先生が亡くなられたと、昨晩連絡が入った。
東映アカデミー青年部時代に、一番印象に残ってる先生。
2代前の「ノリスケさん」の声の方。
現役から退かれて、もうだいぶ経つのだけれど。
東映アカデミー時代。
周囲は【アニメ好き】の【声優(のみ)】希望者ばかり。
演技の基礎よりもアテレコ実習を熱望する集団の中で、
さほど声優さんに関する知識もなく、アニメを熱心に見てたわけでもない私は
いつも「なんだかね」って思ってた。
月に2回の先生の授業は基礎が中心で、
「こんなのよりアニメにあてたいよね」と欠席する人さえいた。
先生は仰った。
『あてる技術は今後、現場に出ればいやと言うほど学べるし上達する。
今必要なのは演技力・表現力を高める努力をすることだ。
声優は、役者なんだよ。』
あのクラスのかなりの人間には、残念ながら響かなかった。
実際その後、
「ゆずさんは役者になりたいんでしょ?私は声優になりたいんだもん」と
面と向かって言われたときには、もうため息しか出なかったけど。
でも。
この言葉は、あれから何年も経った今も、
私の心の支えであり、信条。
先生。先生、ありがとうございます。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
東映アカデミー青年部時代に、一番印象に残ってる先生。
2代前の「ノリスケさん」の声の方。
現役から退かれて、もうだいぶ経つのだけれど。
東映アカデミー時代。
周囲は【アニメ好き】の【声優(のみ)】希望者ばかり。
演技の基礎よりもアテレコ実習を熱望する集団の中で、
さほど声優さんに関する知識もなく、アニメを熱心に見てたわけでもない私は
いつも「なんだかね」って思ってた。
月に2回の先生の授業は基礎が中心で、
「こんなのよりアニメにあてたいよね」と欠席する人さえいた。
先生は仰った。
『あてる技術は今後、現場に出ればいやと言うほど学べるし上達する。
今必要なのは演技力・表現力を高める努力をすることだ。
声優は、役者なんだよ。』
あのクラスのかなりの人間には、残念ながら響かなかった。
実際その後、
「ゆずさんは役者になりたいんでしょ?私は声優になりたいんだもん」と
面と向かって言われたときには、もうため息しか出なかったけど。
でも。
この言葉は、あれから何年も経った今も、
私の心の支えであり、信条。
先生。先生、ありがとうございます。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
うぅ・・・悲しいです・・・。
先生としての言葉、すごく重みを感じます。
こういう言葉を受け止められる器というのは誰にでもあるというものはないと思います。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
自己の欲求を表現する人は、皆「役者」もしくは「アーティスト」と呼んで差し支えないかと思っています。その中のひとつとして、「声優」があるのではないでしょうか。そう私は理解しています。
合掌
今年声優・ナレーターの専門学校の授業見学に行きました。確かに半分以上の生徒の質は・・・酷いものでした。
先生の気持ちを受け継ぐ人がいることが、唯一の救いですね。
私は「イナズマン」は存じ上げないのですが・・・ナレーション、先生だったのですね。
>土々呂さん
本当に深い、重い言葉だと私も思います。
でも悲しいかな、そう思っていない人が多いのが現実です。
「声を出す」のではなく「演じる」のだということを、
私は一生失うことなく抱えて生きたいと思っています。
>kazさん
吹き替えのお仕事の創世に携わった方々は、「声優」という職業はない、そう仰います。
我々は役者だと。
表現に携わるものとして、この自負こそ本当に大切なものだと思うのです。
『声優』『タレント』『舞台役者』等々・・・。
細分化された現在のジャンルにしてみれば時代に合わないのかも知れませんが
「演じる」という根幹をきっちり押さえた役者になりたいものです。
>りょうさん
以前、某専門学校のガイダンスに参加された方が嘆いてらしたのを思い出しました。
「俺が何を言っても『あぁ○○(キャラの名前)が怒ってる』とか『○○が話してる』とかいった反応ばっかりなんだよ」。
好きじゃなきゃやってけない。
でも好きだけでもやってけない。
この世界に限らず、どこもそういうシビアな側面を持っていることは間違いないと思います。
果たして。
結局彼らは「声優」という看板が得られれば自己満足で終結するのだろう
でもそんな香具師達の声を当てられたアニメを見ても「魂を揺さぶられる」事は無いでしょう
先生、有難い言葉有難う御座います
ご冥福をお祈りいたします
東映に在籍中のエピソード。
その、みんな期待大の「アテレコ実習」の授業。
さすが東映だけあって、課題は『ドラゴンボール』。
ブルマ役に女子が殺到しました。
その時演出家さんが、希望しなかった私を指名して、順番に台詞を言わせたんです。
そのレッスンでブルマにキャスティングされたのは私でした。
「こいつだけが自分の芝居をしているから」。
そうはっきり仰ったのを覚えてます。
後で演出家さんにお話を伺ったところ、「お前以外は全員鶴さん(鶴ひろみさん)のブルマのコピーなんだもんな」とのことでした。
アニメ好きの声優ファンの人の芝居は、ともすればオリジナルのコピーになってしまう。
それじゃなんか悲しくないですか?
芝居は「自分のフィルター」を通してなんぼだと思うのです。
「演技力といっても無理だから、まずはモノマネから入るといいですよ」
とアドバイスするんですが、プロを目指す人がこれじゃあね~(冷笑)
わたしが小学生の時、朝っぱらからやってたのど自慢のTV番組見てたら、
やたら歌上手い男の子出てたんですが、審査員の先生は
「君は単なるモノマネになってる、次は自分の歌で歌えるようになってから来なさい」
と言って評価しませんでした。
その言葉はその後のわたしにかなり影響を与えましたね。
お陰で、自分の演技についても
「モノマネになってないか?自己満足になっていないか??」と自問自答するように心がけるようにはなれました。
だからわたしは、入学して一月で
「声優目指すの止めた、とにかく演技力をつけるのだ!」と思えたのでしょう。
まあ今はごくたまにしか役にたってませんが・・・。
改めて「プロとは何か?」と考えさせられるエピソードですね。
自問自答し続けます。
正解のない道だけに。
もしかしたら一生、自分にいい点数なんてつけられないんでしょうね。
気付くのが遅れて申し訳ございませんでした。
ノリスケさん、天国でカツオくんと一緒に、私たちを見守っていてくださいませ。
サナギマンの我慢強さを、現代人たちに教えていただきたいもんです!!