ネットメディアの台頭とともに雑誌の廃刊、休刊は珍しくなくなった。特にファッション誌は過去10年ほど前から相次いでいる。ざっと見ても以下のようなファッション誌が書店の平積みやコンビニのラックから消えていった。
1996年3月に創刊したギャル向け「Cawaii!」(主婦の友社)は、2000年には発行部数が約40万部を達成したが、08年には約11万部まで減少。翌09年5月1日発売の6月号をもって休刊した。20歳前後の女性向け「PINKY」(集英社)も、04年創刊時は発行部数約30万部を誇ったものの09年には約19万部まで落ち、翌10年2月号がファイナルとなった。
他にもインフォレストの「小悪魔ageha」、 角川春樹事務所の「BLENDA」、大洋図書の「egg」、宝島社の「CUTiE」、学研プラスの「ピチレモン」、日之出出版の「SEDA」、小学館の「AneCan」、 ジェイ・インターナショナルの「KERA」、祥伝社の「Zipper」等々。メンズ雑誌ではKKベストセラーズの「Men's JOKER」が休刊している。
一方、マガジンハウスの「anan」は、今年3月で50周年を迎えた。同社のメンズ誌「BRUTUS」も1980年の創刊から40年続くが、両方ともファッション特化ではなく編集内容に幅を持たせている。直近の発行部数はananが約20万部、 BRUTUSが同約8万6000部と、他誌と大差ない。それでも存続しているのは、歴史に裏打ちされたブランド力がスポンサーの獲得、広告出稿の決め手となっているからか。これはファッション路線を頑に貫く集英社の「MORE」(創刊43周年)にも言えることだ。
休刊した雑誌の平均発行期間は、約15年。創刊25年を超えていたCUTiEやピチレモンは例外としても、1990年代後半に創刊した比較的新しい雑誌が休刊に追い込まれる傾向だ。ファッション誌という性格上、発行期間が長いほど企画のマンネリ化は否めないが、歴史が浅いものは読者の新陳代謝も激しく、スポンサーの信頼を得るまでにはいかないようだ。
まあ、ファッション業界とジャーナリズムが手を組んで読者の購買意欲を喚起する仕組みは、1920年代のパリやニューヨークで生まれた。すでにそのスタイルは100年を経過した至ってクラシカルなもので、ネット時代の現代には合わなくなっている。ananやBRUTUS、 MOREとて、いつ休刊になってもおかしくないのだ。徳間書店が発行していた「ラルム」のように、今年4月の休刊からわすか5カ月で復刊するものもある。だが、これは徳間書店で同誌の編集長を務めた中郡暖菜氏が事業を買取ったことで実現したもの。今度は季刊誌だから年4回の発行で、前途洋洋とは行かないだろう。
では、歴史やブランド以外に雑誌が存続する理由を少しマニアックな視点で考えてみたい。一例として、先日、7月号で休刊すると発表した朝日新聞出版の「アサヒカメラ」を挙げる。
アサヒカメラは1926年(大正15年)4月に創刊し、今年94年目を迎えたギネス級の総合カメラ誌。2010年頃までは5万部以上あった発行部数は、18年以降は2万部台まで落ちていた。直近の数号は3万1500部まで持ち直してはいたが、ご多分に漏れず伸び悩む広告収入がコロナ禍でさらに激減。6月号の純広告は11ページ(自社広告以外)で、しかもカラー広告はわずか5ページしかなかったというから、媒体として存続できるはずもない。
筆者は仕事でモデル撮影や物撮り、ロケにも携わったので、カメラ雑誌には少なからず目を通してきた。「コマーシャルフォト」や「カメラマン」(2020年5月号で休刊)と並び、アサヒカメラも興味を引く特集があった時は購入していた。一流の写真家や有名カメラマンのグラビア、月例コンテストはこの雑誌ならではだった。そこから学べる撮影技術が売りだと思うが、商業撮影で特に役立ったわけではない。ただ、仕事柄、カメラマンと接する機会が多く、個人的にも日本で初めてAFを採用したミノルタから現在のSONYまで同じ系譜の一眼レフを使ってきたので、カメラ雑誌はコミュニケーションツールになっていた。
蔵書したくなるを意図した雑誌
アサヒカメラの読者は、「撮影された写真」を雑誌という「印刷物」を通して見るわけだから、そのレベルは「紙焼き」と同程度のクオリティが求められる。そうした編集姿勢はデジタルカメラの時代に入っても変わらなかった。むしろ、写真マニアの読者は銀塩(フィルム)カメラで撮った写真の色合いや画質の奥深さが好きという人も多く、デジタル画像であっても誌面で取り上げる写真は、フィルム撮影と遜色ないものだったと感じる。6月号の特集テーマ「いまこそ、フォルム」がそうした状況を如実に語っている。
