つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

病床 7

2011年01月24日 | 日記

きょうだいが入院している部屋は、4人部屋です」。

どれだけの間、費用がかかるかわからないので、一番費用がかからないベッドを選んでいる。それに慣れない病院での生活で、同室の方から得られる情報は、本当にありがたいものです。自分もつらい時があるはずなのに、よりつらい人に手を差し伸べてくれるあの優しさは、健康であるときには考えもしなかったものです。会社の同僚には「個室の方が気が置けないわよ」と言われたらしいが、私は「一人はさびしいわよ」と大部屋を勧めた。

12月初めから2カ月近くになり、わがきょうだいも古株になってきた。何人の方もが治療を終えて退院をされていった。中には次の治療のために別の部屋に戻られて挨拶に来てくれる方もある。いろいろな人がいる。繰り返し治療を続けなければならない人は、たいていカーテンを開けっぱなしにしていらっしゃる。そういう方は病院のあれこれをよく知っていらっしゃって、たとえば「売店への近道があるのよ」「朝ラジオ体操があるから行ってみるといい」など教えてくださる。また、カーテンを絶対開けない人もいらっしゃる。これはこれで仕方がないことだ。

わがきょうだいは、窓側のベッドがあたってとても明るいが、今の時期日差しが強すぎてカーテンを開けておくことができない。眩しいからどうしても日よけにベッド回りのカーテンを閉めるようになってしまい、息苦しい感じがある。ま、彼女は行儀に気を強く回す人ではないので、とんでもない恰好でベッドの上にいることがあるから、かえってその方がいいのかもしれない。

わが子たちに繰り返し頼む。「忙しいのはわかるけれど、行ってやってね。退院の時にはくるから」

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東京で暮らして

2011年01月23日 | 日記
今日は日曜日。
大学生二人、珍しく完全休養で今朝はゆっくりする事ができた。
それぞれに神奈川の大学に通う二人の朝は、一限があるかないかにもよるが早い。
大学生を持つ親御さんはみんなこういう苦労をされているのだろうが、私は家から出した分、初めて体験している。なかなか起きないのだ。

上の子どもはレポートの提出が半端ないほどあるようで、よっぴてPCをたたく音が聞こえてくる。それもあってか起きられない。下の娘は、昔から朝が弱い。小学生の夏休みに彼女が「ラジオ体操に通いたい」と言った時には大変だった。
ラジオ体操は6時半から始まる。家の近くの公園とはいえ、6時には起こさなくてはならない。その時間に声をかけても起きられない娘は、それでもおこさなければそれはそれで機嫌が悪い。今から考えると大層な親ばかだと思うが、母は努力をした。5時半ごろからゆっくりと体をさすり声をかける。
「今、5時半だからね、もうすぐ6時になるからね…起きなければならないよ」少しずつ時間のたつのを耳元で囁いて6時に「起きる時間だよ」ということを毎日繰り返した。そんなことをしたから、彼女はそういう自分を克服できず今があるのかもしれない。

そんなことで大学生二人との葛藤を抱えつつ、日の昇る前から、実家の家事をする。
それぞれの部屋にあるストーブの灯油を確かめて火をつけ、部屋を暖める。札幌の家ではスイッチ一つで家全体が温まるので便利なものだと改めて感謝の思いだ。年よりも朝は遅いのでゆっくりと朝食の準備をして置いておく。洗濯機を回す。東京はクリスマスのころから雨が降っていない。洗濯物には最適だが、こんな状況でいいのかなあと思う。
大学生や年寄りが動き出すのを待って家の掃除を始め、昼の準備その時一緒に病院に差し入れをする小さな弁当を用意する。平日であれば1時過ぎ、土曜・日曜であれば12時過ぎ、その弁当や洗濯の出来たパジャマやタオル、届いた郵便物などを抱え病院に向かう。洗濯物はリハビリをかねて年寄りが畳んでくれる。物干しにかけっぱなしにしておくと大変なので、年寄りの手が届きやすいところに移しておく。

私のきょうだいはご縁に恵まれることなく一人ものである。そういう運命だったのか父親が先に亡くなって、そりがいいとは言えない残された継母と二人で暮らしていた。そこへ大学進学のため、うちの子どもたちが押し寄せた。慣れない生活を受け入れてくれた。そんな苦労が今の病気につながっているのではないかと考えるとせつなくなる。
だが、後ろを振り返って、ああでなければ、こうしていればと思ってもせんないこと…前を向いてあるいていかなければ…。

2時間、3時間、病院で過ごし、買い物をして家に戻る。たいていは5時過ぎる。そこから夕飯の準備をして子どもたちの帰りを待つ。待つが、あまり遅くて帰りを知らない日がほとんどだ。朝、寝顔を見て「ああ、いる」と思う。

