさに笑えてくる
 
ロシアの田舎町、そこは高齢者とアルコール依存者だけとエレーナは言います
だから最愛の息子を都会に送り出した
ふと、サハリンで見た年代物のマンション群を思い出した
そういえば親友リュードが、極東に住む友達が蟹を送ってこないと怒っていたっけ
 
最後、一人息子が都会の暮らしの象徴の、
携帯を積み込んだままロックしてしまった車のキーを飲み込んだ、
母親がかわいがっている鯉を川に離す
 
そのシーンの持つ意味を捕まえそこなっていますが、
 
じっくりと思いを巡らして感じていこうと思っています
面白かった
 
 
 
そして、小雨の降る銀座をぶらぶらして向かったのは、
 
 


 
何年ぶりだろう?
何十年かな?
 
若い頃見たときはそんなに面白いと思わなかったし、
ストーリーもわからなかった
この度はどうかな?ガイド借りたほうがいいかな?
ま、わからないなりに己の感性で観てみようと思った
 
面白かった
演目は三本 どれもこれも楽しめた
若い頃あんなにわからなかったのが、わかる……これが不思議だった
演じられているのはどれもこれも人の情だからなのかな?
私も大分に大人になったんだと思った
 
終わって外に出たら、
 



また、秋に、そう思いました
 
 
 
 
コメント (2)
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