HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

自に甘く、他に辛い。

2020-06-17 06:17:13 | Weblog
 先日、「TRILL」というサイトが「《ユニクロ》って何の略称?…」というタイトルで、「ブランド名の由来」を解説していた。https://trilltrill.jp/articles/1434713?utm_source=TRILL_app&utm_medium=app&utm_campaign=page_share

 それによると、「ユニクロはもともと、『ユニーク・クロージング・ウエアハウス』(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を略して「UNI-CLO」とされていました。しかし、ユニクロを展開するファーストリテイリングの前身、『小郡商事』が1988年に香港に現地法人を設立した際の会社登記にて、『UNI-CLO』の綴りを『UNI-QLO』に書き間違えてしまったのです。しかしそれは直される余地もなく、そのまま採用となったそう」だそうだ。

 「ユニクロ」の発祥がスペル違いであろうとなかろうと、フルネームのユニーク・クロージング・ウエアハウスの語呂があまりに長いので、登記以前から内々には略して呼ばれていたは、筆者も知るところ。知名度のアップとブランド力を付けるため、テレビCMではDJの小林克也を起用して流暢な英語で「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」と連呼させていた。だが、やはり長過ぎるとブランド名にはマイナスだから、略名は当然の選択だったと言える。

 ここで問題提起したいのは、ユニクロではなく、英語表記の「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」である。記事では、「それぞれの単語の意味は以下の通りです。・UNIQUE=独自の・CLOTHING=衣類 ・WAREHOUSE=倉庫」と、説明している。



 また、「単語それぞれの意味からわかるように、名前には『ほかの店舗で買うことのできない独自のデザインの衣類を、お客様が自由に選び購入できるブランド』という願いが込められているんだとか」との解説に止まる。店名の出所については、当時の小郡商事の関係者、また創業者である柳井正社長が「オリジナル」で考えたとも、「そうでない」とも、記事は一切触れていない。


同名の店舗がNYに存在した





 実は、このUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEは、ユニクロのオリジナルでも何でもない。小郡商事が1984年6月に広島県に1号店を出店する2年以上前、米国・ニューヨークのダウンタウンに「同名の店舗」が実在していた。意味はサイト記事の通り、「独自の」「衣類」「倉庫」である。筆者は当時、NYに居て同店を何度も訪れているし、写真も撮影している。現地では「UNIQUE/ユニーク」という略したニックネームで呼ばれ、店舗前の歩道には地番と一緒に表示され、店頭の縦長のサインにもそう記されていた。

 1980年代初め、ニューヨークではすでに一世を風靡したCalvin Kleinのブランドジーンズが街角のディスカウントショップでも売られるほど陳腐化していた。それに対抗するかのごとく倉庫街のSOHO地区やその界隈からは、チープなストリートファッションが発信され始めた。UNIQUE CLOTHING WAREHOUSEもその一つ。まさに倉庫を改造した店舗では、アンティークやリサイクルと古着風に加工した新品をミックスして販売し、新しいNYファッションとの呼び声も高かった。NYでは、日本のWEGOが取ったビジネスモデルが20年以上も前に実践されていたのである。

 ここまで裏取りでは、小郡商事が社名を「盗用した」、柳井社長がネーミングを「パクった」という証拠にはならない。たまたま偶然に同じ店名になってしまったのかもしれない。だが、 柳井社長がいろんなメディアでも語っている通り、創業間もない頃のユニクロはオリジナルではなく、尾州辺りのアパレルに商品を仕入れに行っていた。その中には、アンティーク風に加工した「ケミカルウォッシュ」のジーンズなんかもあった。これはニューヨークのUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEがユニクロよりも先に販売していたものだ。それでも、「当時のトレンドだった」「日本のアパレルが模倣した」と、反論もできるだろう。



 では、さらに挙げよう。店舗にはUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEと表示していたユニ
クロが多店舗化し始めた1990年代。いわゆる「初期」の「ロードサイド店」は、外観はレンガタイルを貼った「倉庫風」の作りだった。特に店内は天井が高く「壁面」に「ディスプレイ什器」を置いて商品をアピールした。さらに中央に並べた棚に商品を陳列するスタイルは、筆者がニューヨークのUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEで見たものとほぼ同じだった。筆者が日本に帰ってファッション業界の諸兄や業界紙誌の記者、編集者に話すと、彼らも同様に感じていたようで同調してくれた。