年よりのところには週3回、ヘルパーさんが来てくれる。そのうち2回は風呂の介助だ。朝のうちに風呂を洗っておかなければならない。月に2回は町内会の資源回収で、我が家は旗を出す係になっている。

そんな生活を重ねた2カ月だった。
きょうだいの様子がいいので、明後日、札幌に戻ることに決めた。
病床のきょだい、年寄りとの生活になるわが子たち。いろいろ心配は多いが、札幌の家族も気にかかる。
札幌は遠い。もう少し近ければ…そう思わない日はない。
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姫のやきもち

2011年01月22日 | 日記
私が病院に行って留守の間に、お向かいの奥さんがおかずの差し入れをしてくださった。
私のきょうだいが好きな「レバーのフライ」だ。
直前に家の前で会ったときに「間に合えば病院に持って行ってもらおうと思ったのだけれど…今日は土曜日で早く出かけたのよね。皆さんで召し上がって」
下処理をきちんとしたお向かいのこのフライは、私もかつてご馳走になったことがあるが、なかなかおいしい。
だが、この届け方がうちの姫の癇に障ったらしい。姫が知らない間に裏口から、うちの長男が受け取ったらしい。

いわく
「わっち(秋田出身の姫は自分のことをこういう)は知らないのよ。これ、届いたの」
「だれも食べないでしょう」
「こんなにもらったって…食べきれるもんじゃない」

目がつり上がってしまっている。
自分の宝物のうちの長男に、自分が嫌いなお向かいの奥さんが接触したことに腹が立ってしまったようだ。

姫様はお怒りである。

でもね…ご近所とは仲良く付き合っているところを次の世代に見せるべきでしょう…姫…いやはや参ってしまう。
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忘れ物

2011年01月22日 | 日記
昨日、朝早い時間にパートナーから電話があった。

一度、学校に出かけた末っ子が忘れ物をしたと戻ってきたそうだ。
筆箱に入れておいたはずのコンパスが見当たらないという。始業式に持って行った道具箱の中にもなかった。
筆箱は、冬休みに東京に持って行ったから忘れてきたかもしれない。

順々に話を聞きながら、私に答えられたのは「今、電話をもらって私に何をどうしろというの?」
「兄ちゃん達が使っていたのは、廊下の引き出しの中に入れてあるはず」ということだけで、
なんだかいらいらと電話をしてきたパートナーの様子に、こちらもイライラしてきた。

「時間割は前の晩にそろえるのよ。朝、何が足りないといわれてもどうしようもないんだから」
末っ子に時折注意する事を思い出した。彼は地頭がいいのだろうと思う。頭の中で考えて「大丈夫」と思ってしまうところがある。ところが現実はそうは行かないことが多い。足もとを固めながら前へ進まなければ、失敗に終わる方がはるかに多いだろう。このたびのことから身にしみてほしいと願う。

「私にどうしろって言うの?」再度パートナーに叫んだところ、ごそごそと探していた引き出しの中にコンパスを見つけたようだ。
「あった。これで間に合うのかな。仕方がない…届けてくるか」
我が家は小学校の目の前にある。歩いても5分とかからない。しかも6年生の教室は何年前からか、防犯上の理由で1階にある。
あわてて電話を切ったパートナーの子煩悩な様子に笑いが出てきた。

いろいろな雑用が一段落ついたので、週明け札幌に戻ろうと決めた。
きっと札幌の家族も気持ちが限界なんだろう。早く戻りたい。
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申請する

2011年01月21日 | 日記
区役所に出向き、きょうだいに「身体障害者手帳」の交付を受ける申請をした。

前回、指定の診断書を受け取りに行ったときに説明をしてくれた人は、はきはきと教えてくださったのですが、
このたび窓口で係をしてくれた方は、私の聞き方が悪いのか、どうも頂けなかった。
声が小さくもそもそとしゃべるので何度も聞き返してしまい、そのことが繰り返されることによってイライラしてきた。
丁寧に話しているようなのだが、「伝える」気持ちがあるのかなあと感じさせる対応で、「小役人」て言うんだよなあ…
きっと、と思った。

印鑑持参でくるようにと前回言われていたので、見えるところに置いて話をしていた。
書類に記入が終わり、最後になっても印鑑のことが言われないので「印鑑持参と言われてきましたが、どこに押すのでしょうか」と尋ねた。聞かなければ押さないで終わったのだろうか…?そうなれば書類不備で、再度来庁するようにと連絡が来るのだろう。
懸念かもしれないが、そう感じさせる対応の人だった。残念だ。

私の亡くなった父親は役人で、生前「役人は三日やったらやめられない」と私のパートナーに話していた。
なんとまあ…そういうことなのだろうなあ。
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