2011年3月11日14時46分ごろ、東北地方太平洋沖を震源に国内観測史上最大のM8.8の地震が発生した。津波が宮城県や福島県などを直撃し、200~300人が死亡した他、1000人以上の人々が行方不明になっている。被災に会われた方々には心からお見舞い、犠牲者にも心からお悔やみを申し上げる。そして1日も早い復興を願う。
実を言うと、大学を卒業しファッション業界で働き始めた年、九州の長崎地方を集中豪雨が遅い、大打撃を与えた。そのとき、会社の社長から取引先のショップに支援物資を送れと5万円を渡された。
「何を送りますか」と尋ねると、「とりあえず、生活必需品だ」と言われただけで、自分で考えなければならず正直焦ってしまった。入社して3ヶ月くらいでたいした仕事をしていなかったので、何とか上司命令に報いたかった。
ところが、今みたいに非常食料やファーストエイドキットなんて売っていなかったので、スーパーに行ってミネラルウォーターやタオル、カップラーメン、真空パックのご飯なんかを買いあさった。そして、知り合いのメーカーからTシャツを数十枚調達し、パッキンに詰めてとりあえず発送した。
でも、被災者にしてみれば、片付けなどの作業があるので、本当は男手が必要だったようだ。 夏の終わりには社長命令で、こっちが長崎まで出張して片付けや掃除のお手伝いをした。仕事とは違った妙なテンションだったのが、今も記憶に残っている。
でも、出張の目的は「バイヤーさんは秋物の展示会なんかに上京できるような状態ではないだろうから、1日も早く通常の仕事ができるように」との社長の気遣いだった。メーカーとしてお世話になっている小売店さんにできることは、この程度しかなかったのである。
次いで阪神淡路大震災。この時はプレス会社に在籍していた。友人がワールドにいたし、神戸のアパレルメーカーとの何社かは取引があったので、すぐに義援金をアパレル協会を通じてお送りした。仕事仲間のカメラマンやヘアメイク、ライターやスタイリストも快くカンパに応じてくれた。
そして、6年前の福岡西方沖地震では自分が被災者となった。打ち合わせのため天神コアの事務所に入った瞬間だった。地下から爆発音のような力で突き上げられ、思わず事務所のカウンターにしがみついた。
日曜日だったので、事務所は最小限のスタッフしか出勤していなかったが、スチールキャビネットの引き出しが飛び出し、机に入った椅子を直撃。もし、スタッフが座っていたらと思うと、ぞっとする。
当然、打ち合わせは中止になり、エスカレーターで階下に降りすがら、利紀伊国屋書店などの惨状をたまたま持っていたカメラに収めた。当方の事務所に戻ると、室内はグチャグチャ。Macのハードディスクは床に落ち、重いデザインの本が書棚から2mほど吹っ飛び、カップボードからは飛び出したティーカップやビールマグはすべて割れていた。テーブルの角が壁に当たって、穴が開いていたのをみると、さすがに地震の威力に驚愕した。
それでも、自分は五体満足だったので余震を感じながらも、すぐに片付けに入った。ただ、このとき、地震保険やり災証明の申請などではたいへん勉強になり、マスコミが受け付ける「災害義援金」では、制度面の不備もわかった。
義援金はり災証明を受けたからといって、被災者すべてに公平に分配されるわけではない。「日本赤十字」の規定にそって、自治体や持ち家の住人などに優先配分されるのだ。個人への支給は問題ないが、自治体に流れた義援金の使われ方は不透明である。
本来、税金を使うべき公共財の修復や日曜出勤する職員の弁当代などにも使われいるかもしれない。その辺の使い道がはっきりと公表されず、市政だよりなどの広報も詳細ではない。自分が被災者になったからといって、義援金をあてにしたわけではないが、制度面に問題がある点は指摘しておきたい。
翻って、今回、九州地方には被害はなかった。奇しくも災害翌日が九州新幹線鹿児島ルート開業日で、記念式典などは急遽中止。先週から地場のみならず全国ネットは九州新幹線開通に浮かれまくり、コンクリートのハコもの、博多シティばかり持ち上げる報道も、一気に吹っ飛んだ。
長崎集中豪雨と阪神淡路大震災。過去、二度の経験でファッション業界としてやるべきことは、義援金よりまず食料、下着などの実用衣料や防寒具、毛布やラグ、プライバシーが守れる段ボールなどのサプライ、そして片付けや炊き出しなどのボランティア活動。これらの方がよほど被災者に取っては喜ばれるのだ。
困ったときはお互いさまだから、今回も是非何らかの支援をしていきたい。福岡商工会議所や地元業界は愚にもつかないファッションイベントなんかすぐに取りやめて、被災者に支援物資やボランティアを送るべきだ。こんな時、必ず「ファッションで元気してあげよう」なんてKYなことを言い出す人がいらっしゃるが、こんな御仁こそもし自分が被災者になったらどうなのか考えてみたらいい。
かつて阪神淡路大震災の取材で、元NHKキャスターの宮崎緑は毛皮のコートを着て現地に赴き、アテンドした地元ローカルの気持ちを逆なでしたばかりか、代わりの衣装代をキー局に請求し番組を降板させれたケースもある。KYな人間は意外にもメディア界の方に多いのだ。