つまり、一般のファッション誌とは違い、写真を再現するための「紙質」が格段に良く、印刷のクオリティも高い(写真の階調、画像の再現性を高めるグラビア印刷が採用されていたのか)。誌面は経年でも色褪せることが少ないから、印象に残る号は残しておきたくなる。筆者もあとあと役立つかもしれないページは、切り抜いてファイリングしていた。というか、読者が定期購読し、自宅やオフィスの書棚に蔵書することも意図して作られていた雑誌だと思う。
写真マニアの読者は熟年層が多く、プロのカメラマンと同様に高額なカメラやレンズ、機材にも投資できる。毎年のようにカメラ展が開催されているし、写真マニアは今年はどんな機種やレンズが登場するのかと心待ちにしている。筆者も仕事を一緒にしたカメラマンとは「ライカ」や「カールツァイス」の話題で盛り上がることが多かった。それらも広告スポンサーを維持できた理由で、編集企画のマンネリ化が叫ばれながらも、編集者が情報をうまく取捨選択していたことで存続でき、読者をつなぎ止めてきたのだと思う。
これはデジタルデータが中心のWebメディアとは根本的に違うところなのだが、読者がそこまでの画質や情報を求めなくなったことが、紙媒体の雑誌が衰退していった裏返しとも言える。まあ、スクリーンショットなら、データの保存は可能なのだが。
また、カメラそのものがデジタル化して性能が格段に向上。高額なカメラやレンズを使わなくても、素人がプロ並みの撮影ができ、スマートフォンでも高画質な写真が撮れるようになった。写真の機能や撮影の目的がアーカイブというより、SNSという環境での自己表現やインフルエンスという価値観に変わり、カメラ雑誌に求められるものが写真の構図や再現力、撮影技術などではなくなっていったのだ。そうした編集のソースが枯渇してしまったことも休刊の理由ではないか。
長く続いたもう一つの理由は、「装丁」にあると思う。ファッション誌のほとんどは、印刷済みの「折り丁」を揃えて断裁した見開きページの折れ線部分、いわゆる「のど」をホッチキスで留めた「中綴じ」だ。アサヒカメラは折り丁を揃えた「丁合」を何部か重ね合わせた束を「無線綴じ」しているので、雑誌には「背」がある。この部分には特集のタイトルが表示できるので、雑誌の格調が高くなり、蔵書した時にバックナンバーを探しやすい。
週刊誌のような読み捨てではないこと、つまり、雑誌の情報量を増やし、読者が印象に残った記事を何度も見返せるようにしたものだ。他には「家庭画報」やブルータスの別冊「CASA」がそうだ。ファッション誌では「LEON」がこの装丁スタイルを取っており、専門誌、別冊や増刊(ムック版)、中高年向けなどの雑誌に多い。それだけの印刷コストをかけても読者を捉えたい意図があり、アサヒカメラはそれがうまく奏功した事例だと思う。
筆者がルポを書かせてもらった業界各誌もかつては背があったが、近年は中綴じに変わった。雑誌離れが進む中で、ページ数を減らしてでも気軽に読んでもらう狙いだったと思うが、それだけ編集や印刷のコストを削減せざるを得ない出版社の事情もあったと推察される。ファッションやコンビニといった業界向けの媒体は、別の出版社に事業譲渡されており、営業的にもかなり厳しかったようだ。
ファッション誌の「FIGARO japon」も創刊時は「TBSブリタニカ」が発行元だったが、その後、「阪急コミュニケーションズ」に譲渡され、現在はTSUTAYAの子会社「CCCメディアハウス」が引き継いでいる。こちらも2010年代前半までは背があったが、現在は中綴じに変わった。雑誌の種別を問わず、紙媒体の置かれている厳しい状況が装丁の変化からもよくわかる。
ファッション誌より勉強になる
もっとも、雑誌は印刷物であり、デザインの性質はグラフィックに近い。イベントのようなタイムデザインとは違い、時間の経過とともに情報が消え失せることはない。蔵書・保存すれば情報の鮮度は別にしてアーカイブとなり、資料として後世に伝えることができる。特にアサヒカメラの誌面は、情報の新旧に関係なく、写真の構図やライティング、シチュエーションのノウハウが色褪せることなく、貴重な資料として活用できる。写真マニアやカメラマンだけでなく、アートディレクターやデザイナー(グラフィック)、スタイリストを目指す若者にとっても、欠かせない教科書になるのだ。