 ここまでの裏付けがある限り、ユニクロのもとなったUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEが偶然に同じ名称になったとは考えにくく、全く「独自」どころの代物ではない。創業当初は、店名から店づくり、MDに至るすべてをニューヨークのオリジナル店舗からそっくり真似している。少なくとも店名については、パクったと言っても過言ではないだろう。ユニークと略さなかったところがせめてもの抗弁にはなるが。


大企業となった今、自省はないのか

 公開されている柳井社長のプロフィールによると、「大学2年の夏休みから父の資金援助で200万円以上かけて世界一周旅行し」とある。「大学を卒業後ぶらぶらして過ごしていたが、父親の勧めでジャスコ(現イオンリテール)に入社」したが、「働くのが嫌になり9ヶ月で退職」「帰省して実家の小郡商事に入社」。「12年経営に携わる間」「日常的なカジュアル衣料の販売店を着想し全国展開を目指した」(wikiより)ことから、世界一周の時に訪れたかもしれないニューヨークに、ビジネスモデルのヒントを求めてもおかしくない。

 その後、ユニクロが店舗数を拡大していく過程で、仕入れでは数量の確保がままならず完全SPA化に舵を切ったのが1996〜97年くらいだ。この前後から商品がキレイ目のオリジナルとなったが、今度は香港の「ジョルダーノ」風と揶揄された。筆者も香港が中国に返還された1997年に訪れ現地でジョルダーノを見ているが、確かにSPA化して以降のユニクロは内装や展開スタイル、ベーシックな商品が同社と酷似している。それでも、試行錯誤を重ねながら独自のフォーマットを構築し、フリースなど高品質な商品づくりでは、既存のSPA勢を凌駕したのも事実だ。これについて異論はない。

 しかしである。ファーストリテイリングは2001年8月、すでに末期状態にあったダイエーの衣料品売場「PAS」の店舗の「内装」や「店構え」が,ユニクロの店舗と酷似しているとして不正競争防止法に基づき、内外装の使用停止を求める仮処分を千葉地方裁判所松戸支部に申請した。この時、筆者は正直、「ここまでやるか」と思った。15年以上前のUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEのパクり問題の記憶が甦ったからだ。

 不正競争防止法への抵触には、ユニクロの内装や店構えにおいて、「製品」や「サービス」の製造者や提供者をはっきり示す「出所明示」が必要になる。なぜかと言えば、それにより他店と区別できる「識別性」が備わり、誰もがオリジナルだと認識できるからだ。結局、申立ては双方が「和解」することで解決したが、おそらく裁判所はユニクロが主張する店舗内部の構造や内装について、他店と識別できるだけの出所明示を認めなかったということだろう。

 翻って、ユニクロのUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEのパクり問題はどうなのか。盗用疑惑の報道も、国際訴訟への発展もなかったので、これ以上は何とも言えない。ただ、自社のことは棚に上げて、ダイエーに対しては堂々と仮処分を申し立てる姿勢は、傍からはとても見苦しく感じる。TRILLの記事ついても、UNIQUE CLOTHING WAREHOUSEの出所まで深く取材せずに、読者にユニクロオリジナルのような誤解を与えてしまうのは、ネットメディアの底の薄さを感じさせる。

 ファーストリテイリングに限って言えば、1994年に東証一部に上場しており、アパレル業界で確固たる地位を占め、グローバルマーケットの覇権を争うまでに成長していた。ならば、自社には甘く、他社には厳しいは、許されることではない。それとも、弱い相手でも自社と競合するのなら、あらゆる手段を用いても徹底して叩く考えなのか。

 日本には「人の振り見て、我が振り直せ」という諺がある。大企業に成長したからこそ、自社より規模が劣る他社の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは改めるという気構えも必要ではないのか。それとも、「そんな日本風の経営観では、グローバルでは生き残れない」とでも言うのか。まあ、柳井社長には諺が示す自省は通用しないようである。

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