東北地方はまだまだ寒いから、フリースや長袖など防寒衣料は必需品のはず。おのずとやるべきことは決まって来る。蛯原友里も売名行為なんかではなく、「本当のボランティア活動」をしてみてはどうだろう。落ち目度を振り払う地方営業の前に。
実を言うと、大学を卒業しファッション業界で働き始めた年、九州の長崎地方を集中豪雨が遅い、大打撃を与えた。そのとき、会社の社長から取引先のショップに支援物資を送れと5万円を渡された。
「何を送りますか」と尋ねると、「とりあえず、生活必需品だ」と言われただけで、自分で考えなければならず正直焦ってしまった。入社して3ヶ月くらいでたいした仕事をしていなかったので、何とか上司命令に報いたかった。
ところが、今みたいに非常食料やファーストエイドキットなんて売っていなかったので、スーパーに行ってミネラルウォーターやタオル、カップラーメン、真空パックのご飯なんかを買いあさった。そして、知り合いのメーカーからTシャツを数十枚調達し、パッキンに詰めてとりあえず発送した。
でも、被災者にしてみれば、片付けなどの作業があるので、本当は男手が必要だったようだ。 夏の終わりには社長命令で、こっちが長崎まで出張して片付けや掃除のお手伝いをした。仕事とは違った妙なテンションだったのが、今も記憶に残っている。
でも、出張の目的は「バイヤーさんは秋物の展示会なんかに上京できるような状態ではないだろうから、1日も早く通常の仕事ができるように」との社長の気遣いだった。メーカーとしてお世話になっている小売店さんにできることは、この程度しかなかったのである。
次いで阪神淡路大震災。この時はプレス会社に在籍していた。友人がワールドにいたし、神戸のアパレルメーカーとの何社かは取引があったので、すぐに義援金をアパレル協会を通じてお送りした。仕事仲間のカメラマンやヘアメイク、ライターやスタイリストも快くカンパに応じてくれた。
そして、6年前の福岡西方沖地震では自分が被災者となった。打ち合わせのため天神コアの事務所に入った瞬間だった。地下から爆発音のような力で突き上げられ、思わず事務所のカウンターにしがみついた。
日曜日だったので、事務所は最小限のスタッフしか出勤していなかったが、スチールキャビネットの引き出しが飛び出し、机に入った椅子を直撃。もし、スタッフが座っていたらと思うと、ぞっとする。
当然、打ち合わせは中止になり、エスカレーターで階下に降りすがら、利紀伊国屋書店などの惨状をたまたま持っていたカメラに収めた。当方の事務所に戻ると、室内はグチャグチャ。Macのハードディスクは床に落ち、重いデザインの本が書棚から2mほど吹っ飛び、カップボードからは飛び出したティーカップやビールマグはすべて割れていた。テーブルの角が壁に当たって、穴が開いていたのをみると、さすがに地震の威力に驚愕した。
それでも、自分は五体満足だったので余震を感じながらも、すぐに片付けに入った。ただ、このとき、地震保険やり災証明の申請などではたいへん勉強になり、マスコミが受け付ける「災害義援金」では、制度面の不備もわかった。
義援金はり災証明を受けたからといって、被災者すべてに公平に分配されるわけではない。「日本赤十字」の規定にそって、自治体や持ち家の住人などに優先配分されるのだ。個人への支給は問題ないが、自治体に流れた義援金の使われ方は不透明である。
本来、税金を使うべき公共財の修復や日曜出勤する職員の弁当代などにも使われいるかもしれない。その辺の使い道がはっきりと公表されず、市政だよりなどの広報も詳細ではない。自分が被災者になったからといって、義援金をあてにしたわけではないが、制度面に問題がある点は指摘しておきたい。
翻って、今回、九州地方には被害はなかった。奇しくも災害翌日が九州新幹線鹿児島ルート開業日で、記念式典などは急遽中止。先週から地場のみならず全国ネットは九州新幹線開通に浮かれまくり、コンクリートのハコもの、博多シティばかり持ち上げる報道も、一気に吹っ飛んだ。
長崎集中豪雨と阪神淡路大震災。過去、二度の経験でファッション業界としてやるべきことは、義援金よりまず食料、下着などの実用衣料や防寒具、毛布やラグ、プライバシーが守れる段ボールなどのサプライ、そして片付けや炊き出しなどのボランティア活動。これらの方がよほど被災者に取っては喜ばれるのだ。
困ったときはお互いさまだから、今回も是非何らかの支援をしていきたい。福岡商工会議所や地元業界は愚にもつかないファッションイベントなんかすぐに取りやめて、被災者に支援物資やボランティアを送るべきだ。こんな時、必ず「ファッションで元気してあげよう」なんてKYなことを言い出す人がいらっしゃるが、こんな御仁こそもし自分が被災者になったらどうなのか考えてみたらいい。
かつて阪神淡路大震災の取材で、元NHKキャスターの宮崎緑は毛皮のコートを着て現地に赴き、アテンドした地元ローカルの気持ちを逆なでしたばかりか、代わりの衣装代をキー局に請求し番組を降板させれたケースもある。KYな人間は意外にもメディア界の方に多いのだ。
東北地方はまだまだ寒いから、フリースや長袖など防寒衣料は必需品のはず。おのずとやるべきことは決まって来る。蛯原友里も売名行為なんかではなく、「本当のボランティア活動」をしてみてはどうだろう。落ち目度を振り払う地方営業の前に。