スタイリストになりたい若者にその理由を訊ねると、「最新ファッションに携われる」「ファッション誌の仕事がしたいから」などの答えが返って来る。業界の事情も知らず、仕事内容もろくにわかっていないのだから、仕方ない。だが、スタイリストのやり甲斐は、そんなことではない。パーソナルは除き、雑誌や広告の仕事でモデルに衣装を着せたり物撮りのシチュエーションを組むには、編集者やディレクターとの打ち合わせ後に自分で「コンテ(撮影の構図やストリーを決める作図台本)」を描いておかなければならない。プレスルームや店舗から衣装や小道具を借りてくるのはその後になる。スチール、ムービーを問わず、自分の表現力や技量を撮影の現場で生かせるのは、そうした準備ができてこそなのだ。
トレンドの服や小物を扱ってコーディネートするだけなら、そこらのショップスタッフと何ら変わらない。スタイリストの面白さは事前にイメージを決めてコンテを描き、撮影そのものに携われること。その時に裏方でいられることが業界人を実感でき、その証しがスタッフ名のクレジット、やり甲斐になるのだ。ファッション誌の編集者も、ファッション知識があるからではなく、編集者としての才能を認められたからだ。そのためには4年制大学に行かなければ、出版社の採用試験が受けられない。例外的にファッションの勉強をして雑誌編集者になれるのは、系列誌「装苑」を発行している文化服装学院卒のエリート学生くらいだろう。
その意味で、スタイリストになるための勉強は、ファッションの知識をつけることではなく、雑誌編集や広告制作のノウハウを学ぶことにある。雑誌や広告がいかにして作られていくかのフローや台本作り(コンテ制作)、演出手法や仕掛け、そして撮影に携わるための様々な知識や要領、情報収集である。CMによっては、いちばん先にスタイリストを選定する場合もあるくらいだ。そう言えば今、CMディレクターの杉山恒太郎氏が日経新聞に連載している「世界を変えたネット広告」も必読だろうか。
雑誌や広告の仕事をする上では、カメラ雑誌の購読は必須で、アサヒカメラはモデル撮影、物撮り、ロケにおいて格好の教科書、いやバイブルだと思う。休刊は時代の流れだから仕方ない。でも、アーカイブはちゃんと残っており、撮影の学習には生かせる。スタイリストに限らず、雑誌や広告の撮影に携わりたい若者諸兄にも、アサヒカメラのバックナンバーに目を通されることをお勧めする。
1996年3月に創刊したギャル向け「Cawaii!」(主婦の友社)は、2000年には発行部数が約40万部を達成したが、08年には約11万部まで減少。翌09年5月1日発売の6月号をもって休刊した。20歳前後の女性向け「PINKY」(集英社)も、04年創刊時は発行部数約30万部を誇ったものの09年には約19万部まで落ち、翌10年2月号がファイナルとなった。
他にもインフォレストの「小悪魔ageha」、 角川春樹事務所の「BLENDA」、大洋図書の「egg」、宝島社の「CUTiE」、学研プラスの「ピチレモン」、日之出出版の「SEDA」、小学館の「AneCan」、 ジェイ・インターナショナルの「KERA」、祥伝社の「Zipper」等々。メンズ雑誌ではKKベストセラーズの「Men's JOKER」が休刊している。
一方、マガジンハウスの「anan」は、今年3月で50周年を迎えた。同社のメンズ誌「BRUTUS」も1980年の創刊から40年続くが、両方ともファッション特化ではなく編集内容に幅を持たせている。直近の発行部数はananが約20万部、 BRUTUSが同約8万6000部と、他誌と大差ない。それでも存続しているのは、歴史に裏打ちされたブランド力がスポンサーの獲得、広告出稿の決め手となっているからか。これはファッション路線を頑に貫く集英社の「MORE」(創刊43周年)にも言えることだ。
休刊した雑誌の平均発行期間は、約15年。創刊25年を超えていたCUTiEやピチレモンは例外としても、1990年代後半に創刊した比較的新しい雑誌が休刊に追い込まれる傾向だ。ファッション誌という性格上、発行期間が長いほど企画のマンネリ化は否めないが、歴史が浅いものは読者の新陳代謝も激しく、スポンサーの信頼を得るまでにはいかないようだ。
まあ、ファッション業界とジャーナリズムが手を組んで読者の購買意欲を喚起する仕組みは、1920年代のパリやニューヨークで生まれた。すでにそのスタイルは100年を経過した至ってクラシカルなもので、ネット時代の現代には合わなくなっている。ananやBRUTUS、 MOREとて、いつ休刊になってもおかしくないのだ。徳間書店が発行していた「ラルム」のように、今年4月の休刊からわすか5カ月で復刊するものもある。だが、これは徳間書店で同誌の編集長を務めた中郡暖菜氏が事業を買取ったことで実現したもの。今度は季刊誌だから年4回の発行で、前途洋洋とは行かないだろう。
では、歴史やブランド以外に雑誌が存続する理由を少しマニアックな視点で考えてみたい。一例として、先日、7月号で休刊すると発表した朝日新聞出版の「アサヒカメラ」を挙げる。
アサヒカメラは1926年(大正15年)4月に創刊し、今年94年目を迎えたギネス級の総合カメラ誌。2010年頃までは5万部以上あった発行部数は、18年以降は2万部台まで落ちていた。直近の数号は3万1500部まで持ち直してはいたが、ご多分に漏れず伸び悩む広告収入がコロナ禍でさらに激減。6月号の純広告は11ページ(自社広告以外)で、しかもカラー広告はわずか5ページしかなかったというから、媒体として存続できるはずもない。
筆者は仕事でモデル撮影や物撮り、ロケにも携わったので、カメラ雑誌には少なからず目を通してきた。「コマーシャルフォト」や「カメラマン」(2020年5月号で休刊)と並び、アサヒカメラも興味を引く特集があった時は購入していた。一流の写真家や有名カメラマンのグラビア、月例コンテストはこの雑誌ならではだった。そこから学べる撮影技術が売りだと思うが、商業撮影で特に役立ったわけではない。ただ、仕事柄、カメラマンと接する機会が多く、個人的にも日本で初めてAFを採用したミノルタから現在のSONYまで同じ系譜の一眼レフを使ってきたので、カメラ雑誌はコミュニケーションツールになっていた。
蔵書したくなるを意図した雑誌
アサヒカメラの読者は、「撮影された写真」を雑誌という「印刷物」を通して見るわけだから、そのレベルは「紙焼き」と同程度のクオリティが求められる。そうした編集姿勢はデジタルカメラの時代に入っても変わらなかった。むしろ、写真マニアの読者は銀塩(フィルム)カメラで撮った写真の色合いや画質の奥深さが好きという人も多く、デジタル画像であっても誌面で取り上げる写真は、フィルム撮影と遜色ないものだったと感じる。6月号の特集テーマ「いまこそ、フォルム」がそうした状況を如実に語っている。
つまり、一般のファッション誌とは違い、写真を再現するための「紙質」が格段に良く、印刷のクオリティも高い(写真の階調、画像の再現性を高めるグラビア印刷が採用されていたのか)。誌面は経年でも色褪せることが少ないから、印象に残る号は残しておきたくなる。筆者もあとあと役立つかもしれないページは、切り抜いてファイリングしていた。というか、読者が定期購読し、自宅やオフィスの書棚に蔵書することも意図して作られていた雑誌だと思う。
写真マニアの読者は熟年層が多く、プロのカメラマンと同様に高額なカメラやレンズ、機材にも投資できる。毎年のようにカメラ展が開催されているし、写真マニアは今年はどんな機種やレンズが登場するのかと心待ちにしている。筆者も仕事を一緒にしたカメラマンとは「ライカ」や「カールツァイス」の話題で盛り上がることが多かった。それらも広告スポンサーを維持できた理由で、編集企画のマンネリ化が叫ばれながらも、編集者が情報をうまく取捨選択していたことで存続でき、読者をつなぎ止めてきたのだと思う。
これはデジタルデータが中心のWebメディアとは根本的に違うところなのだが、読者がそこまでの画質や情報を求めなくなったことが、紙媒体の雑誌が衰退していった裏返しとも言える。まあ、スクリーンショットなら、データの保存は可能なのだが。
また、カメラそのものがデジタル化して性能が格段に向上。高額なカメラやレンズを使わなくても、素人がプロ並みの撮影ができ、スマートフォンでも高画質な写真が撮れるようになった。写真の機能や撮影の目的がアーカイブというより、SNSという環境での自己表現やインフルエンスという価値観に変わり、カメラ雑誌に求められるものが写真の構図や再現力、撮影技術などではなくなっていったのだ。そうした編集のソースが枯渇してしまったことも休刊の理由ではないか。
長く続いたもう一つの理由は、「装丁」にあると思う。ファッション誌のほとんどは、印刷済みの「折り丁」を揃えて断裁した見開きページの折れ線部分、いわゆる「のど」をホッチキスで留めた「中綴じ」だ。アサヒカメラは折り丁を揃えた「丁合」を何部か重ね合わせた束を「無線綴じ」しているので、雑誌には「背」がある。この部分には特集のタイトルが表示できるので、雑誌の格調が高くなり、蔵書した時にバックナンバーを探しやすい。
週刊誌のような読み捨てではないこと、つまり、雑誌の情報量を増やし、読者が印象に残った記事を何度も見返せるようにしたものだ。他には「家庭画報」やブルータスの別冊「CASA」がそうだ。ファッション誌では「LEON」がこの装丁スタイルを取っており、専門誌、別冊や増刊(ムック版)、中高年向けなどの雑誌に多い。それだけの印刷コストをかけても読者を捉えたい意図があり、アサヒカメラはそれがうまく奏功した事例だと思う。
筆者がルポを書かせてもらった業界各誌もかつては背があったが、近年は中綴じに変わった。雑誌離れが進む中で、ページ数を減らしてでも気軽に読んでもらう狙いだったと思うが、それだけ編集や印刷のコストを削減せざるを得ない出版社の事情もあったと推察される。ファッションやコンビニといった業界向けの媒体は、別の出版社に事業譲渡されており、営業的にもかなり厳しかったようだ。
ファッション誌の「FIGARO japon」も創刊時は「TBSブリタニカ」が発行元だったが、その後、「阪急コミュニケーションズ」に譲渡され、現在はTSUTAYAの子会社「CCCメディアハウス」が引き継いでいる。こちらも2010年代前半までは背があったが、現在は中綴じに変わった。雑誌の種別を問わず、紙媒体の置かれている厳しい状況が装丁の変化からもよくわかる。
ファッション誌より勉強になる
もっとも、雑誌は印刷物であり、デザインの性質はグラフィックに近い。イベントのようなタイムデザインとは違い、時間の経過とともに情報が消え失せることはない。蔵書・保存すれば情報の鮮度は別にしてアーカイブとなり、資料として後世に伝えることができる。特にアサヒカメラの誌面は、情報の新旧に関係なく、写真の構図やライティング、シチュエーションのノウハウが色褪せることなく、貴重な資料として活用できる。写真マニアやカメラマンだけでなく、アートディレクターやデザイナー(グラフィック)、スタイリストを目指す若者にとっても、欠かせない教科書になるのだ。
スタイリストになりたい若者にその理由を訊ねると、「最新ファッションに携われる」「ファッション誌の仕事がしたいから」などの答えが返って来る。業界の事情も知らず、仕事内容もろくにわかっていないのだから、仕方ない。だが、スタイリストのやり甲斐は、そんなことではない。パーソナルは除き、雑誌や広告の仕事でモデルに衣装を着せたり物撮りのシチュエーションを組むには、編集者やディレクターとの打ち合わせ後に自分で「コンテ(撮影の構図やストリーを決める作図台本)」を描いておかなければならない。プレスルームや店舗から衣装や小道具を借りてくるのはその後になる。スチール、ムービーを問わず、自分の表現力や技量を撮影の現場で生かせるのは、そうした準備ができてこそなのだ。
トレンドの服や小物を扱ってコーディネートするだけなら、そこらのショップスタッフと何ら変わらない。スタイリストの面白さは事前にイメージを決めてコンテを描き、撮影そのものに携われること。その時に裏方でいられることが業界人を実感でき、その証しがスタッフ名のクレジット、やり甲斐になるのだ。ファッション誌の編集者も、ファッション知識があるからではなく、編集者としての才能を認められたからだ。そのためには4年制大学に行かなければ、出版社の採用試験が受けられない。例外的にファッションの勉強をして雑誌編集者になれるのは、系列誌「装苑」を発行している文化服装学院卒のエリート学生くらいだろう。
その意味で、スタイリストになるための勉強は、ファッションの知識をつけることではなく、雑誌編集や広告制作のノウハウを学ぶことにある。雑誌や広告がいかにして作られていくかのフローや台本作り(コンテ制作)、演出手法や仕掛け、そして撮影に携わるための様々な知識や要領、情報収集である。CMによっては、いちばん先にスタイリストを選定する場合もあるくらいだ。そう言えば今、CMディレクターの杉山恒太郎氏が日経新聞に連載している「世界を変えたネット広告」も必読だろうか。
雑誌や広告の仕事をする上では、カメラ雑誌の購読は必須で、アサヒカメラはモデル撮影、物撮り、ロケにおいて格好の教科書、いやバイブルだと思う。休刊は時代の流れだから仕方ない。でも、アーカイブはちゃんと残っており、撮影の学習には生かせる。スタイリストに限らず、雑誌や広告の撮影に携わりたい若者諸兄にも、アサヒカメラのバックナンバーに目を通されることをお勧めする。